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@azyobuzin
Created February 20, 2019 16:42
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登場人物に自分を重ね合わせていない?

中学生・高校生を中心ターゲット層にしているライトノベルは、当然ながら読者をいかに共感させるかに注力していく。そして、ライトノベルの読者の多くは、程度の差はあれどオタクと呼ばれるスクールカーストでは決して上位層ではない人たちが多い。そのために読者層の多くが実際にスクールカーストの下層に所属し、そこから駆け上がっていくことを現実世界では無理としても小説の世界内で共感し追体験を重ねているのである。(「幼なじみ萌え ラブコメ恋愛文化史」 p.101)

この本のスクールカーストに関する章では、何度も読者層の共感を狙っていると書かれています。しかし、僕にとって、物語で夢を見て、追体験したいかと言われたら、NOです。

僕が二次元を見る姿勢は、あまり良い言い方ではないですが、盗撮と表現することができるのではないでしょうか。手の届かない場所に、主人公とヒロインがいる、僕はそれを見守るのが仕事です。ヒロインの隣にいるのは主人公であり、僕ではないのです。

ただ、まったく共感をしないかというと、それもNOで、一番考えていることは、ヒロインが主人公を見る目です。完全にラブコメの話しかしていないですが、ヒロインがどのように恋に落ち、思いを膨らませていくのか、そこを想像する作業がもっとも楽しく、これについては、一種の共感だと考えられます。つまり、追体験したいのは、スクールカーストを駆け上がりハーレムを作る主人公ではなく、主人公に恋するヒロインなわけです。

登場人物に自分を重ね合わせている?

ここまで書いておいてなんですが、どれだけ登場人物に自分を重ねているのか、正直わからないのです。僕はずっと、今述べたように、盗撮のように二次元を見てきたと思っていましたが、自分に近いほどうれしいと感じるときがあることに気づきました。

最近、 Mastodon アカウントの名前欄を「政治的に正しいぬいぐるみ」にしていました。「政治的に正しい」は偏見を排除し、それぞれの事情を考えようという意味で、「ぬいぐるみ」は「ぬいぐるみペニスショック」の文脈で、他人を性的に脅かす存在になりたくないという意味を込めていました。この名前が気に入り、しばらく変えていませんでした。簡単に言うと、性犯罪の加害者になりたくない、という強い気持ちの表れです。僕の性的指向は、特筆すべきこともなくヘテロですが、それゆえ女性を性的な目で見ようとしてしまいます。「男性は大体の女性をうっすら好きで、女性は大体の男性をうっすら嫌い」なんてツイートもありましたが、まさにそう感じていて、うっすら気にしてしまいます。しかし、例えば胸が気になって目を向けてしまったときには、非常に強い罪悪感を感じています。そのたびに、性欲によって行動していることを恨めしく思います。「性をやめろ」というフレーズを自分に言い聞かせているのも、このためです。また、性別のレッテルという問題については、小学生のころから関心がありました。テレビで「女性必見」という言葉が出てくるたびに怒っていました。そんなこんなで、性的に中立でありたいと思いながらも、本能によって男性側に傾いているというのが現状です。

こんな話をして何につなげたかったかですが、この前「青い春を数えて」を読みました。

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この本の、4章の主人公(メモしてないので名前を覚えていない)ですが、性別から切り離されたような生き様をしているのです。そして、堂々としている(これは僕の読み取り能力が足りていないだけで、もっといろいろな感情があるのでしょうが)。これを読んだとき、かっこいいと思いました。そう、かっこいいと思ったのです。僕の願いに近い存在、まさに自分を重ねた結果かっこいいと感じたわけです。これによって、自分を重ねていないという説は否定されました。

また、「ぬいぐるみ」に関してもうひとつ挙げておくと、これは完全に R-18 ですが、汚いおっさんがレイプする話に関しては完全に拒絶反応を起こします。なぜならば、「汚いおっさん」も「レイプ」もどちらも、ドンピシャで自分がなりたくないものに該当するからです。つまり自分を重ねようとして、失敗し、拒絶しているのだと考えられます。

こう考えると、結構登場人物に自分を重ねているようにも思えます。本当に、自分でも、どの程度そう振舞っているのかわかりません。

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