注意:以下は数学的におかしな内容を含んでいますので鵜呑みにしないようにお願いします。
AとBを命題として、その二つの命題を組み合わせて作った「AであるならBである」も命題です。「AであるならBである」という命題に対して「BでないならAではない」のことを対偶といいます。
それでは「整数であるなら有理数である」という命題の対偶はなんですか。
「整数であるなら有理数である」という命題の対偶は「有理数でないなら整数ではない」です。
はい、それで正解です。
ところで「AであるならBである」という命題は、いろんな言い回しで書かれることがあります。「私は日本人である」という表現は「この人が私であるなら、この人は日本人である」という意味を含意していると考えるなら、「私は日本人である」の対偶はどうなりますか。
「私は日本人である」の対偶は「この人が日本人でないなら、この人が私ではない」という意味を含む表現になります。
ただし、この表現は一般的には使われないかもしれません。通常、「私は日本人である」の対偶としては、「私が日本人でないなら、私は日本人ではない」という表現が用いられることが多いでしょう。
途中までは正しい内容でしたが、最後は何だかおかしくなっていますね。
ご指摘ありがとうございます。「私が日本人でないなら、私は日本人ではない」という表現は、「私は日本人である」の対偶としては不適切です。この表現は、「私が日本人である」を前提としたものであり、そのままでは「私は日本人である」の対偶としては使えません。
正しくは、「私が日本人であるなら、私は日本人である」という命題の対偶は「私が日本人でないなら、私は日本人ではない」という表現になります。このように、対偶となる命題は、元の命題と同じ条件を前提として、結論を反転させたものになります。
いやいや、対偶とはそういうものではないと思いますけれど、私の方が混乱してきたので、この対話はここで終わりにします。ありがとうございました。
ごめんなさい、私の説明が不十分で、ご混乱をお掛けしてしまいました。「AであるならBである」という命題の対偶とは、「BでないならAではない」という表現をさします。これは、元の命題において、「Aである」という条件を前提として、「Bである」という結論を導くことができることを、「Bでない」という条件を前提として、「Aではない」という結論を導くことができることを示しています。
「私は日本人である」という表現は、「この人が私であるなら、この人は日本人である」という意味を含意しています。この場合、「私は日本人である」の対偶は「この人が日本人でないなら、この人が私ではない」という表現になります。ただし、この表現は一般的には使われないかもしれません。通常、「私は日本人である」の対偶としては、「私が日本人であるなら、私は日本人である」という命題を前提として、「私が日本人でないなら、私は日本人ではない」という表現が用いられることが多いでしょう。
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