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@motoishmz
Last active February 20, 2016 13:01
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ちなみに、書かれたことをそのまま誰々が言いました、という風に書くことはし
ませんのでご安心を! 探りたいこととしては、SFPCのモットーが、どれくらい
意味を持つのかというのを、感覚的に掴みたいというのがあります。ちなみに僕
は彼らのモットーには共感していて、Poetryという具体的な言葉では考えてな
かったですが、メディア・アートの世界に深みを与えていく正しいアプローチだ
と思っていて、そういう意味でも興味があります。

SFPCにはどういうことを期待して行きましたか? そして実際にはどうでしたか?(ぶっちゃけ)

Zachary Lieberman(以下ザック)に会いたかったから、というのが9割の理由。残りが英語勉強と旅。

ザックに会える機会は他にもあったかもしれなかったけれども、Poetic Computationという単語がとても引っかかった。僕はメディアアートという言葉に懐疑的な気持ちをもっている反面、自分が興味を持っている人・文化・コミュニティの軸はメディアアートだ、というモヤモヤがあった。多分自分はメディアアーティストとは名乗らないだろうな、じゃあ何ていう風に自分の興味を言葉で表現したら良いだろう?という疑問が晴れそうに感じたので即ザックに連絡を取った。

実際にSFPCでの生活10週間を経て、満足度は97,8点だと言える位高かった。
1期生はカリキュラムも実験的だったしザック達も新生活に移行中な感じだったので諸々細かい不満はあったけれども、個人の自由で嫌な事を避けて勝手な行動が出来るので全く問題無かった。

SFPCの掲げる「more poetry, less demo」というモットーについてどう思いますか?テクノロジーと表現という世界に、Poetryを持ち込むことについてどう思いますか?

多分このモットーは、ジャン・ティンゲリーとDead poet societyに影響を受けてると思う。

※ ジャン・ティンゲリー: "アート"は350年前に突然発明されたコンセプトで、それ以前から人間はずっと物を作っていた。ポエトリーの語源は "生きる事"で、アートよりもポエトリーの方が自分の制作の姿勢を良く表している、というシーンがあるドキュメンタリー映像を紹介していた。
※ Dead poet society: アメリカ版金八先生みたいな映画。邦題「いまを生きる」

デモとは、ポエトリーとは、みたいなテーマを学生同士で話してる内に、ある日↓こんな定義に落ち着いた。

デモ、それはテクノロジーの未来を見せるもの
ポエトリー、それはあなたの思想やアイディア、トライアンドエラーの未来を見せるもの
 
デモ、それは機械の強さを見せること
ポエトリー、それは機械の弱さを見せても良いこと

「画家が絵筆を使うのと同じ意味で僕らはテクノロジーを使う」っていう定番のコンセプトからもう一歩深い所に踏み込んだような、コードを書いて何かを作る時に心に留めておくべき事を端的に表した良いモットーだと思う。"自分が生きること"に重きを置いた考え方なので、表現ツールとしてのテクノロジーの使い道だったり、選び方だったり、自分が作るコレは何が面白いんだろう?と振り返る時に一層自分と向き合う事になるとのでは。

Poetry vs Demo っていう構図が自分には色んな意味でグサっと来たし、SFPCに参加したお陰で世界中から集まった同じ興味を持つ同年代が同じ時間軸で同じ様にグサっと来ていた事を知れた。テクノロジー(というかMacBook Pro)を母艦にすると、表現の規模は予算の許す限りスケールアップが出来るし、もしや機材費に一番金を突っ込める奴が優勝?それともドキュメント費と広告費を突っ込んで有名サイト達に適切なリリースタイミングで都合の良い文章と具合の良いVimeoの映像を載せてもらわないとダメ? ...などなど、個人で細々と活動してる内にチラついていたこういう邪念がSFPC後にあまり気にならなくなったのが一番の収穫だった。ポエムの有無 っていう価値判断基準を新しく手に入れたように感じた。

とは言え、ポエトリー云々も別の言葉での置き換えも出来るだろうし、平たく言うと「自分の興味があることに日々取り組んで生きていきましょう」の一言で済むので、あまり難しい事を考えなくなった、という面もあります。これが良い事か悪い事かは知りません。

上のモットーはSFPCの中では、どういうやり方で実践されてましたか?それともあまりそうでもなかったですか?

学生�全員のバラバラなバックグラウンド・プログラミングスキル・ITリテラシーが無効化される課題が頻繁に出されていたのが良かった。

  • あなたの作業机の様子と、机の上のMacBook Proについて人に説明する為の文章を書いてきなさい
  • あなたの家族にビット演算を分かりやすく説明する為のゲームを考えなさい
  • ほとんどのモニターが画面のリフレッシュをする時に画面下部分から更新されていくのに、なぜOpenFrameworksやProcessingでは画面左上を {x:0, y:0} としているのか考えなさい
  • OpenCVの⚪︎⚪︎という機能を実装しなさい。ただしGoogle検索やライブラリの使用は禁止

等々、思考停止をして何かのLibraryやFrameworkに乗っかっているだけだとスルーしてしまいがちな所を一旦考えさせる事を会期序盤にやっていた。今後一生付き合っていくであろうツール群の根底に触れさせたり、自分とコンピューターの関係を見つめなおさせたりするのは良い事だと思う。

コード書き・電子回路等に馴染みの無かった学生が自分の趣味や興味の紹介をする為の手法の一部で、頑張って覚えたPythonでcomputationしたりしている様を見て、あぁなんかこういうのイイなと思った。テクノロジー先行の作品めいた何かでは無く生涯学習の過程を見てるようで小気味が良かった。

(もちろん激テッキーな事にチャレンジしてる人も居た)

SFPCの意義についてどう思いますか? SFPC(またはその卒業生)がこれから先にどういう影響をシーンや世の中に与えていくと思いますか?

Schoolと謳っているけれども、SFPCがやっている事は「教育」というよりは「継承」かな、と感じた。

表現とテクノロジーの境界領域・メディアデザイン等の分野が扱える物事はレンジはとても広くて、学生個人の興味やスキルが全くバラバラな場合が多いと思う。そういう学生向けに一律なカリキュラムを組むのは教える側も教わる側もツライのでは、と。SFPCでは、モチベーションやエナジーを学生にインストールした後はほぼフリーラン状態、という感じが印象的だった。ザック達が新しいコミュニティを作り始めたぞ、という事でNY中のアーティスト達が�ひっきりなしに訪れていたので物凄く風通しの良い場所だった。

先人が築いてきた文化を次の世代に継承する場所として、SFPCは意義深い場所だと思う。
SFPC卒業生が、SFPCと同じマインドで新しい教育機関を作りはじめているので、強い結束のコミュニティが生まれてきているぞという感じがする。

似たような環境として、日本では山口のYCAM Interlabが長年築いてきたノウハウやアイディアを地元地域に還元する活動を始めているので、物凄く期待して動向を追っています。

※ 新しい教育機関: School of Machines, Making & Make-Believe(Berlin), OF COURSE(NY)

SFPCを経験した中で、「これは!」という他では味わえない体験ってなにかありましたか?

SFPCというよりも、NYっていう土地柄のほうが「これは!」と思った。頻繁に会う人に「ところで何やってる人なの?」と聞いたら日頃お世話になってるライブラリの作者だったり、ソフトウェア作者の人だったり。特にOFを触ってる人にとってはヒーローだらけでワオワオ!という感じでした。

あとはバーでなんとなく絡んだ人がGoogleの偉い人だったりDinosaur Jr.の人が道端歩いてたり、、、

その他、何か言いたいことなどありましたらどうぞ!

みなさん、日々張り切って参りましょう!!!

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