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@pastak
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インターネットに押し寄せる「リアル」の波

初発Project AMNIS Vol.1 ( http://lamer-e.tv/amnis/ )

##はじめに はじめましてこんにちは。Pasta-K(@pastak)です。 えあうくんから、インターネットの話を適当に書いてくれと言われたので、僕自身の実感を中心にインターネット、特にSNS環境の変化について書いて行きたいと思います。普段はTwitterでダラダラとした日本語を書いているので、こういったまとまった文章は不慣れなので読みにくいとは思いますが、よろしくお願いします。

ちなみに文中でも言及しますが、ちょうど世間で『リアル』や『ホムペ』が話題になっていた3年前くらいに当時高校生だった僕が友人たちから聞いた話とかをまとめた資料のURLを紹介しておくので、事前に目を通してから本稿を読んでいただくとより楽しんでもらえることと思います。 http://www.slideshare.net/pastak/g91lt-2748111

##インターネットと僕の出会い 初めに僕とインターネットの出会いについて簡単に紹介したいと思います。 僕がTwitterを始めたのは2008年の春、中学3年生のときでした。 それまでもインターネットはしていて、CURURUなどのSNSは使っていたのですが、日常のこととか好きなアニメの話をたまに日記書くなどする程度でした。 そんな中当時購読していたあるブログに「Twitterはじめました」という記事が掲載されていたので、 そのブログの管理人の人をフォローするためにアカウントを取ったのが僕とTwitterとの初めの出会いでした。 当時はそんなに全体のユーザー数も多くなかったので、Twitter全体にいわゆる「ゆるい空気感」が流れていたことと、僕にとって「Twitter」が現実と分断された場所だったこと、短文をいっぱい書けること、そしてそれが流れていく(ように感じる)ことが相まった心地よさからハマっていきました。気付けば、Twitterに内心的な葛藤(恋とか愚痴とか)を垂れ流したりもするようになりました。 それというのも僕自身、気の合う友人であっても、そういう葛藤について相談したり吐露するというのが非常に苦手だったのです。でも、TwitterにいるフォロワーさんたちとはTL上に書かれる何気ないpostを見て親近感を抱いていたからか、そういったこともTwitterでなら吐き出せるようになっていったのもあり、すっかりTwitterは生活の一部になっていました。

また僕はその頃同時にプログラミングにも興味を抱き始めていたので、独学で勉強しつつ、その成果をブログに書いたりして公開していました。 例えばプログラミングの途中で疑問が湧いたりした時にTwitterにpostすると誰かが答えてくれる、ブログを公開すると反応が飛んでくるというのは非常に新鮮でした。 また僕は当時中学生だったのも幸いしてか、関西圏を中心に色々な職業プログラマのような方にもフォローしてもらったりして、交流できるという経験に素直に感動していました。

そういうことをしている中でオフ会やIT勉強会などを通して、ネットの向こう側の人たちとリアルで繋がり出したのはTwitterを始めて少し経った頃でした。 その頃はまだスマートフォンという言葉はほとんど知られておらず、インターネットを積極的にする友人も少なく、SNS自体への関心も薄かった(中学校の図書館のPCからYouTubeやニコニコ動画、Tumblrなどにアクセスしても規制対象にならなかったような記憶があります)ので、当然Twitterなど知られているはずもなく、インターネットは現実世界から分断された空間としての認識を強めて行きました。 繰り返しになりますが、この頃にはTwitterなどのインターネットが唯一の自分の思いを表現出来る場所として、自分にとって大きなウエイトを占めていたのはいうまでもありません。

##『リアル』騒動時代 それから数年後、『リアル』や『ホムペ』における中高生の個人情報の扱い方や書き込み内容などが世間的に話題になり、報道番組やワイドショーを賑わすようになりました。 僕は『リアル』や『ホムペ』と呼ばれるようなサイトは使っていませんでした。ですが、周りを見回して聞き耳を立ててみると「~(人名)のホムペ見た?」「○○部のホムペの日記おもろいよなー」といった会話が飛び交っていました。 僕と友人数人はそういう輪に入れない部類の人間だったので、そんな話題には見向きもせずにアニメやマンガやTwitterに熱中していました。毎日流れる『ホムペ』関連の報道や記事を見ているうちに、自分の周りでもそうなのかなーと思ったり、その中でも問題視されていた個人情報を手軽に載せてしまう感覚が僕には理解できなかったので、友人たちにさり気なく質問したりしてリサーチをしました。その結果をまとめたのが、冒頭で紹介した資料です。 そこで僕なりに得た結論は「検索などで辿り着ける、誰でも見られる世界規模なWWW(ワールドワイドウェブ)である」という実感の欠如が大きな要因だったのではないかということでした。 手のひらサイズで扱える端末でアクセスしていること、実際にその『ホムペ』上で(友人機能やリンクなどで)繋がっている(ように思う)のは「友達」だけだったことがそれらの勘違いを誘発し、 友だちしか見てないなら、みんなが知っている情報である『所属学校名』とかそういうことを書くことに違和感を感じなかったのだろうと思います。 (実際、僕の所属していた学校では「調査会社」によってリストアップされた「学校名と本名を書いていた生徒」が呼び出され指導を受けるというのが1度ありました) ##スマートフォンブームとTwitter それから更に数年が経ち、津田大介さんの「Twitter社会論」が発売され、勝間和代さんがTwitterを始めた頃くらいから「Twitter」というものがビジネス誌や情報番組などで取り沙汰され、日本で爆発的にユーザーを増やしました。その後にはiPhoneの登場によるスマートフォンブームでさらにTwitterブームに拍車がかかり、その後のFacebookブームやLINEの流行に繋がって今に至っていることは詳解するまでもなく、これを読んでくださっているみなさんが実感していらっしゃることと思います。

もちろんその世の中の流れでは僕の身の回りでも変わらないものでした。 自分は世間的には進学校と言われるような学校に通っていたので、徐々にスマートフォンユーザーが増えるというよりは皆が受験勉強から開放される1月~3月の期間に一気にスマートフォンユーザーが増えました。 僕は学校で(経験ある人も多いと思うのですが)「インターネットやパソコンに詳しい人」として扱われていたので、多くの人から「スマホにしたんやけど、TwitterとかFacebookとか登録の仕方教えて」とよく言われました。それまでFacebook上で友だちになっていた同級生は20人弱だったのですが、今では半分近い約100人が友だちリストにいます。 それまではインターネット上でも違う世界(『ホムペ』とか『リアル』)にいた友人たちが同じ世界にいるというのは不思議な感覚でした。Facebookはクローズドであることを趣旨として作られたサービスと認識して使っていたので、もちろん本名で登録していますし、学校名やクラスなども登録していました。これくらいのことであれば、僕もmixiですでに経験済みでしたので、そんなに驚くようなことではありませんでした。 僕が本当にカルチャーショックを受けたのはTwitterを始めた友人たちのアカウントを見た時でした。彼らのTwitterアカウントを見ると、友人とのプリクラ画像が貼られていたり、遊びの行き先などが細かく書かれていたりしました。僕はそんな彼らのアカウントをフォローはせずに直接アクセスしたりして見ていたので、つまりはプロテクトでないアカウントに書かれていたということです。 そしてしっかりと彼らのアカウントページの自己紹介の部分には出身高校名が書かれていて、ユーザー名も本名の[名前]やあだ名そのままである人が非常に多いように見えました。実際に「[出身高校名] [入学期] site:twitter.com」で検索すると多くの同級生たちのアカウントを見つけることにたった今成功しました。(そして僕は同時に今まで進学先を知らなかった友人たちの進学先を知ることにも成功しました) こういったものを最近見ていて、僕はふと『リアル』が話題になったときのことを思い出しました。そして次のような流れがあるのかなと考えました。彼らにとって『Twitter』は数年前の『リアル』が仕組みも同じ「つぶやき」として表現されていたので、それが置き換わっただけでしかなく、あくまで『リアル』の延長としてTwitterがある。だから身元を隠すためのハンドルネームは必要ないのではないでしょうか。 彼らにとっては場所が替わっただけでしかないので、「検索」がしっかりと機能として埋め込まれているTwitterを使っていても情報の書き込みについての意識は『リアル』時代のまま来てしまっている。だからその感覚のまま身内に向けた犯罪自慢などを書き込んだ結果、それがRTなどで一斉に広がって騒動になるという流れがより増えているように感じるのかなと思います。

##繋がりだした「リアル」と「ネット」 このようなことを見ていると、今自分のインターネット中心の繋がりの中にリアルの友人がTwitterにもFacebookにも増えつつあることに対して僕が怖いなと感じています。 ハンドルネームを使うか使わないか、自らの個人情報を載せるかどうかっていうのは言ってしまえば、確かに個人の自由であるとは思います。 それが『リアル』や『ホムペ』で行われている時は僕らにとって関心を惹くようなことはあっても、該当サービスのユーザーではなかったので、実害はありませんでした。 それが一転、彼らがTwitterに流入してきた結果、同じようなことを今度はTwitter上でも行うようになりました。 僕もインターネットでは一時期まで顔出ししたくなかったし、意図しない顔出しや本名バレや所属バレは避けたいと願っていまいました。 上手くやっている人もいるようですが、Twitterアカウントを隠すのは難しくFacebook経由などで結局友人にも見つけられるようになりました。 そうすると彼らとの繋がりがソーシャルネットワーク上で明確になることで、 「@pastakと@~~は同じ高校の同級生みたいだし、@~~の方には高校名が書いてあるし、@pastakもその高校に通っているのか」 という推測が(やる人がいるかどうかはさておき)。安易になることでしょう。 僕にとってはそういうことがあんまり好ましくありませんでした。今でも友人たちにアカウントがバレることが今でもあんまり嬉しくないのが現状です。実際、リアルの友人とインターネットで繋がることで個人に紐付いた情報が意図せず公開されてしまうことが増えたと思います。 では、どうしてこういうことになるのかなと考えてみると、それはリテラシー認識の差に由来しているのではないかなという結論に自分の中では達しました。 2chを始めとして、ブログを書くにしてもTwitterをやるにしてもインターネット上で活動するときには大概の場合においてハンドルネームを用いて、身バレを防ぎ極力匿名で活動をするインターネット経験を積んできた僕たちと、ガラケー時代から友人とのローカル繋がりのために使ってきたツールの延長としてTwitterなどを使う彼らとのリテラシーや認識の差異が僕の感じる「怖い」に繋がっているのだと思います。 匿名のユーザー同士の繋がりが大半を占めていたTwitterを使っていたような頃はオフ会なんかで実際に会うことはあっても、お互いにある程度共通の匿名性への認識があったので、写真などの取り扱いについても非常に気をつかったりしながらやっていたように感じます。そういう意味では共通のリテラシーである安心感があったからこそ、日常的なことまで書き込めるTwitterの独特の空気感を保っていたのではないかなと思います。 それがリアルからの友人知人の流入により、(少なくとも僕の周りでは)崩れてしまおうとしているように感じます。 1つ目の点はインターネットが現実から分断された場所だと安心して書いていた内容について翌日や数日後などにリアルで言及されるなど、インターネットでの発言がリアルに影響を及ぼすようになってしまったこと。もう1つは自分の情報がSNSアカウントと紐付いて自分の意図に反した公開範囲に公開されるようになってしまった点です。 これらに対抗するべく、自分の居場所として確保するために身バレや友人知人バレを排除したいと思ってプロテクトになる人と、僕のように諦めてしまった人(もう止められないなと思ったのと個人的にTwitterまでもプロテクトアカウントにしたくないという気持ちからです。)に大きく対応が現状2分しているように思います。

##居場所を守るために では、このようなことを踏まえて僕がTwitterを始めた頃のような「安心して過ごせる」インターネットを取り戻せるのかについて最後に少し考えてみたいと思います。 まず手っ取り早いのはプロテクトアカウントにしたりアカウントを分けて、相手を選んで公開することです。こういう対応をする人は多いと思います。ですが、個人的にはこういう方法はあまり好きではないなと思っています。何故なら、Twitterは「オープンなインターネットで発言する(つぶやく)」ことが面白いサービスだと思っているからです。(もちろんアカウントを使い分けるのが面倒というのもあります。)冒頭にも書きましたが、僕はリアルではなかなか思っていることを口に出すのが苦手だったので、そういうことを書き込めるTwitterはぼくにとってまさに「居場所」を与えてくれるものでした。また、思いがけない人からreplyがもらえるといったインターネットだからこその出会いのためにもプロテクトにしたくないなと思っています。(そのお陰で喧嘩をふっかけられたこともありますが…)またプロテクトなアカウントで発言するならFacebook(詳細に公開範囲を設定できるので)を使えば良いかなとも思っているのも理由の1つです。 せっかくRTなどの機能も充実しているので、わざわざTwitterというサービスを選んで使う以上はプロテクトにせずにちゃんと公開して、発言したいなというのが個人的な思いです。(あと、プロテクトにしてしまうとfavstarに反映されなくなりますしね!!) プロテクトにするならFacebookを使えば良いのだから、Twitterまでそんな肩身の狭い思いや気を使いながらインターネットをするのはやだなという思いです。 逆に知らない人には見られたくないし絡まれたくもないと思う人はちゃんとプロテクトにしてほしいなとも思います。 ある友人のpostをふぁぼったりRTしたときに、「お気に入りして晒された」とか「なんでRTするんや」みたいなことを言われたことがありました。個人的にはTwitterはそういうのも含めてコミュニケーションの道具になっているツールだと思うので、そういうことを「晒し」として恐れるのであればプロテクトにして欲しいなとおもいます。

##まとめ 僕にとってインターネット、特にTwitterは自分の考えや気持ちを吐露できる唯一の場所になり得るほど安心できる場所でした。それが各SNSのブームにより、リアルとネットの境界がなくなり、それまでのリアルからは隔離された場所として安心していたのが、そうウカウカとはしていられなくなろうとしているように感じます。 僕にとっては恋愛の事とか日常のことをリアルの友人に知られないように吐き出すためのものであったインターネット。その安心感からある種依存していたインターネットが僕は好きでした。インターネットで出会えた人たちのお陰で今までいろいろな経験が出来ましたし、出会った人の中には僕のTwitterを面白がってくれる人たちもいました。『安心してなんでも書ける場所』としてのTwitterは今では自分にとってなくてはならないものになっています。だからこそいま僕はリアルの友人をブロックしたりして自分の居場所を必死に守っています。ですがブロックしていることがバレるとリアルで言及されたり、友人関係に関わってしまうのではと考えてしまい、結局フォローを返してしまったりするのが非常に辛いところです。 これから先もっとインターネットが身近になっていくと思います。そしてリアルとインターネットの一体化がより進んでいくことでしょう。そうなっていってもインターネットは「僕らのインターネット」であって欲しいなと思います。安心できる場所であって欲しいなとおもいます。 SNSがネットとリアルとを近づける方向に進化していこうとしている今の時代だからこそ、僕のような人間にとってはより一層ネットとリアルの切り分けが重要になってきているのだと思います。ですが、だからといって暴力的に切り分けるのが難しいのも現状だと思います。今の僕には正直言って「逃げる」以外の方法は思いつきません。これからの日々を通してうまいことできたら良いなと思っています。みなさんも良い方法があれば僕にこっそり教えて下さい。お願いします。

##さいごに ちなみに今この原稿を書いている、つい2時間ほど前に日付が変わって僕の誕生日になりました。 Twitterではたくさんのお祝いreplyが飛んできていました。長い人ではTwitterで4年以上の付き合いになるので、月日の長さを感じます。そんなTwitterやインターネットでこれからもずっと過ごせればという願いを込めつつ、この文章を〆たいとおもいます。長々とお付き合いいただきありがとうございました。 また、インターネットでお会いしましょう。

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