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@KTakahiro1729
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恋愛分析

目的

恋愛の正体が何か、という問いに答えを与えるのが目的である。 正体とは何か、という問いは非常に漠然としているが、その得られた答えから恋愛の様々な性質を説明できるのが望ましい。

なお、、「恋愛 := 恋愛の定義」のように表記する熟語は、その後の表記を簡潔にするため、10秒位で考えた名前の定義を示す

感情とは

人間関係に基づく感情の分類

感情には「人間関係の有無」という観点から

  • 個人感情:=「快・不快・喜怒哀楽」といった一個人の内部にとどまるもの
  • 関係性感情:=「憧れ・嫉妬・友情」といった人間関係を伴うもの

の2種類に分類可能である。

関係性感情を抱くには、最低でも2人が存在しなくてはならない。(寂しい、という感情は少し話がややこしくなる気もするが) 表記のため、AやBという人物を登場させた場合は

  • A := 関係性感情を抱く主体
  • B := Aが関係性感情を抱いた対象

である。3人以上が必要になった際は、C以降のアルファベットを用いて適宜適切に定義する。 また、AやBが複数人の場合、As、Bsと表記することとする。

関係性の構成要素

AとBが何らかの関係である、といった場合、その関係性は

  • AからBに向かう関係性感情
  • BからAに向かう関係性感情
  • 純粋関係性:=AとBの間に横たわる何か

から構成されていると考えられる。 そのため、関係性を指しているのか関係を指しているのか紛らわしい際には「友人関係」と「友人感情」のように使い分けることとする。

純粋関係性とは

純粋関係性は、そこに何かある気がするからとりあえず名前をつけといたサムシングである。

純粋関係性が存在する気がする、という感覚は登場人物が3人いるとわかりやすい。 A,B,Cが友人関係にある、といった状況を考えよう。 3人共一緒に居るときの会話や雰囲気は

  • AからBとCへの関係性感情
  • BからAとCへの関係性感情
  • CからAとBへの関係性感情

の足し算で説明するのは少しむずかしい気がする。 無論、「関係性感情を組み合わせるだけで説明できない」という証明をしたわけではない。 従って、純粋関係性は要するに、後々説明ができなくなったときの予防線である。

非対称な関係性感情

AがBに憧れている、という場合、憧れという関係性感情を抱いているのはAのみであり、Bが憧れているかは全く分からない。 また、AとBは友人関係にある、といえば友人感情という関係性感情は双方向であると考えて良くても、AはBが友人だと考えている、だと一気にきなの匂いがする。

この性質が恋愛において顕著である。言葉の混乱を避けるため、語の整理をする。

  • 恋愛感情 := AがBを好き、という関係性感情である。
  • 片思い関係 := AがBに恋愛感情を抱いているが、BはAに恋愛感情を抱いていない、という関係性である。
  • 両思い関係 := AとBが互いに恋愛感情を抱いているという関係性である。交際しているかは問わない。
  • 恋人関係 := AとBが両思い関係であり、交際しているという関係性である。

恋愛感情と他の感情との比較

恋愛感情を様々な感情と比較することで、恋愛感情の特徴を考察したい。 共通点を挙げるよりも違いを挙げるほうが「挙げるべきか無視するべきか」の判断が容易であるため、違いを考えることを中心としたい。 また、各感情の定義は明確にしない場合が多いだろう。これは「する必要がない」からではなく、「してたらキリがない」あるいは「循環論法に陥る」からである。

嫌悪感情との違い

恋愛感情と嫌悪感情は共に関係性感情であると考えられるが、感覚として大きく異なる感情でもある。 恋愛感情と嫌悪感情の最大の違いは、好意の有無である、と考えることが出来る。 そのため、まず好意と嫌悪感情の違いを考えたい。 以下、好意を好意感情と言い換え、

好意感情 := 恋愛感情・友人感情・家族内感情に共通する関係性感情

とする。

好意感情と嫌悪感情を比較すると、嫌悪感情になくて好意感情にある特徴として、以下のものが挙げられる。 なお、これらは典型的な好意感情に存在する特徴であり、それぞれの例外は各論的に扱う。

  • 利益性:=その関係性により利益を得るという性質
  • 共益性:=利益が一致するという性質
  • 同調性:=意見が一致するという性質
  • 同好性:=好むものが一致するという性質
  • 同情性:=相手の感情に連動するという性質
  • 同派性:=味方も敵も共有するという性質
  • 一緒欲:=共にいる時間をより長く過ごしていたいという欲求

また、好意感情と嫌悪感情に共通する特徴として、すこし考慮したいのが

  • 反射性:=相手が自分に対して抱いている感情が、自分が相手に抱く感情と同じになる

という性質である。 以下、各性質について各論的に見ていくとする。 また、以下で使う「友人」という語は「家族」や「恋人」という語と入れ替え可能である。 ここで友人、という語を使うのは、「最もシンプルな好意感情に基づく関係」であると考えられるからである。

利益性

好意感情を抱く対象がいるというのは、いない場合に比べて特をすることが多い、と考えられる。 これは、友人からプレゼントをもらうことが出来る、という非常に物質的な利益から、安心できる、という精神的な利益まである。 なお、「プレゼントをもらう」というのは「BがAに対して友人感情を抱いているとき」に起きるイベントであり、利益性の大きな部分は「友人感情」ではなく「友人関係」に負うものが大きい、ということに注意が必要であるである。 このような「関係性からくる利益」は共益性で扱い、以下は一方的な好意感情であっても得られる利益性について考察する。

一方的な好意感情であっても、上に挙げた「安心できる」という利益は得られる場合は少なくない。 これは一緒欲が満たされる、同情性により快楽が得られる、といった他の性質からくるものだと考えられる。 また、一方的な感情であっても「BもAに対して好意感情を抱いている」と錯覚することで、好意関係から得られるその他の利益を妄想している、という場合もあるだろう。

全ての友人関係が利益をもたらすとは限らない。 例として、口うるさい親が言いがちな「あの子と遊ぶのはやめなさい」というやつである。 あるいは、口うるさい先生が言いがちな「己に如かざる者を友とすることなかれ」というやつである。 また、友人関係を盾に実際にはいじめが行われている、ということもよくあるだろう。

ここで注意が必要なのは、利益の定義である。 「あの子と遊ぶのはやめなさい」「己に如かざる者を友とすることなかれ」というのは「その子と遊ぶことで悪影響を受ける」からである。 言い換えれば、学力や社会的地位、品位、徳といったものが損なわれるからである。 しかし、本人にとって例えば「楽しい時間が学力よりも重要」なのであれば、その友人関係は本人にとって利益のある関係である。 いじめ、に関しても「孤独よりはいじめられていたほうがいい」と本人が思っているのであれば、認めたくはないが、それは一種の利益なのだろう。 逆に「一緒にいても一切楽しくない相手」であっても「自分のステータスのため」に友人感情を抱いている場合も想定される。

あくまでも直感ではあるが、どの側面においても一切利益のない友人感情を想定するのは非常に困難である。

共益性・配慮性

プレゼントを送る、という行為は言い換えれば「自分のもとからプレゼントの所有権がなくなる」ということであり、好意感情を抱いている相手に対してでなければ理解に苦しむものである。 この説明として、「Bが利益を得ることはAの利益になる」という好意感情の性質が考えられ、これこそが共益性である。

共益性が生じる要因には同派性の場合と同情性の場合があると考えられる。 まず同派性の場合である。 自分の友人が利益を得るということは、自分の属する党派の力の増強を指し、その増強の恩恵はプレゼントの所有権を失った恩恵を上回るだろう。 あるいは、同情性の場合もある。 自分の友人がプレゼントをもらって喜ぶのは、自分も嬉しい、という恩恵である。 相手との関係性にもよって、この2つの比率は異なるだろう。

プレゼントを送る理由として「逆にプレゼントをくれるだろう」という打算も想定できる。 しかし、これは「恩を売る」という「好意がなくても取る行動」であり、好意特有の行動とは言えない。 一方で、「友人なら返してくれるだろう」という信頼性(同調性の一環と捉える)があればこそ、好意のある相手に比べて成功率の高い打算であることも注意しなければならない。 また、バレンタインデーのチョコレートのように「コミュニケーションの一貫としてのプレゼント」もあるだろう。 しかし、「コミュニケーションの一環としてのプレゼント」もまた、好意特有の行動ではない。

利益性のところで述べたとおり、友人関係における利益性の一部を担保しているのは共益性である。 すなわち、AとBが友人関係だとAが得をする、というのは、BがAにとって共益性のある相手だから、である。 逆に、BはAが利益を得ることでB自身が利益を得る、という話も可能だろう。

同調性

友人関係にある相手とは意見が一致することが多く、友人感情の相手と意見を合わせることもまた多い。 無論、友人と議論を楽しむ人間は多く、友人だからこそ気兼ねなく持論を展開できる、という側面は多い。 しかし、自分の嫌悪する相手と比較すると、意見が一致することが多いように感じる。

同調性は他の「同○性」と非常に強い関連を持つ事は言うまでもない。 同好性は、その対象への意見(好ましく思うという意見)が一致している、と言える。 同調性が理論的だとすると、同情性は同調性の感情的バージョン、と言える。 意見は頻繁に党派性と結びつき、意見の一致は派閥の一致に直結する。

意見が全く一致しない相手、を思い浮かべてみると、その相手に好意を抱くのは少々ハードルが高いように感じられる。 その相手と一緒に居る状態で想定できるのは主に以下の3つである。

  1. AとBがお互いの異なる意見を主張する(議論する・喧嘩する)
  2. 一方が自分の意見を言い、もう一方が賛同するか、黙る
  3. 二人とも黙るか、少なくとも意見が一致しない話題を避ける

ここで、2と3は「同調性を尊重した結果」の行動であると考える。 もし1の状態が好ましい状態だとするなら、だれもわざわざ自分の意見を偽装したり、黙秘したりすることはしないだろう。 1の状態、つまり「同調性の不在の露呈」が好ましくないからこそ人は人におもねるのだ。

1の状態が好ましくないのは何故だろうか? それは意見の相違が通常、対立あるいは対決の様相を呈するからであろう。 意見というのが、論理展開の末に導かれたものだとすると、意見の相違とは「どちらかの前提か論理展開が間違っていた」ということを意味する。 言い換えれば、自分の知識も推論も間違っていなかった、ということを保証するには最低限、相手の意見を否定する必要があるのだ。 端的にまとめると、同調性の不在下では自分を守るために相手と対決する必要が出てくるのだ。

もちろん、いわゆる「建設的な議論」というのは「議論が対立的である」という話の例外であろう。 大抵の場合、2つの一見相反する意見は、どちらも少しずつ合っていて、少しずつ間違っている。 2人の意見をいい感じにブレンドさせたものこそが真実である。 こういった結論を導ける議論はあまり、対決の様相を呈さない。

しかし、建設的な議論というのはそもそも非常に難しいものである。 建設的な議論の結論は多くの場合、自分の最初の意見とは違うのだから、少なからず持論の否定を伴う。 少なくとも自力でその結論に到達出来なかった、という事実は動かしがたく、プライドが損なわれる場合もあろう。

逆に、自分以外の誰も持論に賛同しない世界を生きてきて、そこに賛同者が現れたら、好意を抱くのは容易なことだろう。 自分の言う一言一言に賛意を示されることも、相手の言う一言一言がまるで自分のセリフに聞こえるのも、嬉しい体験だ。

同好性

友人とは趣味が合うことが多い。趣味から友情が生まれることも多い。友人の趣味を真似することも

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