- Willliamson(2000), Knowledge and Its limits.
- 2015/05/27 担当:渡辺
- 2015/07/24 sec. 3 担当:渡辺
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この章前半で説明すべき直観:
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主張は,それ独自の構成的規則をそなえた,発話行為である.
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主張の構成的規則のなかには,主張するには証拠〔evidence〕を持っているほうがよい,というものが含まれる.
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確率的な証拠だけでは,主張するには足りない.
- くじの結果を知るまえに,確率だけを根拠にして「そのくじはハズレだ」と主張すると,主張の規範に反する.
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「エキスパートくじ」(後述)を根拠に「pだ」と主張すると,主張の規範に反する.
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主張に対して,知識を持ち出す反応は標準的である.
- 「そのくじはハズレだ」「きみはどうして知っているのか?」
- 「そのくじはハズレだ」「きみはそうだと知っていてそう言ってるのか?」
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「Aであり,私はAとは知らない」という形式の主張はおかしい.
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この章前半での争い:
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against 真理説:主張の規範とは,「真理ルール」+発話一般の規範である
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for 知識説:主張の規範とは,「知識ルール」+発話一般の規範である
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against 懐疑論
- 知識説をとっても懐疑論(だれも主張の規範を満たせないのでは?)には陥らない
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重要用語
- 証拠〔evidence〕
- (EV) 私にとってeがhの証拠になる,iff. 私の証拠がeを含んでいて,かつ, eのもとでのhの条件付き確率P(h|e)がP(h)より大きい.(p. 187)
詳しくは9章(p. 184-).9章では知識と同一視される(E = K ってやつ).
- 保証〔warrant〕
- 主張に関する正しい単純説において性質Cの役割を果たす,証拠的な性質
なお,証拠的な性質については10章(p. 209-)で
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主張とは,
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内的な判断に対応した外的な行為である.
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判断と信念との関係は,行為と状態との関係と似ている.
- 〔たぶん,信念をいくつか持っていると判断が動機づけられる,状態をいくつか知っていると行動が動機づけられる,というようなことかと.ただし,知覚判断の場合など,入力になるのが信念以外のものである可能性もある.〕
- 〔判断:信念を出力する,コミットメントを持つ〕
- 〔行為:状態を出力する〕
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信念
- 知識
- 知識でないもの
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主張の評価〔prise / criticism〕
- 情報がある・ない〔informative〕
- 関係する・しない〔relevant〕
- 誠実である・ない〔sincere〕
- 保証がある・ない〔warranted〕
- 言葉が練られている・いない〔well phrased〕
- 丁寧だ・でない〔polite / rude〕
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発話行為は規則によって構成される
- 跳躍行為とは異なる
- cf. 行為構成的規則
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ただし主張の場合,すべての規則が同レベルというわけでもない
- e.g. 関連性:もっと一般的な認知的規範〔?〕から派生
- e.g. 言葉が練られている:もっと一般的な認知的規範〔?〕から派生
- e.g. 丁寧さ:もっと一般的な社会的規範から派生
- 主張に特有の規範(構成的規則)もあるはず.それはなにか?
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構成的規則と慣習〔conventions〕とのちがい
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ある規則に従わなければならないのは必然
- ある規則がある行為を構成するならば,その規則はその行為にとって本質的でもある.
- 本質的なのだから必然というわけ.
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ある慣習に従わなければならないのは偶然
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言語もルール
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狭い意味の言語:意味論的・統語論的・音素的ルールを本質として持つ(Lewis, 1975)
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広い意味で言語をとらえることはここではむだな混乱を招くのでよそう
- たとえば,狭い意味の言語が本質として持っているルールが変わったとしても,広い意味のほうの言語は同一でありつづける(因果的連続性)
- 言語 L をしゃべるという慣習を持つひとびとが,のちに別の言語 L* をしゃべるという慣習を持つようになることはある
- 〔ここでは言語を構成するのはconstituitive rulesだがどんなconstituitive rlesからなる言語を選んでしゃべるのかはconventionsに依存すると言っている?〕
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発話行為(狭い意味の発話行為)もルール
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今後はruleって言ったらconstituive ruleね
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あるゲームGについて,「G のルールはなにか?」と「そのルールに則ってみんなでゲームする際の,非循環的な必要十分条件はなにか?」とは違う問いです
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前者の答えはアンパイアならだれでも知っているが,後者の答えはそうでない
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言語の場合も同じね
- 〔おそらく(fundamental) theory of meaning vs. semantic theoryのような違い?〕
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発話行為の場合も同じね
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この章では主張について,前者の問いを立てている
- 後者を完全に無視できるわけではない
- じっさい,主張のルールとはこれこれだという仮説を立てたら,発話行為を実行するための条件について少し考えを持っておいて, その条件を満たしているかどうか考える必要がある
- ただこれは後者の問いに完全な答えを与えなくてもできる
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構成的規則は,遂行の必要条件を決めるわけではない
- 規則に従うことが,遂行の必要条件なのではない(破っても即座に失敗というわけではない)
- 規則を破っているか従っているかに敏感であること,というのが遂行の必要条件かもしれない
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構成的規則は,その規則によって構成される実践のうちで規範性・権威を持つが,これは特殊な規範性である
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道徳的な規範性ではない
- 偽なことを主張したら道徳的に非難されるだろうって?
- でも非難されているその主張に欠陥があるというのは,構成的規則のもとで初めて可能になるのであり, 道徳的規範によって構成されるのではないですよね
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目的論的な規範性でもない
- 構成的規則を破ってはいないが目的を達しない行為というのはある
- 構成的規則を破ってはいるが目的を達する行為というのもある
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仮説(C説):主張の規則とは,命題の性質 C に基づいた,以下のような単一の規則である
- Cルール
- 主張の参加者はだれでも,以下のようにしなければならない:命題pが性質Cを備えるときのみ,pと主張する
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Cルールは……
- pがCを備える + pと主張する:禁じない
- pがCを備えない+ pと主張する:禁じる!
- pがCを備える + pと主張しない:禁じない
- pがCを備えない+ pと主張しない:禁じない
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主張にはほかの規則もあるだろうって?
- それは,Cルールと,主張以外のことをするときでも行う考慮とが合わさって生じただけの派生的なルール.
- 〔たとえば,丁寧さの規則などはそうだろう.〕
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Cルールを満たす主張は,ほかの派生的な規範を破っていたとしても,重要な点で正しい〔correct〕と言える.
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このC説の形式の説明を「単純な〔simple〕」説明と呼ぶことにしよう
- 〔なぜ形式かって? 性質Cの候補をこれからあげていくからさ! この章ではCとして知識を擁護することになる〕
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偽な主張を禁止するルールは候補になりそう(真理説)
- 真理ルール
- 主張の参加者はだれでも,以下のようにしなければならない:命題pが真であるときのみ,pと主張する
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Grice, 1989の格率のうち,以下のものを満たす
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「自らの寄与を真にせよ」
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「偽であると信じることを言うな」
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「十分な証拠を持たないことを言うな」
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主張者の認識論的状況にセンシティヴな候補もある
- 保証ルール
- 主張の参加者はだれでも,以下のようにしなければならない:命題pと主張する保証を持っているときのみ,pと主張する
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この保証説は,真理説からラッキーな推測を排除したもの
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いくつかバリエーションはあるが,そのひとつは:
- ある主張の内容は,その主張をしてよいような保証を持つにはどうすればいいか,という条件に左右される
- もしくは:ある主張の内容は,その主張をしてよいような保証を持つにはどうすればいいか,またはその主張に構造的に関連した主張をするための保証を持つにはどうすればいいかという条件に左右される
- 構造的に関連:たとえば,当該の主張の__否定__のためにはどういう保証を持ってくればいいか,みたいなやつ
- 真理は保証になるので,保証ルールから,〔真理説が言いたかった〕真理の規範が導出される
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こういう,主張の内容〔命題p〕の説明に真理を持ちこまないような説明は,反実在論的説明と呼べるだろう
- 〔意味の検証説〕
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保証ルールを埋め込んだ説のうち,上とは根本的に異なるものもある.その説では,保証があるとは,知っているということだ,と考える.
- 知識ルール
- 主張の参加者はだれでも,以下のようにしなければならない:命題pと知っているときのみ,pと主張する
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pが真であることはpと知っているための必要条件のひとつなので,真理規範は導出可能
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どこが上の説と根本的に異なるのか?
- 真理と保証との関係が異なる
- 上:pという保証があることから, pが真であることが抽象される
- 知識ルール:pと知っていることから,pが真であることは抽象されない.pの知識はpに概念的に先行しない
- 〔抽象ってなんのこと? 本文中ここにしか出てこないが,保証があることから真であることが抽象される場合、真を使わずに保証だけで主張の規範を説明できる,ということだと思われる.〕
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知識,信念,証拠,真理のもっともらしい結びつき〔知識とは,十分な証拠があって真でもあるような信念である〕を仮定すれば,真理説同様に以下の格率を満たす
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「自らの寄与を真にせよ」
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「偽であると信じることを言うな」〔偽ならばそれは知識ではないはずなのだから〕
- 注3:pだと知っているが不合理にも¬pだと信じてもいる場合に,pだと主張することはグライスの格率「¬pと信じることを言うな」には反するが,Gazdar 1979の格率「知っていることだけを言え」なら反しないし,誠実性条件にも反しない.
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「十分な証拠を持たないことを言うな」〔十分な証拠がないならそれは知識ではないはずなのだから〕
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〔なお,ここでの仮定「知識とは,十分な証拠があって真でもあるような信念である」は実在論的仮定で,これを認めると,保証を手に入れることは不可能だが真である,というような命題を認めることができる〕
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本章の主張は,この知識説が正しく,「主張を保証できるのは知識だけ」である,というものである
- ここでいう「保証」とは,主張に関する正しい単純説において性質Cの役割を果たす,証拠的な性質,という意味のテクニカルターム
- 保証
- 主張に関する正しい単純説において性質Cの役割を果たす,証拠的な性質
- 偽な主張は知識ルールに反するが,合理的である場合があり,そういうとき,そう主張するのはもっともだ〔warranted〕,と日常的には言う
- ただし,この日常的な「保証」,つまり主張が合理的であるということすらも,知識ルール+主張以外のことをするときでも行う考慮によって説明できるようになるはず
- そういう合理性についての規範〔こういうときにはウソをつくべし,とか〕には使わないような意味で,ここでテクニカルターム「保証」を定義しておいたわけだ
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じつは,真理ルールだけだと,ほかの言語行為から主張を区別するのには足りない.
- p と推測する〔conjecture〕:主張より規範がゆるいが,推測したpが真であったら,その推測はよい推測だろう
- p と誓う〔swear〕:主張より規範がきついが,誓ったpが真であったら,その宣誓はよい宣誓だろう
- p と主張することはこの中間でしかない.主張を真理ルールだけでほかの言語行為から区別できる,という真理説はおかしい.
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主張するには証拠を持っているほうがよい.
- つまり,主張には証拠の規範がある.
- 問題は,この証拠の規範が,派生的な規範(真理説によればそう)なのか,非派生的な規範(知識説によればそう)なのか,である.
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真理説によれば,真であるときのみpと主張せよ,というルールから,真である証拠を持つときのみpと主張すべきだというルールが派生するはずだ,ということになる.
(1) あなたが(pが真であるときのみΦ)しなければならないならば,あなたは(pが真だという証拠を持つときのみΦ)すべきである.
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ここで,後件に出てくる「すべきである」は,“する理由を持つ”という意味.
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ルールが禁ずることから,ルールがあなたにそうしない理由を与える,ということが出ている.
- 〔あなたはサッカーをするうえで,他のプレイヤーにとびかからない理由を持っている.これは,サッカーのルールが他のプレイヤーにとびかかることを禁じているからだよね.〕
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さて,どれくらい重い証拠が求められるかは,状況によってちがう.
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このちがいは,真ではない主張をすることに,どれくらい悪さが帰属されるか(pが真でなかったときどれくらい悪いことが起きるか,pが真でない確率はどれくらいか,など)のちがい,なのだろうか?
- もしこれが正しければ,真理説で説明になっているわけなのだが……
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そうではない.
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pが真である確率がめちゃくちゃ高いのに,pと主張するとルール違反になるケースがある:めちゃくちゃハズレの多いくじケース
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pが真でないときの悪さがめちゃくちゃ小さいのに,pと主張するとルール違反になるケースがある:少額だしすぐ結果が知られるくじケース
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どちらでも,結果を知るまえに確率だけをもとに「そのくじはハズレだ」と主張したら非難される
- 結果としてほんとうにハズレだった場合でも,やはり非難される
- 持っている証拠の権威〔authority〕を越えることをやったかどで,非難される
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たとえば「必要とされるよりも多くの情報を与えるな」の格率から証拠の規範が出てくるのだ,と言って真理説を擁護できないだろうか?
- 〔真理説は「単純な」説明なのでルールは1つだけのはずだが,主張以外にも適用される一般的な格率は,もちろん真理説も使って善いことに注意.〕
- 証拠がないことを主張すると,〔確率的に考えたらわかるし,わかるとお互い知っているわけで,そんなことをわざわざ言うということは,こいつ内部情報を持っているんだな……というわけで〕このひとはくじの結果について内部情報をもっているんだなという,誤った想定を聞き手に与えてしまうだろう.これはこの格率に反する.これが証拠の規範の根拠……か?
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擁護できない.会話の格率は,証拠の規範の根拠にならない.
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格率に反するにもかかわらず主張の規範には反していないケースがある.
- 事例(a):私が主張するのが「そのくじはほぼ確実にハズレだ」であるケース.
- 言わずもがなの情報が与えられたので,格率より,〔確率的に考えたらわかるし,わかるとお互い知っているわけで,そんなことをわざわざ言うということは,こいつ内部情報を持っているんだな……というわけで〕私はやはり誤った想定をする.
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格率に反しないにもかかわらず主張の規範に反するケースがある.
- 事例(b):確率的に考えたらどうなのかあなたは知っている,とは明らかでないケース.
- この場合,「そのくじはハズレだ」は必要な情報なので,格率に反しない.〔そうなのか! わからなかった……もしくは,わかっていたが,それを会話の共有知識にしてくれてありがとう……というわけで〕
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さらに,もし会話の格率だというなら,含みのキャンセルがきくはずだが,きかない.
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「そのくじはハズレだ.おっと,内部情報を持っているわけじゃないよ」
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主張のあとこのようにつづけた場合でも,やはりこの主張は非難される(証拠の権威が増えて非難されなくなったりはしない)
- 〔ただし,キャンセルが効かないことがただちに会話の含みではないことを意味するか,というとそうでもない.たまたま見つけた論文だが,たとえばBurton-Roberts, "Cancellation and Intention"(2010)では,特定の文脈でだけ持つ含み particularised implicatureはキャンセルできない,と言っている. http://www.ncl.ac.uk/elll/assets/pdfs/Publications/NBR/CancellationAndIntention.pdf 〕
- 〔特定の文脈でだけ持つ含みとしては,「ローストビーフはどうなっちゃったの?」「この犬はうれしそうにしてるね」の含み(ローストビーフはこの犬が食べた)があげられる.〕
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くじすべてについて連言をとって「どのくじもハズレだ」と主張したら偽になってしまう〔1つはアタリがあるわけなので〕から,どのくじについても,「そのくじはハズレだ」と主張することは真理ルールに反してしまうのだ,という線で擁護できるだろうか?
- できない.
- チョコレートの例:チョコレートをひとつ食べる理由が,すべてのチョコレートを食べる理由になる,などということは,どんな理由についても成り立たない.
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真であることと十分な証拠があるということとは,連言という点でみるとぜんぜん違う.
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真な連言肢の連言は真
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それぞれ十分な証拠がある連言肢の連言だからといって,十分な証拠があることにはならない.
- アタリがなく,ほんとうにどのくじについてもハズレなくじであっても,「そのくじはハズレだ」が主張の規範に反するかもしれない.(DeRose 1996)
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くじのケースで主張する保証がないことから,日常的な主張のほとんどについてもその保証がないことが帰結してしまわないだろうか?
- だいじょうぶ.11.3 で説明する.
- ここで言いたいのは,確率的な根拠〔bases〕は日常的には,主張には不十分とされる,ということ.
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真理ルールで説明すべき〔真理ルールだけで特徴づけられる〕発話行為としてふさわしいのは,pと言う〔say〕という発話行為かもしれない.
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主張じたいには,真理ルールには還元できない,非派生的なルール(証拠のルール)がある.
- そしてそれは知識ルールではないか.
- 証拠の権威を越えたかどでひとを批判するとき,「でも,これがハズレだなんて 知らない じゃないか」と言うでしょう.
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どんな命題 p についても,その確率をめちゃくちゃ高めることができる.
- エキスパートのくじの例
- pかどうかの答えを知っているエキスパートが,アタリくじにはpか¬pのうち真なほうを,ハズレくじには偽なほうを書いておく.
アタリくじは100万分の1.
あなたのところに¬pと書かれたくじが来たとすると,
あなたが持っている証拠のもとでは,pと主張すれば,その主張が真である確率は偽である確率より約100万倍高い.
なお,pについてほかに何か証拠を持っていたとしても,その証拠が確率的ならば,必ずその証拠からの確率を上回る証拠になるようなくじが作れることに注意.
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ところがこのケースにおいて,あなたには p と主張する資格はない.
- p <=> 私のくじはハズレ は真(仮定より)なので,確信を持って主張可能
- ということは,pと主張するならば,「私のくじはハズレだ」と主張することになる.
- だがあなたには「私のくじはハズレだ」と主張する資格はない.
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いちおう,pを支持する確率1な証拠があるならば,どんなくじを作ってもくつがえせない.
- でも「私が存在する」みたいな主張は確率的証拠から保証されるわけじゃないよね.
- 1未満の確率的証拠が主張を保証することはない,というのがここで言いたいこと.
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最善の説明への推論は,知識は与えないけど,主張を非確率的に保証するということがあるかもしれない.
- これは確率が高いせいで非確率的な保証を与えているという例ではない.
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最善の説明への推論のおかげで保証はあるが,確率は0.8ぐらい,というケースと同時に,最善の説明への推論が使えないので保証はないが,確率は0.9ぐらい,というケースがある,ということはありえるか?
- もし,最善の説明への推論が使えなくても,保証があるものよりさらに確率が高いのだから保証がある,ということがあるとすると,矛盾が起きる.〔特に論証がないので,以下で再構成しておきます〕
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最善の説明への推論が使えなくても,保証があるものよりさらに確率が高いのだから保証がある,ということがあるとすると,矛盾が起きることの証明
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証拠のもとでpがqよりありそうになく,かつ,pを主張する保証を持つならば,qと主張する保証を持つ,とする.(仮定)
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くじによっては,qと主張する保証を持つことはできない.(直観)
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めちゃくちゃアタリが少ないくじを作れば,どんなpよりも確率の高い証拠を,qに与えることができる.(エキスパートくじの議論)
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主張する保証を持つような適当なpを持ってくれば,仮定より,それよりありそうなqも,qと主張する保証があることになる.
- これは直観と矛盾.
- したがって仮定が偽.
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ここでいう確率とは,証拠のもとでの確率.
- 客観確率ではない:過去時制の主張についても主張の保証の程度に違いがあることがありうる.
- 主観確率ではない:根拠のない確信は,主張の保証にはならない.
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あるひとにとっての証拠とは,そのひとが知っているようなそんなことである
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9章〔evidence〕,10章〔evidential property〕で議論したとおり.
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ただし,証拠とは,主張の規則のもとで主張を許されているような命題だけで構成されている,ということは仮定しておく.
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あるひとがpと知っているならば,そのひとにとっての証拠のもとでpである確率は1,
- ただし,知識は発見などでくつがえることがあるので,確率1だからといって,どんなpでも命を賭けて惜しくないなどということにはならない.
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このことだけで確率の概念を定義することはできないことに注意.
- pがある程度複雑なトートロジーのとき,たしかに確率は1だが,ふつうの確率とはちがう.
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証拠のもとで確率が1であることだけを主張すべし,という基準は,知っていることだけを主張すべし,という基準より厳しくなったわけではない.
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すべての経験的知識は確率的な基礎を持つが,だからといって懐疑論的含意は出てこない.
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ここで基礎〔basis〕の2つの意味を区別すべき.
- 因果的意味:知覚的信念は,環境に因果的に結びついているが,この結びつきは確率的.
- 証拠的意味:知覚的信念は,確率的証拠によっているのではない.
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くじのケースは確率的証拠によっているが,知覚的知識や日常的な知識は,確率的証拠によっているのではない.
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主張に対する標準的な反応は,「どうして 知って いるのか?」というもの.
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たとえば「どこでそれを読んだ?」という反応は適切ではない.読んだのかどうかという規範は主張にはないのだ.
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「どうして知っているのか?」ときかれて答えられないということは,保証がないことを含意している.
- 知識説はこのことを簡単に説明できるが,ほかの説では難しい.
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同様に,「知っているのか?」という反応が攻撃的であるということも,知識説を確証する.
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知識だけが主張の保証であり,ほかのものでは保証になれないからこそ,「知っているのか?」が攻撃になる.
- 「いいえ」と答えたら保証がない=主張の規範に反したと認めることになってしまう
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「Aであり,私はAとは知らない」という形式の主張はおかしい.なぜか?
- 知識説によれば,これを主張するには,「Aである」と私が知っており,かつ,「私はAとは知らない」と私は知っている,ということでないといけない
- ということは,「Aである」と私が知っており,かつ,「私はAとは知らない」が真である,ということでないといけない(知っているならば真であるので)
- これは矛盾.
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つまり,知識説によれば,「Aであり,私はAとは知らない」という形式の主張がおかしいのは,この形式の主張はどうやっても保証を持てないからだ,ということになる.
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ただの証拠ルールではうまくいかない.
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知識説以外の証拠ルールのもとでは,「Aである」という証拠を私が持っており,かつ,「私はAとは知らない」という証拠を私が持っている,ということになる
- たとえばくじケースでは,「あなたのくじはハズレだ」には確率的証拠があり,「あなたのくじはハズレだとは私は知らない」にも証拠がある〔直観が証拠?〕
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これはべつに矛盾しないので,もとの主張のおかしさを説明できない
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ついでにいうと,ムーアのパラドクスの信念版である,「Aであり,私はAと信じない」と主張するのがおかしい,ということも,同様に説明できる.
- 「Aである」と私が信じており,かつ,「私はAとは信じない」が真である(知っているならば信じているのだし,知っているならば真であるので),は矛盾である.
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「Aであり,私はAとは確信していない」という形式の主張はおかしい.なぜか?
- 「Aである」と私が確信しており,かつ,「私はAとは確信していない」と私は確信している,ということでないといけないからか?
- もしそうだとすると,主張にはじつは知識ルールより強いルールが必要だったことになるが……
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じつのところ,「Aであり,私はAとは確信していない」と主張できないことはない.
- 会話のパターンで見ると,主張「Aだ」への反応として,「Aだと確信しているのか?」は強すぎる
- 確信の基準を持ち込むことは,ふつうの主張の規範よりきびしい基準の文脈へと移行するということである.
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知っていること・主張すること・確信することのあいだにここで想定したつながりからは,懐疑論の危険がありうる.
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Unger, 1975を参照〔我々はなにかを知ることができないという懐疑論を推し進めて,何かする理由を持ったり,何かに感情を抱いたり,何かを信じたり,何かを言ったりすることすらできない,と論じた〕
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対応策としては,認識基準の文脈的変動を認める手がある.
- 「知る」の基準は文脈によって変化する(意味が変化したり,指標詞的な意味が不変だったりすることによって,内容が変化する)
- それなら,「主張する」の内容も文脈によって変化するだろう.それでも共通点はある.
- 〔ここで言う「確信する」のようなきびしいルールのもとで使われる文脈も,「デカルトの基準で絶対的に確信する」のような非常にきびしいルールのもとで使われる懐疑論的文脈もある〕
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- 〔pと知らないのにpと主張しても「理にかなっている」ことがあるが,これは知識説と矛盾しない.〕
- 〔pと主張する際にpと知らなくてもそこまで大きな問題にはならないが,これも知識説と矛盾しない.〕
Unger, 1975
http://philpapers.org/rec/UNGIAC-2