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@hackugyo
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3.3 The Twofoldness Claim

  • disjointed objection(2つをなぜ混同しないのか?)

    • 表面には注意を向けていないからOK

3.6 The Three Folds

  • a. 2次元的な,絵画の表面
  • b. 絵画の表面が視覚的にエンコードしている,3次元的な対象
  • c. 3次元的な,描写された対象

3.6.1 The picture surface(A)

  • 認知的侵入を認めるのか?(非知覚的状態が知覚経験を変化させる)

    • 想像で認知的侵入が起きることは認めるが,これがa. において起きているとは認めていない.

3.6.2 The three-dimensional object visually encoded in the surface(B)

  • ダルメシアン絵画の例では,現象学的な変化が起きている.

    • (知覚的な想像ではなく)命題的な想像(p. 8のあたりで定義されたもの)で説明することはできない.

3.6.3 The depicted object(C)

4 Aesthetically Relevant Properties

4.1 Attend or Ignore?

4.2 Aesthetic Properties

4.3 Aesthetically Relevant Properties

4.4 Aesthetically Relevant Properties versus Aesthetics Properties

5. Semi-Formalism

5.1 Attend or Ignore (Again?)

  • 「美的にrelevantな性質」を4章で定義した
    • この性質へのattendingから美的な違いが生じる
  • ではこれをどうやってidentifyするか?
    • Formalism:美的にrelevantな性質を根本的に制限してしまう立場.〔まちがってはいるが〕見るべきところがある.
    • 4章で述べたとおり,どんな性質でも美的にrelevantになれる,というのは言いすぎ.
  • 3章で,

5.2 Formalism

  • surface propertyだけがrelevant

    • Budd: それじゃrepresentational propertyまではじいてしまう.絵画を絵画として捉えられなくなっている.
    • Wollheim: そうだよね.representationalな絵画を見ておいて,representational propertiesにawareしないことなんて不可能だよね.(二層説)
  • じゃあ形のある物体までは入れよう.coloured masses

    • plastic volumeだけだとすると,同じものを違うsurface propertyで描いたものの美的評価が変わらなくなってしまう.
    • plastic volume + surface propertyだけでも,design-scene property(How)が足りないのでだめ.(前2性質だけで後者が決定されるとしても,べつの性質なのだから,後者も美的にrelevantな性質として数えなくてはいけない)
      • design-scene property: a 'relational property that cannot be fully characterized without reference to both the picture's design and to the depcited object' (Nanay 2010b, p. 194)

5.3 Why Formalism?

  • なんでみんなFormalismにひかれるのか?
    1. 描かれたものの性質は関係ないはずだから against the importance of what is depicted in the picture
    2. 観察不可能な性質は関係ないはずだから against the importance of non-observable properties of pcitures

5.4 Semi-Formalism

  • semi-formal properties: properties of the picture that depend constitutively on ( or are identical to) the picture's formal properties

    • constuituitive dependence: (dependence for its existence) it is part of the essence of x that x exists only if y exists.
  • ところでthreefoldnessを考えると,

    • A: the picture surface
    • B: the three-dimensional object it encodes
    • C: the three-dimensional depcited object
    • すると,semi-formal propertiesは,Aの性質,Bの性質,(Cの内在的性質はなし),AとBとの関係の性質,BとCとの関係の性質,CとAとの関係の性質,となる.
      • 描かれているCは,とうぜんAやBに依存した存在者ではないから.
  • 「猫を描写している」だとsemi-formal propertyには入らないが,「猫を遠近法で描いている」はsemi-formal

    • ちがいは? determinable - determinate関係だとすると,determinateなほうの性質(後者)が例化されているときにはdeterminableなほうの性質も例化されているはずだが?
    • 経験のされかたには違いがあるだろう.
  • semi-formal propertyのひとつとして,design-scene propertiesもある.

    • distributed attention
    • formal propertiesと,芸術家の意図や社会的文脈も含めたその他の性質との関係にdistibuteされていることもある

5.5 The Advantages of Semi-Formalism

5.5.1 Semi-formalism inherits at least some of the formalist intuitions

5.5.2 Semi-formalism is not obviously false

  • The first anti-formalist argument I just discussed was focusing on the first tenet of formalism:

    • "what is depicted in a picture is irrelevant to our aesthetic evaluations."
    • 視線でできた三角形のような構図はwhat is depcitedだろ
  • against the second tenet

    • "filter out the artist's intenton or the social context"
    • Walton: always perceive as belonging to a certain category.
      • semi-formalist: fully depend on non-obseravable propertiesじゃないからOK
  • The third objection: indiscernible objects

    • semi-formalist: semi-formal propertiesで見れば区別できる.信念によって知覚的な違いが生じる(認知的侵入)
    • Nanay 2015d

5.5.3 Semi-formalism is not vacuous

  • what exactly the properties in question are supposed to be?

    • formal propertiesでも,どの色を選ぶか,という作り手の意図は入っている.
    • どんな主題を選ぶか,というのも意図だが,これはformal propertiesではない.
    • Levinson 1979, 2007も同じことを言っている.芸術史的な文脈から切り離して芸術作品を理解することはできない.
  • 定義によって真な(空虚な)立場ではない.作者の生活史とかを持ち込むようなやつとは対立できる.

5.6 Semi-Formalism about Nonpictorial Art

  • 不調和な第1コードが哀しみをにじませる〔exude〕というなら,この性質はsemi-formalだし,美的にrelevantな性質であるのを拒否するのは難しい.

    • formal propetiesとemotionsとの関係は,絵画におけるdesign-scene propertiesとの関係とパラレル.
  • Hanslick 1854や,Hanslick主義者のひとりであるZangwill 2004なんかは,emotionはなんの役割も持たないと言っている.

  • コンセプチュアル・アートだとどうか.鑑賞しているのは概念だよ,という立場がある.たまたま宿っているところのart formが持っているformal propertiesは関係ない,というもの.

    • semi-formalism的対処法はいくつかある.コンセプチュアル・アートの鑑賞は,我々が説明しているような _美的_鑑賞ではないとか, _芸術作品の_美的鑑賞ではないとか.
  • Costello 2013: コンセプチュアル・アートは一枚岩のカテゴリーじゃないのでは.

    • weak non-perceptual art
      • 少しはperceptibleな美的性質がある
    • strong non-perceptual art
      • 例:Robert Barry's All the things I know
      • 媒体がないんだから,媒体があるときのsemi-formalistの議論に影響はない.

6. Uniquness

6.1 What Uniqueness? The Uniqueness of What?

6.2 Uniqueness as an Ontological Claim

  • xの持っている内在的で観察可能な性質のすべてをyも備えているとき,

    • (a) yは芸術作品ではない(からxはユニーク)

    • (b) yはよい芸術作品ではない.(からxはユニーク)

      • 〔この立場はDeweyのものとされているが,作品のがわにユニークネスを見いだすのはDeweyの立場ではないかも〕
  • でもこの存在論的な主張はだめ.

    • 〔外在的性質を加味していないから?〕
  • また,1950年代の議論ではトークンだけを扱っていたが,タイプとして芸術作品を捉える立場も登場した.そうなるとユニークネスはこれでは理解できない.

    • タイプそれじたいがユニーク,というのは些末でしかない(Mothersill 1961, p. 436)

6.3 Uniqueness and Aesthetic Particularism

  • 美的な評価的判断についてのユニークさならどうだろう?(the second classic version)

    • 一般的な評価原理に訴えて演繹しても,美的評価はできない,というやつ.
    • 非評価的な語と評価的な語とを結びつける原理がない,という主張.
  • これはparticularims 対 generalismの論争として知られている.

    • Isenberg: 複製は同じ美的性質を持つのでは.

    • いっぽう,Sibley: determinableな性質については,たしかに橋渡し原理はない.でもdeterminateな性質についてはある .〔黄色が優美だ,とは言えないが,ここのこの色が優美さに貢献している,とは言える〕

      • determinate property-typesも性質タイプではあるので,例化物を持つ
      • だから複数の例化物のケースを依然として排除できない.
  • そして,美的分野において欲しいユニークさがこれで手に入ったわけでもない.

6.4 Uniqueness and Aesthetic Experiences

  • だいじなのは美的経験のユニークさである.

  • 美的経験は,

    • それじたいでユニークであり,繰り返しがない?:経験タイプについての主張だというのは無茶だし,経験トークンについてだと些末である.
    • タイプとして同じでもトロープとして違う?:しかし美的経験だけがトロープ帰属で,他の経験はそうでない,というのは疑わしい.
    • 美的経験をするとき経験するのは,対象がトロープを持つこと,なのでは?:これは美的経験に特有かも.〔個別者との関係が知覚にとって重要,という立場.Nanay 2012d, "Perceiving Trope" とか〕

6.5 Uniqueness and Distributed Attention

  • ユニークだと,どういう態度をとったらいいかわからなくなる(どの性質に注意してどの性質を無視したらいいかわからなくなる).そこでdistributed attentionですよ.
  • だが,美的な分野だけの特徴はどこにあるのか?
    • たとえば,道徳的な分野のユニークさにはないものがほしい.他人を固有のものとして扱う,みたいなことと区別したい.
    • そこでdistributed attentionですよ.対象が,distributed attentionによってユニークなものと扱われる,ということがだいじ.
    • ただし,「無垢な眼で」というのに訴える,近年の芸術史家には不評な立場とは違う.それをこれから説明しよう.

6.6 Innocent Eye versus Unprompted Eye

  • 美的経験のなかには,はじめてなにかに出会うという経験によく似たものがある,という説

    • 異化〔defamiliarization〕という概念は2章の終わりでも出しました.ロシア・フォルマリストのところ.
    • そこでやったのと同様,シクロフスキーの宣言が典型的.(Shklovsky 1917/1965, pp. 11-12) 「認知、すなわちそれと認め知ることとしてではなく、明視することとしてものを感じさせること…」
    • 美的経験を,見慣れない〔unfamiliar〕ものと出会うことと似たものとして記述した.
    • だが,見慣れないものと出くわすときには,慣れた認知資源を使ってそれにアプローチすることがありえないわけだから,ひとは分散したやりかた〔a distributed manner〕でそれに応じることになるのではないか.
  • この路線の美的経験の説明もすぐ見つかる.Stan Brakhageの言う"untutored eye"

    • これは「無垢な眼」〔"innocent eye"〕という評判の悪い概念とかなりまぎわらしい.
      • 「緑色の」などといった概念を使わないでなにかを見るというのを強調しているので,美的経験への一般的なアプローチとしては,あの「無垢な眼」説に包摂されてしまいかねない.
    • だが,これは区別できるというのがNanayの主張.
  • 芸術史・美学史は,「無垢な眼」なる概念をやっつけるのに,20世紀後半の多くを費やしてきたと言える.

    • Ruskin 1857 が元祖とされる.
      • 引用からは,5章で見たような古典的なフォルマリズムの前提を見て取ることもできるし,

7. The History of Vision

  • distributed attentionがさも生得的であるかのように書いてきたけど,そうではないよ.歴史もかかわっている.
  • でも,この「歴史もかかわっている」説は,経験的・概念的批判を受けている.
  • だいじょうぶ.visionそのものよりも,attentionのほうが歴史負荷的だ,というのがNanayの主張だ.

7.1 In Favor of the HIstory of Vision Claim

  • 美術史:視覚文化研究において,視覚には文化史がある,というのはさしあたり真! しかし……

7.2 Against the History of Vision

反論

  • 経験的反論:modularだよ
  • 概念的反論:hard-wiredだよ

再反論

  • visionということで意味しているものがちがう.生理学的な装置ではなく,もっと広いことを言っている.
  • visionがmodularだというのは,6章で見たようにまちがい.トップダウンな処理が,視覚的処理に影響を与えることがあるんでしたよね.

7.3 Attempts at a Comromise

両極端の立場

  • Gombrich, Art and Illusion :
  • Baxandall: mode of visonがちがう.period eyeという概念でうまくまとめられる.生データと生データの解釈との対比になぞらえられる.
  • Caroll: seeingとnoticingとを区別した.

7.4 Clarifying the History of Vision Claim

  • hisotry of visonという主張はあいまい.

2つのあいまいさ

  • なにに歴史があるのだろうか.感覚刺激,知覚機構(前期視覚のほう? 後期視覚のほう?)知覚的内容?知覚的現象学?

    • 網膜の刺激処理が歴史によって変化するっていうのはありそうもない.
  • これは,現象学だよね.つまり,あるものを見るということはどのような経験であるか,という論争である.

    • でも,現象学は定義上,当人にしかアクセスできない.(8章で対処法を考えます).
  • 視覚というのはなにを見るときの話だろうか.

    • すべての知覚なのか,芸術作品を見るときなどの特定の文脈に限定したときの知覚だろうか.

7.5 Does Attention Have a History

  • 3章で論じたように,視覚の現象学は,系統的に,注意の割り当てに依存している.
  • Carrollはseeingとnoticingとを区別していて,我々がなにをnoticeするかだけが歴史によってかわるとしているが,この区別はあやしい.attendするものが変われば,知覚経験も影響されるだろう.

7.6 The History of Visual Attention

  • 2章で見たとおり,注意のしかたにもいろいろある.overt(眼球運動がある)/covert, endogenous(刺激によらない)/exogenous, focused/distributed

  • distributed attention一般が,歴史のある時点で出現した能力だ,という主張を擁護することも不可能ではなさそうだが,ここでは絵画を見るという文脈に絞ろう.

    • 画像表面と,そこで描写されているものとの両方に同時に注意を向ける,というtwofold attentionは,歴史のある時点で出現した,と言いたい.
  • ただし,風景が歴史的に変わったというだけでは,注意が変わったとは言えない.

  • 視覚的風景がいっしょで,注意だけがちがうふうに発揮される,という例を探す必要がある.

    • 1年まえは樹木についてなにも知らなかったが,植物学の講義をとってからわかるようになった.
  • 個人についてはこういう例がある.問題は,歴史じたいにもこういうことが起きるかどうか.

    • 月の知覚についてはどうだろうか.むかしは,月が球体だとは知られていなかった.満ち欠けの見方など,異なった側面に注意を向けるようになったと言えないだろうか.

      • これは視覚的注意が変わった例と言えるかどうかはっきりしない.概念化のしかたが変わった,と言えるかもしれない.
  • 視覚一般については,やはり難しそう.だが,絵画については,よい理由があると言えそうなのだ.

7.7 The History of Twofold Attention

  • 絵画を見るときに発揮されている,design-scene性質への注意には,歴史的変化がある,と言えそう.

    • いまは,絵画表面の特徴と描かれたものの特徴との関係に注目するようになっている.
    • 16世紀中葉には,筆遣いを残すようにした作品が後期ティツィアーノに見られる.
    • アルチンボルドの肖像画.絵画を描写していることと,人間の顔を描写していることとの2層に注意を向ける必要がある.同じ絵画表面でも異なるものを描写できる,ということが理解できてないと評価できない.
    • ラファエロ, ヘリオドロスの追放
  • 16世紀以前のひとびとは,これができなかったのか?

    • 当時の対象をどう描写していたか,ということだけから当時のひとの視覚についての事実を引き出すのは,方法論的にまずい.
  • 予備的な考察:この手の絵画は歴史上,わりととつぜん出現した.

  • 当時の絵画論:アルベルティは,絵画表面ではなく,描写されたものの見た目についてだけ論じている.

  • 積極的な証拠とは言えないが……

    • ものが重なっていてはいけない(occulsionが起きていてはいけない),という慣習があった.
    • 現在でも果物静物画とか,幼児の描くものとかだと残っている.
  • スコープとして西洋の観察者に限っているが,非西洋だとどうなのかはべつの課題.

  • 見るほうでなく描くほうは,以前から気づいていたかもしれない.芸術家はここでは除外しておく.

7.8 Cross-Cultural Variations in Attention

  • 歴史以外に,文化差はどうだろうか.

    • 水族館:西洋人は動く魚に注目するが,東アジア人は泡や海藻に注意を向ける.

    • 傾いている枠のなかの棒だけをまっすぐに調整する課題での文化差

  • ただし,これらの実験から歴史的な変化に結びつけるのは勇み足である.

  • まとめとしては,twofold attentionが歴史的に出現したものだというのはそれほどとっぴな主張ではない,と言いたかった.また,uniquenessも同じように歴史的に出現したものかもしれない.

    • 美的経験のような世界とのかかわりかたというのも,比較的新しいものかもしれない.

8. Non-Distributed Attention

  • distributed attention: 芸術経験の典型例

  • そうじゃないやつもある.

    • 登場人物に共鳴する
    • 物語の経験
    • 虚構へのengagement
    • カタルシス
  • でも,知覚の哲学で説明できるものがある.

8.1 Attentional Synchrony

8.2 Vicarious Experinces

  • 実践的関心があると,たしかに自分の関心のあるところにしか注目しなくなる.

  • 芸術作品のときはなさそう.まあ不可能ではないけど.

    • たしかに,自己中心的な実践的関心はない.detachmmentを含む.
  • でも,他者中心的な実践的関心はある.

  • Vicarious experience: 他者中心的な実践的関心がある経験

    • これは日常的にもあることだが,detached mannerとは区別できる.

      • 遠くにいるひとが危ない目にあうところを見る
      • スポーツ観戦でボールに注目する(観戦者の関心ではなくフォワードの関心に沿っている)
    • 自分じしんの行為だけを参照すると特徴付けられない

      • 心理状態を他人に帰属させることができないと特徴づけられないようなやつとか
  • 代わりに経験することは,心の理論や鏡像機構とはまたちがった,社会的認知の原始的なものとして理解できるかも.

    • 当人が気づいてないことでも,そのひとの関心を考慮して注意できる.
  • prompted eyeの他者版がある

8.3 Identification and Character Engagement

  • 共鳴や感情的関与,あるいは共感〔empathy〕は入れ替えてつかうこともあるが,じつはけっこう違う.

    • 「共鳴」 もいろんなことを意味する。(like, empathy, sympathyなどなど)
  • でも,中心にあるのはvicarious experienceだと言いたい.

8.4 Epistemic Asymmetry Scenarios

  • 鑑賞者と主人公とのあいだに重要なちがいがあるにもかかわらず, engagmentがとても強いものになることがある.

    • 主人公が脅威に気づいていないのに(認識的に非対称),鑑賞者は強く関与する

    • ヒッチコックの主張:

      • 強い読みだと,鑑賞者は知っていて主人公が知らないと強くなる,と言っていることになる.
      • 今回は弱い読みをする.鑑賞者は知っていて主人公が知らなくても,engagementは弱くならない.
  • この現象を説明できるのは,じつはvicarious experienceを使ったものだけではないか.

8.5 THe Challenge from Epistemic Asymmetry

8.5.1 内側からの想像説はダメ

  • 共感〔empathy〕だとするとどうか.シミュレーションとか.自分じしんがXの立場にあるということを想像する.

  • 立場〔situation〕といってもいろいろありうる.

    • 物理的状況
    • 心理的状況
    • これらの組みあわせ
    • 認識的状況(同じように銃を持った攻撃者が近寄ってきても,弱みを知っていれば脅威ではない)
  • Gaut 1999:共鳴とか,他人の状況にある自分を想像するとかいうのは,aspectualである.

    • 知覚的共鳴(同じ場所から見る),感情的共鳴(同じ感情を抱く),動機的共鳴(同じ動機を抱く)
  • 認識的非対称の場合,どういう想像をしたらいいのか.認識的共鳴だとだめ.

  • 内側からの想像説だと,状況がちがうのにどうして強いengagementが生まれるかを説明できない.

    • 反論:サスペンスのせいでは?

      • でも,ヒッチコックはサスペンスと驚きとを分けていた.後者は認識に非対称性がなく,弱いし持続しない.

8.5.2 共感説はダメ

  • Carroll: 他人に対するnon-passingな〔傍観者的ではない〕肯定的態度

    • でも極悪人に対してはこれを抱けないけど,強いengagmentは簡単だ.

8.5.3 直接知覚説はダメ

  • 直接知覚できないケースもある

8.5.4 ミラーニューロン説はだめ.

  • 認知的非対称の場合,主人公がなにもしていない場合もある.

8.6 Vicarious Experiences and Epistemic Scenarios

  • トムとジェリー(ネコに追いかけられたり罠をかけられたりするネズミのケース)

    • さきほどの説はどれもうまくいっていない.
    • 鑑賞者がvicariousなやりかたで対象を経験する,という形で説明するのがよい.

8.7 Character Engagement beyond the Visual Arts

  • 出てくるひとの行為を参照しないと読書経験を記述しづらい例

    • どんな行為をしているかがわからないとengageしづらいことを,vicarious experience説なら説明できる

8.8 Disributed and Non-Distributed Attention

  • 登場人物に強い欲求があるので,共鳴してしまう例. 桜桃の味
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