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僕がプログラミングを一時休止している理由 - 幸福が苦痛に変わる時

僕がOSSプログラミングを一時休止している理由 - 幸福が苦痛に変わる時

対象となる読者: 嫌な気分になりたいマゾヒスト

初めに

僕のプロファイルを見てもらうと分かると思うが、2024年7月現在、OSSでのプログラミングを、ひょっとしたら プログラミングそのものを一時的に止めていると思う。その理由を書いていく。

プログラミングが幸福だった時

人が幸福を感じるときは、その享楽の源泉が自身に存在するか否かで異なる。つまり、例えば君が人と話して いるとき、多くの場合は「相手がどう思っているか」を考えながら話すと思う。そして、相手が傷つく可能性に とてつもない恐怖と不安を感じながら話す。この状態は「享楽の源泉が他人に存在する。」と言えるだろう。こ の状態は、多くの人にとって(少なくとも僕自身にとって)は不幸を感じるだろう。

一方、他人がどう思おうが気に構う事もなく、自分の好きな事をしたり、自分が言いたいことを言える時、 「享楽の源泉が自分に存在する。」と言えるだろう。この状態は、多くの場合、その時において、多くの人( 先にも同じく、少なくとも僕にとって)は幸福に感じるだろう。

そして、僕がプログラミングを始め、少なくとも2013年に学生ローンを返済するために、とある仕事を請け 負うまでは、プログラミングを行う事は、自分の好きな事ができるという実感があった。つまり、 その時点においては、僕は後者の条件を満たすため、幸福であった事は間違いない。

金が全てを変えた

「悪貨は良貨を駆逐する。」と言えるのかはさておき、仕事を始めた時、プログラミングをすると、それに 応じた金が手に入る。金が手に入る事は、それを消費する事で自由が手に入る。自分のやりたいことが より自由にできる。と、多くの人は考えるだろう。しかし、享楽の源泉が自身に存在する人が、他人に対して 労働を行い、その対価を得る事は、その享楽の源泉を自身ではなく他人に引き渡すことになる。その結果、 幸福を感じる事ができなくなるのである。そしてその状況が、今の僕である。

しかし、だからといって、僕がプログラミングをやめるか、対価を得ないようにすれば、幸福を再び感じる事が できるようになるのかと言えば、おそらくむしろより不幸を感じる事になるだろう。なぜなら、 本来の享楽の源泉が他人の決断によって、「小さくなる」という事が起きかねない。プログラミングをやめた 所で、恐らくやってくるのは、他人に対する労働か、退屈がやってくるだろう。結局、僕が再び幸福を感じる ようになるためには、享楽の源泉を相手から取り返すか、自分の中に新たな享楽の源泉を作るしかないだろう。

まとめ

念を押しておくが、僕がOSSプログラミングを止めているのは一時的なものである。それで退屈がやってきたところで、 それでも僕にとっては必要なのである。そして、再び自身に享楽の源泉が戻れば、再び僕はOSSでプログラミングを することになるだろう。そして、読者諸氏は、享楽の源泉を他者に譲り渡すようなバカな真似はされないよう、注意願いたい。

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