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@jj1bdx
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The limitation of ham radio for the social acceptance: requirement of non-apartment hut-type houses and towers, beam antennas, linear amplifiers, and how the technologies have become ancient and no longer cutting-edge

「戸建て、タワー、ビーム、リニア、山」に見えるアマチュア無線の反社会性

(Originally from Facebook 20-OCT-2018)

以下は私個人の価値観の問題なんで同意していただく必要は何もないのですが、どこかで書こうと思っているので、まとめておきます。

どんな活動であっても、基本的にまず一人+社会の基本的なサービスでやれることが大事だと思っています。友達ってのはその上での偶然でしかないので、リソース確保の上では頼ってはいけないのです。しかも趣味だったらそれぞれのエゴを認めないといけないので、なおさら頼れない。共通の価値観とかあれば頼りやすいんでしょうけどね。

で、趣味として他人に勧められるかどうかを考えた時に、最初から二級市民で永遠に一級市民になれないシステムは反社会的だと思うのです。残念ながら、ピュアオーディオもアマチュア無線もそうなってしまった。巨大なスピーカやアンテナは誰もが持てるものではありません。もちろんそれらを追求してはいけないという法律はないのだけど、その方向にしかコアな人々が行かなくなったら社会的な支持は得られなくなります。結局のところ、巨大な不動産を誇示することは、社会的に見て必ずしも支持される活動ではありません。一方、手段としての(ヘッドホン)オーディオや無線(ドローンのアマチュア局での運用など)は、受け入れられているし、誰にでも開かれています。反社会的ではないのです。

そういう意味ではスポーツも音楽も、その他の活動も、どれも一級市民になれる可能性があるかどうか、あるいは自分が一級市民である状況を侵害されないかどうかで決まると思うのですね。日本でインターネットが普及しているのは、少なくとも一級市民であることを侵害しないからです。

で、残念ながら戸建ても、タワーも、私の価値観には合わないし(生活と両立しません)、そんなことを強制されるんだったら自分ではできないなというしかないわけです。ここはエゴの認められる範囲だし、他の人にそうするなと言っているわけではないので勘弁していただきたいです。リニア(>100W)は法律上の問題もさることながら、電力として扱うのは集合住宅では容易ではありませんし、ビームアンテナは結局タワー同様不動産の問題に帰着します。

他所様に不動産を所持するなという資格も権利も私にはないことは重々承知していますが、それが故に二級市民から抜け出せないのであれば、そんな反社会的なシステムは無力化して崩壊させるべきだというのが個人的な主張です。

そして「山」となると、もはや都市生活とは共存しないので、理解不能な世界に突入するわけです。世の中、「自動車」のある人達ばかりではないので。

(多様性の否定について)多様性は参入可能性が保証されて初めて成り立つものです。社会全般に対する参入可能性が保証できないものは、必然的にその権益は制限されるべきでしょう。同じことが今コンピュータ産業全般に起こっていて、古い人達が全部gatekeeperとして非難の対象になっています。別に今やってる人達が法律の範囲内でやってることを否定するものではないですが、新規参入を阻害する世界は、おそらく長続きしないだろうと思うわけです。

基本的人権を尊重しない社会は潰されても仕方がないよ、という話です。なので、最終的には価値観の問題になります。誰にでも戦争を起こす自由はあるでしょうし、それは否定しません。

これは、今、オープンソースの世界で起こっている論争を適用しているだけなので、そちらもぜひ参照していただくといいかと。ここ1〜2年ぐらいgatekeeperという単語は明らかに反社会的であるという語意で使われています。

日本の人達は「多様性」の背後にある「絶対的な参入保証」を軽視しているように思います。日本語の「多様性」はdiversityとは違うのかな、とすら思います。

既得権を変えたくないなら、二級市民を定義して弾圧するしかないのが世界の現状です。それがイヤなら参入障壁をなくすかしかありません。あるいはカネで主義主張を買うか。今この瞬間のIT産業は絶対的強者なので、カネで解決してますね。一方、オープンソースではカネが稼げなくて持たない、という話も出ていますし、絶対的な真理は存在しないのも事実ですけど。

誰にでも好かれたい、という問題ではなく、敵がいても続けたいなら、戦争する覚悟はあるか、ということです。

ソフトウェアエンジニアは「二級市民だった人達が一級市民に成り上がるために稼ぐための産業」です。これは日本でもそういう側面がありますが、北米ではさらに顕著です。二級市民じゃないか…市民ですらない移民、か。→ 二級市民だった人達が一級市民に成り上がるために稼ぐための産業

かつての「日本の中流家庭」がたしなんできたアコースティックピアノとか、ステレオ(ピュアオーディオ以前)とか、アマチュア無線とかは、もはや「贅沢品」なんですよ。そのへんはバブル以降に社会人になった人達と話すとよくわかります。私は多分彼等の側に属していて、その最たる理由は「戸建て」ではなく「共同住宅」に住んだことから始まるんだろうな、という結論に至りました。

(2019年10月20日追記: これは基本的には「プロレタリア運動」の形を変えた再興でしかない、という指摘あり)

アマチュア無線の技術の限界

(Originally from Facebook 21-MAY-2017)

今まで信じていたテクノロジースタックが実は完璧にコモディティ化して技術的新規性を失っただけでなく適用不可能な技術になりつつあることを知った時、技術者はどう行動すればいいのだろう。

今日V/UHFアマチュア無線機の技術を調べていて、その製品ライフサイクルが10年を越えるものがもうザラであるということに気がついた。 しかもそれらが新しいアプリケーションを提供しているわけでは なく 、特にデジタル通信の世界では下手すると20年前、あるいは30年前のプロトコルと変わっていない。 モールス通信のような本当の伝統芸能ならともかく、そうでないもの、特に無線機の製造技術まで完璧に伝統芸能化してしまったんだなというのを実感し、ある種の絶望を感ぜざるを得なかった。 現行の日本の法制度では、アマチュア無線の枠組みで、ソフトウェア無線 (software defined radio) などの免許を下ろすことは、極めて困難。 そういう意味では、通信実験はSORACOMやsakura.ioのLoRaWANなどでやったほうが、ずっと先を行っている感じになる。しかも、SORACOMやsakura.ioのデバイスを使うのに、免許は不要。 たぶんこれは既存の技術スタックの優位性が消えたという以上に、技術以外でのパラダイムシフトが本気で起こったと考えるしかない。

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