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@kimoto
Created February 22, 2011 03:56
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音楽についての分析
音楽についての分析
私は音楽とは、音にひもづけられた本能により感情が変化する作用を利用し、それを意識で観察して楽しむためのものだと思っている。
この文書ではそれについて語ってみたいと思う。
■私の価値観について
まず、芸術というものに対する私の価値観について。音楽とは芸術の一形態なのでまずどういった芸術が好きなのかを明確にしておく。
私は悲劇が美であると考えており、同じような考え方を持つ太宰治や芥川龍之介の考え方が好きだ。
たとえば太宰に関して。彼が創りだした走れメロスという作品が好きだ。なぜか。
その彼自身の性格、"虚弱で意志が弱く約束をよく破る嘘付きである"という現実と
作品内の主人公メロスの持つ"正統派ですべてを信じて疑わない青年"のギャップがあり
それが"彼が本当はなりたかった姿"になれなかった、せめて小説という仮想の世界でだけはそうなりたいという彼の願望に見えて、
悲劇的な哀愁を感じる、そこが良い
音楽で言えば、私は悲劇 = 哀愁 = 美と感じているため、どこか寂しい感じのするヴァイオリンの音色が好きだ。
またそういった性質の短調の曲が好き。
太宰治 走れメロス(全文) - http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.html
短編なのですぐ読める
■Classicについて
classicやoperaは曲自体がひとつの映像作品みたいな感じに展開や流れがある
たとえばclassicの第一楽章ははじまりで、第二楽章は転機のとき、第三楽章で一番の盛り上がりを見せるといった展開になっていたり。
まぁ曲にもよるが
同じ楽章でも、特定の音楽フレーズ(メインテーマ?)が繰り返し繰り返し演奏されるんだけども
それが非常に弱々しい感じで演奏されたりとか、様々に形態を変化させて繰り返し繰り返し演奏される。
しかしあえてすべての楽器で同時に演奏せずに、
このパートはこの楽器だけ...といった具合でもったいぶってもったいぶって繰り返し繰り返し演奏していく。
そうして最後の楽章の終盤にてようやくすべての楽器で同時に演奏されると非常に荘厳さを感じる。
曲ひとつで、小説とか漫画アニメ、映画のようなひとつの展開のある作品としての構成になっている。
それが想像力を刺激する
■繰り返し同じフレーズを使う
classicだとよく見られるんだけど、特定のフレーズを何度も何度も繰り返すことは、感情表現に効果的だと思う
また、アニメや映画でこれが使われていると非常に濃い感動を味わえるような気がする。
話の冒頭から終盤まで、まったく同じ音色、フレーズが、まったく違った曲調にアレンジされて作品全体で使われていて
それが終盤、本当のラストに初めて数多の楽器によりそれが早いリズムと大きな音圧を伴って演奏されると
そのテーマ曲が使われていた様々な場面を思い出し鳥肌が経つのではないか。
dvorak - new world symphony - 第1楽章 http://www.youtube.com/watch?v=-OAXCy3YS54
dvorak - new world symphony - 第2楽章 http://www.youtube.com/watch?v=-ENf4VEhI40
dvorak - new world symphony - 第4楽章 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2836498
これも同じフレーズが繰り返し使われてるんだけど、最後のこの4楽章で使われてるのが一番激しい
4を聞いた後で1,2を聞けばそれがよくわかる
組曲「宿命」第1楽章(ドラマ版) http://www.nicovideo.jp/watch/sm2836498
組曲「宿命」第2楽章(ドラマ版) http://www.nicovideo.jp/watch/sm2836832 (7:00 - 盛り上がり)
ドラマに使われてた曲、この曲の使われ方がまさに自分の言っている「効果的な使い方」だった。
最終回までは音圧の小さい演奏で、使われてる楽器も少ない、最終回の最後でついにすべての楽器で同時に演奏させて迫力を出していた、
と同時にそのストーリー内で繰り広げられてきたあらゆる問題が解決し、
主人公の贖罪によりすべてが終わるという音楽と映像のマッチングがとても気持よかった。
これは言葉の世界でも同じで、詩なんかでよく使われてる方法ですね。
反語ってやつ。あれの音バージョン
一時期話題だったマクロスFというアニメ作品では、多くの曲を作品内に盛り込んでいたがあれは失敗ではないかと思う。
特定の音楽フレーズに対する愛着がわきにくい。
それならテーマ曲をひとつ決めてそれの編曲で構成していったほうがよかったのではないか。
悲しいときには悲しげな楽器で演奏をして、楽しげなシーンでは楽しげな曲に編曲して演奏する。
最後にはすべてを超える圧力で大音量で演奏。商業的な要望もあるかもしれないので、これは難しい問題か。
■舞踏曲
古めかしいダンス音楽は、por uno cabezaが好み
この曲を聞くと誰かがペアで踊っている光景を想像するんだけど、それがなんだか一夜限りのものみたいなイメージがする。
その寂しい感じのイメージと、ヴァイオリンの音色とこの曲調がマッチしていて非常に聞きごたえがある。
Carlos Gardel - Por una Cabeza http://www.youtube.com/watch?v=EwkHsMpyD18
Shindler's list - Por una Cabeza http://www.youtube.com/watch?v=6FOUTWbu5WM (映画シンドラーのリストのワンシーン)
まさにそういった光景の例
■自然賛歌
Believe - http://www.youtube.com/watch?v=IAo9hSR_9v4
こういった自然賛歌する曲は子供の声との相性が良いように感じる。それはなぜか。
子供がピュアだという印象、大人が汚いという印象はどこから来るのか、
子供は、言葉を知らない、感情に複雑さがない、嘘をつかない。なすがまま。あるがまま。
これは人間の持つ自然に対するイメージと一致してる。
自然は言葉を知らない、感情がない、嘘をつかない(そもそも言葉を使えない)、なすがまま。あるがまま。
こういった曲を子供が歌うと人間が自然に抱いてるピュアさと一致していてより同調する。
人間がピュア(純粋)だという思いは、人間が抱いてる自然というイメージに近いという意味なのではないか。
プログラミングよりも農業の方がピュアな感じがする
剣道よりも水泳の方がピュアな感じがする
■Techno
歌詞に特に意味はなく音を楽しむもの
音とはもともと、人間があらかじめプログラムされた言葉と感情変化の化学反応をうまく組み合わせて構成されたもの
なぜそれを悲しく感じたりするのかというと、おそらく人間が悲しくなったときに発する言葉に見られる周波数に特徴があって
それに近い音が出ているのだと思う。音楽というのはただの音ではあるが、
それを本能的に感情的な意味として人は受け取ってるのではないか。
だから無声な音楽作品であったとしても、意識としてその言葉を認識することができないだけで実際は言葉として
脳幹で理解してるんじゃないかと思う。
そんでまぁ、こうした本能的な作用を利用して、自分の感情を音楽によって操作されて楽しむためのものが音楽だと思う
そんな"音"によって操作される自分の感情を意識で観察して楽しむことを主体に楽しむ作品がtechnoやtrance, classicだと思う
歌詞にはそれほど意味がない
Yuksek - Tonight http://www.youtube.com/watch?v=GkJOvBHXlNg
80kidz - this is my shit http://www.youtube.com/watch?v=WsmgNWf9a60
■映像として楽しめる音楽
最近のは全部こんな感じだよな、PVを主体とした音楽。lady gagaとか
promotion videoが本体になってる、単純に曲もいいので短い映画として楽しめる
Black Eyed Peas - Rock That Body http://www.youtube.com/watch?v=nmnjL26OBcY
■状況を表現する音楽
Zack Hemsey - Mind Heist http://www.youtube.com/watch?v=lOJqicM6x84 (映画inceptionテーマ曲)
緊迫感が伝わってきて良い、鈍く太い音がたぶん雷の音とか、
地震の音に似ているから恐怖感を感じてその恐怖感が緊迫感に繋がってるんだと思う
階段的に音色が上がっていくフレーズが繰り返される事に対して人間が恐怖を感じるのは、
こういった"増え方"というのが"爆発"だったり、
"何かが爆発的に増えたりとか"そういった光景によく聞こえる音に似てるからじゃないかな
木の燃え広がるときの音とか、川の流れが増していくときの音とか。
■Rap
言葉の持つ論理的な意味がメイン、ただバックグラウンドでリズムを刻むときの音は存在してる、国語的な詩に近い
違いは
rap: 言葉 -> 言葉の持つ意味 -> 意識が言葉の意味を元に想像
classic, techno, trance: 音 -> 本能による感情変化 -> 意識による感情変化の観察
■Trance
既存の楽器では出せないような音、電子的な音がメインになってるので近未来的な感じがする
音による感情変化を楽しむ
Gouryella - Ligaya (Official Video) http://www.youtube.com/watch?v=dTHrIPHCBK4
■音楽とは人間にとって何か
音楽というのは感情操作言語だ。説得力とか論理性は存在しないけど。
言葉の本来持っていた悲しげな感じとかが音に化けてる。(それは人間が言葉というものを特定の周波数帯の音として認識しているからで、
「私は悲しいです」と言われなくとも悲しげなすすり泣くような震える声を聞けば、その人が悲しんでいることがわかる。
これが音で判断していることのなによりの証拠)
音というのは言葉から論理性とかそういった説得力なんかが完全に消えてる
もちろん歌詞のついた音楽は言葉自体の"意味"も加わるので論理性とか意味が含まれちゃうんだけども。
言葉というのは、人間がお互いあらかじめ決めておいた音と感情変化の関連付けの辞書のようなもので、
この言葉を言ったらこういう気分になってね、とあらかじめ決められてる。
そういった法則性を利用して言葉をつなげたのが詩であり、それは感情の変化の指示語のようなものではないか。
詩とは「こういう気分になった後、こういう光景を想像して、こういう気分になってください」と決められている感情を自身の辞書から
引っ張らせている。逆に言えばこの方法だとその辞書が完全にお互いに一致してない限り、100%正確に相手に何かを伝えることは出来な
い。このせいで、たとえば美しい女性のことを「金閣のようだ」と比喩すれば人によって金閣に対応付けられた感情が違うのだから,
それは人によってまったく違った女性をイメージさせてしまう。しかしそれが文学を他の映像作品と比較した際の良さでもある。「とて
もやさしい」というイメージを言葉で簡単に表現するのは難しいが、「母のようだ」と表現すれば、そこに底知れぬ慈愛の深さを感じることが
できる。
言語と同じ周波数帯を利用して完全に言葉としての論理性などの意味を排除したものが音であり、それを羅列させたのが音楽だと思う。だ
から人間は音楽を聞くとそれは実は言葉に秘められた感情変化の羅列を聞いているようなものであり、その感情が操作される様子を意識で
観察して楽しんでいる。
■おばさん達の雑談は、即興remixやマッシュアップだ
主婦のおばさんが道端で雑談するのが好きなのは、あれは会話っていう音楽で即興remixしたり、隣のおばさんとマッシュアップして会
話を音として、音楽として楽しんでるんだよ。しゃべってる言葉や内容に意味はない。
なんかこのぐらいしか思いつかんのでこの辺で終わりにしておこう
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