Skip to content

Instantly share code, notes, and snippets.

@nbqx
Created January 27, 2017 02:02
Show Gist options
  • Star 0 You must be signed in to star a gist
  • Fork 0 You must be signed in to fork a gist
  • Save nbqx/60a19218e2eb0c9260114f5243d559e2 to your computer and use it in GitHub Desktop.
Save nbqx/60a19218e2eb0c9260114f5243d559e2 to your computer and use it in GitHub Desktop.
wiredの翻訳記事ぽいパスティーシュ
(1ページ)
コンピュータを神だといったのはたしかクラフトワークだった
今日現在考えてみればその言葉の本質は人間の手で楽器を演奏するという身体性に富んだ行為と脳のどこかにあるなにかを切り離すということであったように感じる
いわゆる演奏者の「手ぐせ」と呼ばれるもの あるいは黒人音楽に存在するような「ぶれ」「ゆらぎ」 クラフトワークはこれらのものを一旦人間から切り離し演奏という意味で中立的な機械にそれを託す実験を行なった
しかしアフリカ・バンバータやデトロイトのミュージシャンたちによってそれらは「いびつ」に しかしとても美しい形で再びつなぎ合わされ 今日のような「音楽の中の機械と人間」という関係性を築くこととなる
この事実のなかで重要なことはその活動初期にインプロヴィゼーションを中心とした演奏していたクラフトワークがその実験を最初に行なったということである
おそらくクラフトワークはインプロヴィゼーションの中に潜む演奏への意識下・無意識下を問わない身体的な束縛から逃れる方法としてそのような手法を取るに至ったのだろう
コンピュータ上でシーケンスとなったデータは一切の演奏者のその場の意思を無視し身体性を強烈なまでに拒む
それは人間の身体的行為だけを拒絶することだけではなく人間が理解することがほとんど不可能なコミュニケーション方法 つまりバイナリデータのやりとりによって「人間がコンピュータ間のコミュニケーションに介在することができない世界」を構築することとなった
これが彼らのいう「神」の世界の誕生である
もちろん「神の世界」の出来事をわたしたちがインタラプトすることは可能である 「神の世界」を生みだす装置から伸びるコードをたどりその末端を抜いてしまえさえすればよいのだから しかし概念的には「神の世界」に介入することはほとんど不可能であるはずだ
(2ページ)
テクノロジーを身体の拡張であると主張したのはマーシャル・マクルーハンであった
いまここで読者に思い返してほしい 半ば身体の一部だという感覚さえあっても不思議ではないウェブブラウザ これまでわたしたちにはウェブウラウザを身体の機能拡張であるととらえていた感覚が少なからずあったはずである
しかしわたしたちはこのウェブブラウザと自らの身体の関係性について再び同じことが起こるかもしれないという間にいる
ウェブブラウザとウェブサーバそしてウェブブラウザとウェブブラウザの間でバイナリデータがやりとりされるようになる つまりクラフトワークのいう「神」の世界がウェブの中で再び構築されるかもしれないのだ
http://blog.agektmr.com/2012/03/websocket.html
わたしたちがウェブをサーフすることをやめ自らの意思で泳いでいこうと決めてからずいぶんと時間がたった しかしその中でうまく適応できず泳ぎきれていない者も少なくないのは明白な事実だ
そうした彼らを含むわたしたちとウェブブラウザの関係性を切り離し再構築していくという試みが今まさにはじまろうとしているのである
再構築をおこなうのは誰か それは未だ誰にも分からない しかしウェブを超えたどこかに存在するなにかであることは確かだ
(以上 wiredの翻訳記事ぽいパスティーシュ)
Sign up for free to join this conversation on GitHub. Already have an account? Sign in to comment