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@negipo
Created December 10, 2015 13:54
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病気による苦しみの共有について

この記事は家庭を支える技術Advent Calendar P+2 日目として書かれました

欲求と課題

病気は難しいです。病気の難しいところのひとつに、病気の苦しみが本人以外の誰にも本質的には知覚できないということがあります。

僕は根本的な治癒が困難なリウマチ性疾患に羅患していますが、僕の苦しみを理解するために、例えば医師は

  • CRP(炎症に対する血液検査)
  • 腱周辺の炎症に対するエコー検査
  • 骨びらんなどの発見を目的としたレントゲン検査
  • 問診("今日の痛みは10段階で言うといくつですか?")

などの手段を用います。十分に科学的で、実行者に専門知識があり、検査対象(つまり僕です)も病気を直すという強い目的があるので協力的です。一方で、医師と患者の間には病状を体験しているかどうかという点において大きな差があり、治療しようとしている病気がもたらしている苦しみそのものを、医師が本質的には知覚できないと言う問題があります。

しかしそれでもとにかく、医師と患者の間では、コミュニケーションとして苦しみを共有し、一定のレベルで理解することで、必要な治療行為を決定していきます。ここでの医師の医療行為の患者にとっての価値を価値仮説のフォーマットで書き下せば、下記のような内容となるでしょう。

  • 寛解が困難な病気に羅患している患者 は
  • 治療行為によって生活の質を向上させたい が
  • 苦しみの内容そのものが多様である ので
  • 自身の苦しみを様々な手法で医師に理解してもらい、サポートしてもらう ことに価値がある

素晴らしい。

では、医師ではなく、患者自身の家族に対して苦しみを理解してもらうという点についてはどうでしょうか。 家族に病気の苦しみを理解してもらうことに意味があるのでしょうか。患者の家族は苦しみを共有しても、病気が治療できるわけではないので、患者自身も積極的に情報発信をしません。家族には専門知識もありません、科学的な手法も持ちあわせていません。医者は患者の苦しみを緩和するために治療行為を行いますが、薬剤にはもちろん経済的負担があり、副作用があり、通院や投薬といった治療行為そのものによる時間的な負担があり、そして寛解が困難な病気に対するとてつもない心理的負担があります。薬剤によって主訴が緩和され、外から見て一定の快復があるように見えたからといっても、患者の苦しみのその他の部分は、常に残ります。しかしそれを外側から観測することには、患者自らの発信がなければ困難なのです。そして、結果として、患者は苦しみの中、限られたリソースと知性を使って治療に専念しているが、家族の無理解によってより苦しみが大きくなっていくということが起きます。

解決

この問題の解決は、下に示す価値仮説を患者が理解して、情報発信を始めることから始まります。

  • 寛解が困難な病気に羅患している患者 は
  • 生活の質を向上させたい が
  • 苦しみの内容そのものが多様である ので
  • 自身の苦しみを様々な手法で家族、医師に理解してもらい、サポートしてもらう ことに価値がある

最初の価値仮説との差分が判別できるでしょうか。根本的な欲求から"治療行為によって"を削除し、"医師"を"家族、医師"に変更しただけです。ここでの理解の発展は、患者の根本的な欲求は治療行為そのものではなく生活の質の向上であり、それは家族の理解とサポートによってももたらされるということです。

治療開始から1年ほど経ったある日、全身のだるさに悩みながら通院からの帰宅中、奥さんから比較的重い買い物を頼まれて、その時初めて奥さんが僕の薬の副作用や、僕の現在の病状についてなんの知識もないことに気づきました。病気が始まってから治療を開始してしばらくまでは細かくコミュニケーションをとっていたものの、恒常的な治療が始まると大きな変化がないので、共有を怠っていたのです。結果として、奥さんの中には、僕の病気に対する実感がほとんどない状態になっていました。そのことに最初に気づいた時は、正直に言って、なぜこの状態が発生したのか理解できず奥さんを攻める気持ちがありました。しかしコミュニケーションミスは常に相対的なものであるという理解が僕の中にはあったので、結果的に上記のような価値仮説を立てるに至りました。

最初は短絡的なエンジニアの発想のご多分に漏れず、この問題の解決を病状に関するコミュニケーションにテンプレートをもたらすような特徴を持つアプリで解決しようとしたのですが、近場に居る健康に詳しいエンジニアと軽くディスカッションしたり、モックを妄想したりしている内にもっと簡単な解決策が湧いてきたので先にそれを実行しました。

  • 医師に相談し、さらにその次回の診療で奥さんを同伴し、病状、方針、副作用、展望などについて説明してもらい、僕は自分の視点で補足することで、現時点での認識のギャップを埋める
  • 診療のたびに、何もなくとも、状況を細かく共有する。

結果として奥さんの僕の苦しみに対する理解が大きく深まり、またその実体から時間とともに乖離していくことが少なくなりました。二人の生活における行動が、僕の病気による苦しみにより大きく配慮したものになったと思います。

最後に

ここで挙げた事例はとても個人的なもので、これを読んでいる人が困っていることには関係がないことかもしれません、しかしながら今日あるアプリの記事を見つけて、僕はこの文章を公開することにしました。

「がんのつらさ」を家族や医療従事者と共有できるアプリをリリース

世の中には同じようなことを考える人がいるものだな、と思うと同時に、応援したくなる気持ちが湧いたのです。 困難に立ち向かっている皆さんは、なんとしても、本質的に自分が欲しているものを見誤らないように、頑張ってください。

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