Webアンソロジー企画「うかはか2」用SS
- とらふぃっく☆とれいん:ティセ
お盆のころだったと思います。
私達はいつものように出区準備をしていました。
しかし、いつまで待っても停止信号のまま変わりません。
マルウェアの類いが忍び込んで何か支障が起きたのか、それともシステムの故障か…。
とりあえず列車モードを解除して見回りますが、どこもかしこも、機関区も操車場も停止信号ばかり。
本線につながる出発信号機の赤も、区長さんのPCにつながる入換信号機の灯列も、一向に変わらないのです。
すぐに姉さんを叩き起こし、同僚の手も借りて、区長さんの管轄範囲をくまなく巡り原因を探りますが、何も異常はありません。
結局その日は、あとは輸送予定の列車ダイヤをキャンセルするぐらいで何もできず、時間だけが過ぎていきました。
姉さんはお休みだとはしゃいでいた気がしますが、その横で一抹の不安を抱えながら、庫内に帰るしかありませんでした。
私達の区長さんは鉄道マニアでした。
私達の運用には鉄道の知識は必要ないのですが、あればより楽しめるという触れ込みでしたから、それはとても良いことでした。
特に嬉しかったのは、「お客さんを乗せる車両以外にもたくさんの興味深い車両がある」と気づいてくれた時です。
私達は機関車ですから、お客さんもコンテナも、超特大な貨物でさえ、何でも車両に載せて引っ張れます。
どれか専用ということはありませんし、珍しいところでは雪を押しのけるお仕事さえこなせます。
しかし、現役時代で最も頻繁に牽いたのは貨物列車でしたから、旅客列車以外に目を向けてくれたのはたいへん嬉しかったのです。
そんなある日、普段とはちょっと違うところに行ってきたということで、写真を見せていただきました。
そこには、鉱石を山盛りに積んだ貨車を何両も連ねた、威風堂々とした貨物列車が収められていました。
「岩手県の大船渡に行ってきた。貨物専用の鉄道を撮りたかった。」
そんな言葉に、私達はたいへん喜んだものです。
でも、なぜか私の気持ちに引っかかったのは、そんな勇壮な列車が走っている写真の数々や、鉱石を積み卸しする塵と音を感じるような写真ではなくて…
一日の最後、最終列車が通り過ぎた後、闇夜にただぽつんと赤く輝く信号機が収められた写真でした。
どうしてそれが気になったのか、その時はわからず言葉に出せませんでしたが、心の中に引っかかり続けていました。
それから3日経っても10日経っても、赤信号はいつまでも変わらず、途方に暮れていたところに、電網鉄道本部から通知が舞い込みました。
別の子によって届けられ、厳重に封印されたその通知をほどいて読んだところ、私達の機関区と操車場の廃止と、私達の転属の指示が書いてありました。
突然何と理不尽なと憤りながら読み進めたところ、廃止事由の欄に一言、
「区長死亡による輸送組織解体」
とだけ書かれており、そこではじめて赤から変わらない信号の理由を知ることになったのです。
それから数日、機関区と操車場の片付けを済ませ、新たな職場へと旅立つ日がやってきました。
すでに電網鉄道からは線路もシステムも切り離されており、あの日呆然と眺めた信号機は、今はどれも真っ暗。
一面に寂しい光景が広がっていました。
赤信号も、点灯していない信号機も、どちらも私達は「停止信号」として扱います。
これは故障などに備えた安全のための絶対厳守の規定であり、姉さんでさえ一度も忘れたことはありません。
それでは、赤信号と、何も点灯していない信号機とは、意味に何も違いはないのでしょうか?
私は今はそうは思いません。
闇夜に煌々と赤く灯った信号機には、列車の動きを定め、安全を守る人の意志が強くこもっています。
赤信号があるからこそ、私達は安心して線路を走れるのです。
さて、私達の「安全を守る人」が喪われた今、できるだけ早くこの管理されていない線路からは離れる必要があります。
幸い、次の行き先も決まっていますし、当てのない旅路ではありません。目的地に向けてそろそろ走り出しましょう。
区長さん、今まで本当に、ありがとうございました。
大事な記憶を遺してくれて、本当にありがとうございました。