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@tily
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キヨの一生 (最初の 4 段落)

子供の頃からキヨがこよなく愛したのはあの光だった。今まで誰にも話したことはない。話したところでひどく曖昧な言葉になるのが分かっていたし、他の人に話すと光が消えてしまうのではないかという漠然とした不安を感じていたからだ。キヨは昭和八年にとある地方の港町に生まれた。戦争中だったので食事や衣服はごく簡素なものだったが、それでも両親はキヨを大切に育ててくれた。初めて光を見たのは、キヨが二三歳でちょうど言葉を覚えはじめたころだったと思う。夜中に何か恐ろしい気持ちになり「おかあ」と呼びかけて、しばらくしたのちに母親が心配そうに自分の顔を覗き込んだとき、母親の頭や肩、胸などいたるところから少し赤いもやもやとした優しい光の帯が見えた。光は夜の闇の中で煌々と輝き、幼な子のキヨに限りない安らぎと安心感を与えてくれた。母親の腕の中に抱きかかえられると、光がキヨの体にもまとわりつき心地よい気持ちに包まれてキャッキャと笑った。

そのうちに戦争の状況が悪化し、父親が招集されて不在になった。母親は漁の手伝いや町内会の仕事で忙しく働くようになり、またキヨも重苦しい戦争の雰囲気が好きになれずに気持ちの塞ぐことが多く、光が見えることは少なくなった。しかし、母親が手に入れた貴重な白米を父親の写真と母親と三人で大事に食べるときや、戦地にいる父親から届いた手紙を正座した母親が嬉しそうに読み聞かせてくれるときには、確かにあの光が見えた。昭和二十年、町内の女子供老人たちの皆で聴いた終戦を伝える玉音放送のラジオからも、うっすらと優しい光が流れ出ていた。母親もキヨも疲れ切っていた。終わりの見えない戦争がやっと集結したことできっと安心していたのだと思う。父親はガダルカナル島で戦死した。母親は戦争中の無理な労働がたたって体を壊した。キヨはしばらく母親を看病しながら漁の手伝いで生活費を稼いでいたが、十六の歳になるとそれまでに貯めた金で母親を入院させ、東京へ出稼ぎに行くことにした。

昭和二十九年、キヨは東京のカフェで女給をしていた。折しもキヨはうら若き乙女、肌は桃のように美しく、肩まで伸ばした艶やかな黒髪は客たちの評判となっていた。そしてキヨのバストは豊満であった。あるとき、たまにカフェを訪れてはキヨにいやらしい視線を送っていた粗暴な米兵が、酒に酔って暴れだした。キヨの肩を掴んで馴れ馴れしく腰に手を触れ、耳元で何やら汚らしい意味の英語を囁いてきた。キヨは恐ろしくてどうすることもできなかった。その時である。"Hey, guy. Put off your hands from her." 店の隅で大人しく珈琲を飲んでいた一人の男、茶色いスーツに身を包んだ日本人の男が、立ち上がった。男は流暢な英語で米兵とそれから十分ほど話し込み、最終的に米兵は両手の手のひらを返した「降参」のポーズをとっておとなしく帰っていった。男は終始すっきりとした穏やかな光を放っていた。「あの、ありがとうございました! …英語、お上手なんですね」「い、いやぁ、そんなことないです」

男は照れくさそうに笑った。その笑顔からは見たこともないような大量の光が放射されて、キヨは眩しさに思わず目を細めた。キヨも笑った。これがキヨと拓治との出会いだった。拓治は闇市の青年実業家であった。拓治は前から美しいキヨに魅かれてカフェによく来ていたが、シャイな性格のため今まで話しかけられずにいた。拓治はこれをきっかけにキヨをデートに誘った。キヨはこれを快諾した。

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