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@tomfuru
Last active October 4, 2017 16:07
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何故一部のμ's原理主義者はPDPに批判的なのか?

※1個人の考えですが、私(所謂μ's原理主義者)がまわりの原理主義者と呼ばれる人の考えを想像して書いたものなので、「でしょう」「思われる」等の言い回しが多いですが、ご容赦ください。あくまでも、「私が思う客観」という主観です。

この文を書いた目的は、タイトルの部分に答えを出すというところももちろんありますが、 原理主義者ではない人に「原理主義者とやらはこういう考えをしてきたんだな」と言うことを知ってもらいたい、という点もあります。 別にだから発言を全て認めろ、ということではなく、一意見として捉えて頂きたく。

本文では、μ'sについてどのような物語があり、視聴者としての原理主義者(私(たち))がどのようなのことをどのように考えていったから、今このように思っているか、を時系列的に記載しています。 PDP発表までの考えを記載した後、補足的に少し細かい話を記載しています。

本文

最初(アニメ1期〜2期がやっていたころ)はみんなμ'sが終わって欲しいなんて考えていないはず。

2期の1つのテーマに「卒業」があり、2014年から終わりを意識させられることはありました。 ただし、2期は13話で「まだまだ終わらない」ことが分かり、「終わることが良いことか」について深く考えてる人はあまりいなかったと思われます。

μ'sの「終わり」をまっすぐ突きつけられたのが、2015年6月、劇場版。 言うまでもなく、今まであった「続く」という救いはない、きれいな終わり方でした。 歌の歌詞には救いをほのめかす言葉はあった(「また会おう、呼んでくれるかい?」など・・・)が、アニメの物語としては本当に「最後のライブ」。 この劇場版をつきつけられて、真っ先に「μ's終わっちゃったけど良かった!」と考えることは(少なくとも私には)できなかった。結局本音は終わって欲しくないのだ。でもアニメの9人はそれを選んでしまった。 いや、もともと9人は2期でも終わることを選んでいた。ただ物語として続きがあったから、内心は安心して視聴者として物語を「良かった」と言えた。

・・・思えばこの時(2期)から、矛盾だらけだったのかもしれない。「μ'sが終わる選択をした!その想いに感動した!」と言いながら、内心は「μ'sは続くから安心」している。逆に言うと、その安心があったからこそ安易に終わる選択をしたあの物語を良かったと受け止められていた(矛盾だらけだね)。

(この矛盾からおかしいとかそういう話をしたいのではなく、当時はこう考えていただろうな、という記憶からの事実説明です)

話を劇場版に戻して、「終わり」を突きつけられた私たちはどうするか。 もちろん、μ's9人の決めたことに反対することなんてできない。反対しても何も変わらないし、意味がないから。 しかも、劇場版の中で「終わるか終わらないか」はかなり大きなテーマであり、「μ'sが終わらない」ことに対する否定的な考えがメンバー含め最終的には一致し、終わることを決めたという物語のため、反対する選択肢はそうそう取れません。 そうなると、結局しないといけないことは「μ's9人が決めたことが正解だという理由を考えて納得する」ということ。 少し言い換えると、「μ'sは終わるのが正解」と考える人になること。 「復活」の是非については人によって考えが異なると思いますが、とりあえず劇場版のあの決定については正しいという理由を必死に考えるわけです。

上記、なんでそこまで必死に、と思う人もいるかもしれません。が、(アニメなりライブなりで)μ'sにたくさんの好きと楽しい想いを貰い、μ'sに応援していこう、μ'sについていこうという想いが強い人ほど、今後もμ'sをまっすぐ見つめて追いかけていく上でモヤモヤした考えでいたくないと思ってるのではないかと思います。はっきり肯定した上で、向き合っていきたいと。

答え(もしくはそれに近いもの)が出るまでものすごく時間がかかりました。1週間なんてもんじゃありません。 (わたしは2ヶ月経ってもこの有様です)

私は劇場版を何回も何回も見て、最後の曲に苦しみに近い感覚を始めは覚えながらも、2~3ヶ月ほどたってようやくある程度まっすぐμ'sを応援していけるように自分の考えが整理できてきました。 すなわち、「μ'sが終わるのが正解」と考えること。

ちょっと脱線して余談になりますが、時期が悪かったのは、Aqoursが初めてG'sで出て来たのが2015年3月30日、1st single発売が同年10月7日、 すなわちsingle発売でざわざわしてたのがちょうど劇場版の頃。 個人的に、あの時期にAqoursのことを考える余裕はありませんでした。どちらかというと否定的な考えでした。μ'sのことすら考える余裕がないところへ急に続編(というと語弊がありますが)が出て来てほらこっちを見ろと言わんばかりの宣伝。 それもあり、非常に個人的な好き嫌いで申し訳ないですがきみここは今でも好きには傾いていません。。。 (これは単なる私の言い訳です。ただ、こういう時期的な理由でAqoursに否定的な考えを持つ人が増えた可能性はあるかなとも思ってます・・・)

話を戻して、劇場版を通して新しくできた自分の考えをもとに考えていると、アニメに深く関わって来た声優さんたちのライブについても同じような考えになってきます(これは割と劇場版公開直後のツイートですが…)。

そして、予想が的中(?)してしまい、2015年12月5日、μ'sのFinal Lovelive!〜μ'sic forever〜が発表されました。 個人的な話で恐縮ですが、内田さん2nd Liveの打ち上げ後、知人宅で取り乱したのは本当に申し訳なかった(心の底から)。 この時までも、ある程度は「声優さんライブは終わらないだろう」とか考えている人も少なくなかったかもしれません。もしかするとその上である程度の矛盾がある上で自分を納得させていた人もいたかもしれません。 ただし、ここでまた「声優ライブとしての最後」を突きつけられました。

声優ライブの終わりについては、理由はもちろんアニメのように多くは語られていませんが、やはりμ'sを好きでいたい人たちはそれを受け入れる準備をします。その中には、「終わるのが正解」ということを再び考える人も少なくないでしょう。

Final Live、2016年3月31日と4月1日の2日、μ'sの中の人9人の考えを直に聞き、「μ'sは終わることが正解」と考えるために自分で持った考えに、更に色んなことをプラスされたと思います。

上記のように、何度もμ'sの終わりを突きつけられ、少なくとも私は「終わるのが正解であるかどうか」について必死に考えてきました。多くの方々もそうだと思っています。そうしてでてきた結論には様々な想いがあるため具体的なことも一般的なことも言えませんが、その中に一部「これ以上続けるのは駄目」と考える人がいておかしくないと思います(思いませんか?)。

また続けることになると自分が必死に必死に考えてできた結論を否定することになる。μ'sに責任転嫁をしたいわけではありませんが、「μ'sを続けるのはノーで、終わらせないといけない」と考えていたことも大きいと思います。

もちろん、心の底からμ'sに戻って来て欲しくない人なんていないと思っています。 ただし、一度「終わるのが正解」と決め、深く考えている以上、「再開する」ということへのハードルは高い。 簡単に、「μ'sがおまけ程度」に見えるやり方で再開を発表することについて、拒否感を示す人は少なくないと思います。

おまけ程度に見えると言いましたが、もちろん見え方は主観なので、結局人それぞれ違います。 ただし、PDPに関しては、「μ'sだけを好きでいる」人たちにとっては、その他は不要なわけです。 むしろ、μ'sより今後のグッズ展開・ライブ等のイベントが約束されているグループがあるのに、μ'sはグッズ展開すらまともにされない。そう比較してしまうと、「おまけ程度」やら「客寄せパンダ」と考えてしまう人が出てくることについては私は理解できます。

補足的なこと

ラブライブ!はメディアミックス作品(コミック、アニメ、ソシャゲ、アーケードなどなど色々なメディア展開をしている作品)だが、そこの区分けができるかは人それぞれです。 (アニメしか知らない人、アニメとライブしか知らない人、コミックもスクフェス時空もドラマCD等全部知ってる人それぞれいます。それぞれのメディアのシナリオ展開やらキャラクター性が違うところも特徴ですが。) ただし、μ'sはアニメが始まってからはアニメが占める割合は大きく、特にアニメが声優さんの活躍の象徴(どんどん有名になっていくところとか)でもあったので、声優さんの活動(特にライブ)とアニメは密接に結びついてる人が多いと思われます。 むしろ、「終わる」という点については、上記話した通りとてもシンクロしています。 だからこそ、新田さんがPDPの発表の場に出て来たことについて、(スクフェス等はボイス収録はFinal後もしていそうのはまあ想像できた範囲ですが)かなり大きな意味を持つ話になったのかなと思います。 (Aqoursとμ'sの絡みについてはメディアミックスの違いを理解できる人とできない人の違いかなと思います。ただ理解は強要して欲しくないなと思います。これは個人的には時間で「こんなものか」と分かっていくものかなぁと。。。スクフェス時空も最終的には何も批判ないですし。)

人間、全ての発言は理にかなっているわけではありません。上記のような「長い間考えた考え」を持って、自分のスタンスがあるからこそその立場を守る(というか自分を間違ってるという意見を否定する)ために戯言を言うことはどのスタンスでもあると思います。もちろん、自分のヒステリックな発言を正当化したいわけではないですが、「人間誰しもそんなものじゃないかな」と私は思いますし、別のスタンスの人がヒステリックになる気持ちも(立場を考慮すると)理解できなくもないかなと。

どう考えるのが正しい、なんてことを議論しても仕方ないし、人間は感情で動く部分も大きいので、それはそれでいいと思っています。 ただ、あまり自分のスタンスの上での「安直な」考えで他人の考えを批判することはして欲しくないし、私もしないようにしたいと思っています。 (それでも皮肉を言ったりするのはご愛嬌)

結論:こじらせたオタクは面倒くさい

上記の話が他人の意見を見る上での一つの別視点となれば幸いです。 意見・コメント・その他何か申したいことがあれば @star_TF まで。

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