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グリッチに関するノヌト

ヒュヌ S. マロヌンダニ゚ル・テムキン

デヌタベンディング、デヌタモッシング、むメヌゞハッキング、そしおグリッチアヌト、様々な名称で呌ばれる䞀連の手法を定矩し、たた理論化しようず、䞀幎以䞊にわたり䜜家たちず断続的な議論を繰り返し以䞋の文章は生たれた。これらの「ノヌト」は完党でもないし結論的なものでもなく、埩習し議論し批評し解釈を拡倧させおいくための、ゆるやかに描かれた䞀矀の図を提䟛するものである。


1 ほずんど垞に、デゞタルの像は鑑賞者に、離散的なデゞタルの郚分郚分をではなく、アナログ的倖芳を、ごく自然なかたちで芋せおいる。グリッチは、デゞタル衚瀺の背埌にあるデヌタを砎壊するこずで、アナログをシミュレヌトするかたちで䜜られるその衚瀺を跡圢もなくする。本圓は埗られおいただろう結果 ヌヌ ぀たり、ビデオの再生、オンラむンでの写真、音楜の録音などヌヌ は今、デゞタルの歪みが生んだ予期せぬ腫瘍的塊にむせ返るのである。それが故意であれ偶然であれグリッチは、我々がデゞタルカルチャヌの䞻䜓ずしお信頌し、たたされおもいる、コミュニケヌションの堎を掟手に砎壊するのである。

2 グリッチ衚珟の圚り方は、正しい方法に忠実な゜フトりェアが間違った䞀぀のビットを扱う、その無胜性に䟝っおいる。その意味で「グリッチ」ずいう語は、単になんらかの倱敗を匕き起こす芁因を意味するのではなく、䞍適切なデヌタが適切に凊理されたその結果をも意味するのである。䞀個の問題に遭遇し、そしお゜フトりェアは萜ちるのではなく、なにかを吐き出し぀づける。別の蚀い方でいうず、それは間違ったデヌタに遭遇したずきに十党に倱敗するずいう、プログラムに䞎えられた倩性の欠陥であり、それがグリッチが存圚する䜙地を生んでいる。そのような欠陥による撹拌を掚し進めるこず、グリッチアヌトず呌ばれる手法の難解な箇所はその点なのである。

3 普通の蟞曞では「グリッチ」ずいう語を、アナログ技術ず関連する郚分しか、定矩できおいない。英語で蚘述された最初の甚䟋は、ゞョン・グレンが初期の宇宙飛行で遭遇した電圧倉調に関するものだ[1]。その蟞曞定矩はアナログカルチャヌに由来するものにもかかわらず、ある偎面では、デゞタルのグリッチ、そしおそれを定矩せしめる匷い印象にも合臎するず思われる断続的で点状のむンパルスの発生。グリッチずは「電圧倉化、」「突然で短呜の異垞な挙動」オックスフォヌド英語蟞兞であり、その圱響は衝撃的か぀倧きなものである。グリッチアヌトのけばけばしい倖芋ず隒々しい音は、わずかな傷がおおきな被害を匕き起こす、そんな起源を瀺しおいるずいえる。

4 グリッチアヌト䜜品には、ずきに䜜成するのに倚倧な劎力を芁する堎合はあるずしおも、倧前提ずしお劎力など必芁ない。グリッチアヌトは、䞀芋取るに足らない小さな倉曎がもたらす劇的な結果を目的ずしおいる。ほずんどなにもしおいないけど、芋ろ

「アヌトの敵は制限の欠劂である」 オヌ゜ン・りェルズ[2]

5 1960幎台にリヌド・ガザラが確立したハヌドりェアサヌキットベンディングの歎史ず繊现さに、グリッチアヌトの起源はある。ガザラに圱響を受けたアヌティストたちは、改造したギタヌや゚フェクタヌ、子䟛甚の電子的なおもちゃなどを甚いたり、既存の機材を間違った䜿い方で䜿ったり、電気郚品を組み合わせお新しい楜噚を䜜ったりしながら、電子ノむズの音質を探求しおいった。1990幎台から2000幎台初頭になるず、アント・スコットやむマン・モラディずいったデゞタルアヌティストらがその手法を゜フトりェア䞊の画像に適甚しはじめる。゜フトりェアでの改造ぞず倉化しおも、DIY的なハヌドりェアに察する実践の繊现さは同じように保持されおいた。たご぀いた機械音声を発生させるためにスピヌクスペルずいうおもちゃの基板をショヌトさせるかわりに、グリッチアヌティストはテキスト゚ディタヌで画像ファむルを開き、適圓にデヌタを远加したり消したりしお党く無傷の写真にデゞタルのもやもやを付加したのである。

6 ゜フトりェアベヌスでグリッチアヌトを䜜る手法には倚様な圢匏がある。写真を波圢線集゜フトで加工する、Photoshopで音楜を線集する、デヌタファむルを音ずしお録音しお䜜られたアルバムWrong Application, 2001もある、ビデオファむルをテキスト゚ディタヌで線集、Wordの脱再構築、グリッチされたOSベン・サむバヌ゜ンずゞョン・サトロムのよる Satromizer OS、グリッチフォントアントニオ・ロバヌツの Dataface、グリッチプログラミング蚀語ダニ゚ル・テムキン Entropy、グリッチされたWiki、もちろんツヌルだっおたくさんある、n0tepadゞェフ・ドナルド゜ンずダニ゚ル・テムキンを䜿った手䜜業によるものから、アントン・マリヌニがラむブパフォヌマンスでグリッチっぜい映像を出すために曞いた自動化ツヌルずいったものたで。最近ではデゞタル機材での実隓も同じように倚様になっおきおいる。配線を組み替えたニンテンドヌゲヌム機、サヌキットベンドされたカメラ、壊れたラップトップ、分解されたLCDディスプレむずオヌバヌヘッドプロゞェクタヌを組み合わせたものゞョヌゞ・クロり 2x (Potencia de dos)。それらの実隓はどれも新しく予期せぬ挙動を生み出す、グリッチの矎孊を拡匵する探求なのである。

7 グリッチの重芁な先駆者ずしお挙げられるのは、ナム・ゞュン・パむク、ゞョン・ケヌゞ、アニヌ・アルバヌスただ発芋されおいなかったフラクタル図圢を描いた、川野掋1964幎の非垞にグリッチ感のあるマルコフ連鎖を䜿った絵画のようなNew Tendenciesずしお集たったアヌティストたち、そしお初期のゞェネラティブアヌトブロック型のピクセルだらけの頃の、それから80幎台サむバヌパンクのダヌクな空気の䞭に珟れる芪しみのある顔マックス・ヘッドルヌム、ルヌ・リヌドのメタル・マシヌン・ミュヌゞックノむズミュヌゞックの長い歎史には蚀及しない、アむンシュテュルツェンデ・ノむバりテン、リズ・ロヌズLight Music、すべおアナログの玠材でできおいお、グリッチビデオ䜜品ずほずんど区別が付かない、そしお、JODIやネトチカ・ネズバノノずいったネットアヌトの開拓者たち。

さらに広げお、画像グリッチアヌティストずしお、フラン゜ワ・ルヌアン、アンディ・りォヌホル、ダニス・クセナキス、ケン・ゞェむコブス、ゲルハルト・リヒタヌ、ゞェむミヌ・リヌド。

8 グリッチアヌトはどの堎所でもどの時点でも生たれなかった、それは千の堎所でいっせいに発芋されたのであるそしお発芋され぀づける。初期のグリッチアヌティストは偶然性に魅せられた。䞀人きりの目撃者、おそらく䞖界初の、デゞタル的に倉換されたテキストの瞬間的な欠損 ヌヌ たずえば、砕けたJPEG画像、たたは自らを牜匕するこずができなくなった圧瞮されたビデオファむル。その゚ラヌは誘惑的で奇劙で矎しく芋えた。そしおすぐさた圌は思う、この悊ばしき゚ラヌはなにによっお起きたのだろうか、どうやったらこんな画像を故意に䜜り出せるだろうかグリッチアヌトずしお意識的にそれず同じ反応を匕き起こすこずは可胜である、にもかかわらず、その圢匏ぞのどんな鑑賞もそしおそれを生成したいず思うどんな欲求も、そもそもの玔粋な事故に䟡倀を眮いおいるこずは明癜であるし、それこそ、グリッチアヌティストが゚ミュレヌトしようずし、か぀たたは開発し拡匵しようずしおいる郚分なのである[3]。

9 グリッチアヌトはプロセスアヌトである。デゞタルデヌタの䞭に介入するそのアヌティストの手は画像の芖芚的本質の䞭にその跡を残す。そのアヌティストの䜜業過皋は正確なものではない、しかしカオスを匕き蟌む。䞀手はグリッチを匕き起こす、䞀手はグリッチを䜜り出さない。アヌティストが続ける限られた数の操䜜の重なりが最終的な画像ずしお明らかになる。

10 グリッチの実践ずは、欲求による探求であるのず同様、明らかに運転による振動でもある。意図的なグリッチをスクリヌンで、あるいはギャラリヌの壁で鑑賞するこずは必ずしも「終着点」を意味しない。個別のグリッチアヌト䜜品は「道皋」の残滓ずでもいえそうなものだ。芁するにそれは、グリッチの実践の兞型䟋倉曎する保存する芋る元に戻す、倉曎する保存する芋る元に戻す、の繰り返し、その止められないゲヌムのような闇雲な行為の偶然の副産物である。そのような準備を経お展瀺された画像や音やビデオは明らかに二次的なものであり、そのテクニックが実際にうたくいったずいう蚌明曞にすぎない。

11 グリッチを実践する者にずっお、偶然か故意かの区別は意味がないわけではないが、もっずも重芁な区別ずいうわけでもない。

12 その䜜成の過皋で、グリッチアヌトは確率論的になる。そのデヌタの倉曎がいかに転移しおゆくのか、ファむルを即死させおしたうのか、それずも識別可胜な倉化を起こさないのか、それを予芋するこずは難しい。しかし、そのファむルにずっおみれば、「遺䌝的玠因」は厳密で固定されおいるのであっお、「57904.jpg を開き、すべおの Q を 9hJ に眮換」ずいうグリッチにはなんら確率的なずころはなく、その結果は垞に党く同じである。ランダムにみえる結果は実は完党に再珟可胜なのであり、グリッチの実践ずは停-偶然であるず衚珟するこずもできるだろう。

13 グリッチを生成する前に、圌は結果は予枬䞍可胜だろうず予枬しおいる、ずいうパラドクス。もっずも魅力的なグリッチずは、鑑賞者だけではなく、䜜成者をも驚かせるものである。

14 別のグリッチに関するパラドクス。すべおの芞術的実践ず同様グリッチの技術を掗緎させおいくこずは可胜である、にもかかわらず、個々のグリッチ䜜品は次第に掗緎されおいくずいったこずはない。磚いたり、倚局にしたり、食り立おたりするこずは、グリッチアヌトを間違いなくその存圚論から匕き離すものである。さらに、堎合によっおは、ちょっずグリッチを掗緎させようず䌁おただけで、それを぀たらない状態にしおしたい、展瀺䞍胜にしおしたうだろう。

15 グリッチするこず、それは写真にも䌌お、簡単であり同時に困難でもある。グリッチアヌティストは䜜品を䜜り぀぀、画像やビデオが十分に砎損したか刀断しおいる。しかしグリッチアヌティストは、自分が匕き起こした色やパタヌンずどこか偶然的な関係を持ち存圚しおいる。その意味でグリッチアヌトはストリヌトスナップに䌌おいお、そのアヌティストの圹割ずその芞術が起こりうる条件には因果関係はないが圌はそれを導きそれに反応する必芁があるのだ。「グリッチの䜜品」ず蚀うこずに口ごもる必芁はないのだろうが、それでもやはりモダモダするのであっお、グリッチ実践のサむコロを振る偎面ず、いったいどこに実際のグリッチ「䜜品」が成立したのかが明癜に䞍確実であるこずず、その䞡方を背負わされたような気分になる。グリッチの偶然性の䞀面は、緊密なグリッチアヌトコミュニティが存圚するひず぀の理由でもあり、圌らは互いに䜜品を共有し評䟡しあっおいる。䜜品が成功し真に新しいものであるこずは皀である。

16 グリッチを実践する人々の䞀郚は趣味であったりDIYファンであったりする。圌らは䜙暇を䜿っお成功したり倱敗したり進んだり戻ったりを埪環的に繰り返しおいる。その喜びは個人的なものであるし、その方法は倧郚分が手元䜜業なので、グリッチするこずは時にはアヌトずいうよりは工芞に䌌るだろう。もちろん科孊ではない。グリッチ䜜成には、朚を削ったり、線み物をしたり、庭朚を剪定したり、倧切なバむクを磚くずいった、楜しい民芞的な退屈さがある。だが構造的には趣味の䞭では釣りがグリッチアヌトに近い。糞を攟぀、なにがかかるかはわからない。

17 グリッチアヌトが完成に向かう過皋でアヌティストは、その䜜品は倱敗を成功させおいるのかあるいは倱敗を倱敗させおいるのか、どちらなのかを䞍可避的に吟味する。䞀郚のアヌティストには、同じ画像から䜜ったいく぀ものグリッチのシリヌズをりォヌホルのような圢で公開する傟向がある。完璧な゚ラヌずは到達䞍可胜なものであるこずをグリッチ䜜成者はわかっおいるのだが、シリヌズスタむルの採甚はその事実ぞの無意識の抵抗の衚れであろう。たずえば、ある人はPNG画像の生コヌドを開いおデヌタの芁ずなるビットを探しそしお曞き換えたずき、そのビットはその画像をずおも興味深く予期せぬ圢に砎壊する。たたある人はオリゞナルを少しず぀砎損させおいくが完璧なデゞタル゚ラヌに到達できない、たたは実瞟のある手続きを自分で埐々に孊んでいく。もっず正確には、グリッチするこずはくじ匕きににお、䞀瞬のむチかバチかの賭けであり、最高のずきには盎感に導かれ、最悪のずきにはたぐれに導かれる。

「アヌティストが技術を孊びすぎるず、こぎれいな䜜品ができる」 ゜ル・ルりィット[4]

18 我々はグリッチを玔粋にデゞタルな珟象ず思いがちだ、しかしそれは芋圓違いである。グリッチずはアナログずデゞタルの再生成の状態が亀差する堎所である。ブロックやレむダヌに分かれたデゞタル倉換の底郚を堪胜するうち、アナログ偎からデゞタルが突き砎られる、グリッチアヌトずはそんな歪像である。アナログの指先が觊れたずき「デゞタルは野生に返る」のだ。D.N.ロドりィックが「転写ず倉換の差異」[5]ず呌んだものは汚し貶められた。タブヌは砎られたのである。

19 グリッチは本質的に機械的な出来事ではない。氎滎が電気回路に萜ちるずころを想像せよ、あるいはUPCバヌコヌドにマゞックで䞀本線を描き加えたなら。そこにグリッチが起こる、そしおそれは完党に機械的ではない。さらに、ファむルをグリッチするためにデゞタルのむンタヌフェヌスをもっずもよく䜿うのは事実だが、この介入はたぎれもなくアナログ偎から行われるのだ。究極のグリッチ䜓隓ずは以䞋のようなものだ。メディアファむルを無䜜為に遞び、その長ったらしい16進数のコヌドを手で、コンピュヌタ画面で曞き換える゚ラヌは避けられない。そのファむルを削陀し、そのコヌドを手曞きのシヌトから入力し盎すもっず゚ラヌ。保存する。ファむルを適切な゜フトりェアで開く。グリッチが起こる。そんな䜓隓はグリッチアヌトにおけるアナログずデゞタルの぀ながりを明らかにする。

20 グリッチ生成は垞に、匕き抜く感芚ずずもにある。バンゞョヌの匊を぀たびくような手぀きで、たたは、はみだしたた぀げを匕き抜くように、広倧なデヌタから䞀個のビットを぀たみ出す。非垞に耇雑で倉幻自圚のデゞタル圢匏に察面しお、グリッチアヌティストは真面目で熱心な態床ではなく、抜きん出る倧胆さを持぀べきである。

21 アナログ物䜓ぞのアナログな砎壊、たたはデゞタルファむルのデゞタル操䜜に察しお「グリッチ」ずいう語を䜿う限り、その語の朜圚性は倱われる。氎に濡れたカンバスは、偶然にせよ故意にせよ、あらゆる意味でグリッチではない[6]。プリンタヌの電源ケヌブルをネズミがかじるこずはグリッチを起こしうるが、なにが出力されるによる。掗濯機の䞭からでおきたデゞカメは可胜性をはらんでいる。ずころで、ここでは経隓からの教蚓ずいったものを問題にはしおいない。問題は、グリッチ、その発音が指し瀺すもの。その音は、急死を思わせ、そしお同時になにか予期せぬ物の出珟を感じさせもする。

22 アナログずデゞタルを接合するのだずしおも、グリッチはそれらの二元論を吊定するものでは党く無い。グリッチはかなりデゞタルカルチャヌに寄った行為であるし、アナログずの違いをよく理解したうえで行われる。グリッチずは組み合わせの行為である、ただし自明なようにふた぀の信号を混ぜ合わせたり分離したりするものではない。

23 先行するサヌキットベンディングからグリッチが゜フトりェアに移行するずき、重芁な倉化が起こった。倧量生産で安䟡なテレタビヌズみたいなおもちゃであっおも、それらを再配線するずいうのは、珟実䞖界にずりかえしの぀かない倉曎を加えるこずだ。しかし゜フトりェア䞊でのグリッチは違う。壊れたファむルを䜜るずいうのは壊れたコピヌを䜜るずいうこずであり、オリゞナルを倉曎するこずではない。その意味で、すべおのグリッチは「アンドゥヌ」を内蔵しおいるのであり、少なくずも理論的にはオリゞナルは保持される。グリッチアヌトの砎壊性は垞に、実はシミュレヌトされた汚れであり、シミュレヌトされた砎損であり、シミュレヌトされた危険である。削陀されたデ・クヌニングのJPEG画像は、ラりシェンバヌグの Erased De Kooning Drawing (1953) ずは性質的に異なる。蚀うたでもなくおおもずの「オリゞナル」が真であるこずが、グリッチアヌティストの倧胆䞍敵な倉曎を可胜にする。

24 たた同時に、なんにせよグリッチの詊みはちょっずした無闇な賭けなので、グリッチアヌティストは倉曎の前に随意に「コピヌを保存」する。グリッチは高床に制埡䞍胜な圚り方なのだずいう理由で、それを奜たない人もいる。スヌザン・゜ンタグが蚀うずころの、媒䜓を「酷䜿」[7]した、きわめお扇動的なモダニストの芞術䜜品の倚くは、倚様な制限の䞭で生み出されたのだが、䜜家の道具立おずしおアンドゥヌボタンがある状況など想定されるこずすらなかった。未来の矎術史家は、衚珟の歎史の䞭でもっずも倧きな技術論的か぀珟象論的な倉化の䞭に、クリックによる「アンドゥヌ」を眮き、その無制限さに泚目するに違いない。

25 グリッチアヌトの議論の䞭でポヌル・ノィリリオがしばしば匕甚される。しかし我々は以䞋のこずを明らかにしおおきたい。グリッチアヌトずは厳密には、「マシンを理解し、内郚から爆発させ、システムを占有するために解䜓する」努力であるずはたったく蚀えない。真の劚害は実行䞍可胜である。実際、珟実の劚害工䜜の事䟋は劚害しおいる偎をも傷぀ける危険がある。その意味では、グリッチの実践にアンドゥヌ機胜が充実するこずはそれを停-劚害工䜜に仕立おるだろう。グリッチした結果のファむルが、街角で公に展瀺されたずしお、それは鑑賞者を邪魔したりムッずさせたり劚害したりしないし「システムを解䜓」などもしない、ず蚀いたいのではない。そうではなくお、劚害を装い぀぀も、実際には、グリッチアヌトはデゞタル衚珟の芇暩ずその䞻䜓の無抵抗さを声高に蚎えおいるのである。

26 ピヌタヌ・ボグダノノィッチの1968幎の映画 Targets の䞻人公のスナむパヌのように、グリッチアヌティストは安党な䜍眮から、的確に呚到に、ゲヌムみたいな歓喜ずずもに笑みを浮かべお、無差別射撃する。熟緎の手぀きで、非垞に間接的に、遠くから気楜に、そんなグリッチのアむロニヌ。この文脈に関連するもう䞀぀の映画はホリス・フランプトンの(nostalgia) (1971) である。その䞭で映画䜜家が䞀連の写真をホットプレヌトで焌くのだが、ネガは焌かないのである。この砎壊の物語が描くのは、実際はなにも砎壊されおいないずいうこずなのだ。

27 しかし、今述べたこず党おに反しお、たれにグリッチアヌトが、倉曎前のオリゞナルを再構成も探玢もできないようなテキストを生成しお、取り返しの付かない珟実の劚害行為に䞎する事䟋もある。ここで重芁なのは吊定的偎面グリッチの砎損がすべお取り返しの぀かないものであるし、ほんのちょっずしたものすらそうなのだ。

「䞀般的なルヌルに反しお決しおむメヌゞの愉楜に惑わされおはならない」ロラン・バルト[9]

28 党おのテクノロゞヌず同様にデゞタルテクノロゞヌも倱敗するこずがある。デゞタルの倱敗においお、たさに驚くべき郚分は、それが起こったずきの人々の驚きである。それ以前のテクノロゞヌず違っお、デゞタルテクノロゞヌの倱敗は砎滅的な様盞を芋せがちだ。デゞタルは砎片やぞこみ無しで倱敗する。察しお、アナログメディアを砎滅させるには、火やハサミやダスリやでかい磁石などでの倧芏暡攻撃が必芁になる。掟手に砎壊されたずき、デゞタルの動画は血を流すこずなく、再生䞍胜状態に陥る。次の絵に飛ぶかわりに固たっおしたう。歪めたらいい倍音が出るずいったこずもない。特定の振幅に到達するのではなく、「クリップ」する。そしおアナログの゜ヌスずデゞタルの再生の盎亀を文字通り芋たり聞いたりする。そしお、すべおの信号はアナログから発しおいるし、同様にそれを知芚する生䜓もアナログである

29 グリッチアヌトはテキストを「汚す」こずはない、そうではなく基本郚分を蝕むのだ。その圱響が衚局で明らかになるのだずしおも、グリッチの砎損ずいうのは党䜓にわたるものである。

30 コヌドは倚局的に䜜られおおり、プログラマヌが比喩ずずもに構築したそれぞれの局で、そのふるたいが芏定され蚘述されおいる。技術ブロガヌであるゞョ゚ル・スポルスキはそれらの抜象化は「挏れがあるもの」だず説明しおいる[10]。それらは、そのラむブラリ、゜フトりェアコンポヌネント、OSなどを䜜ったプログラマヌが甚いた、隠された比喩にの䞊に乗っかっおいる。それそれの比喩はコヌドの振る舞いを完璧に蚘述しようずしおいるが、䜎いレベルではその倖囜語みたいな原始的なロゞックを包括できおおらず、挏れおいる。䜎レベルの现かい郚分は芋えにくい。たずえば4桁の西暊を2桁で保存するこずは高レベルのシステムでの倧惚事の可胜性ずなり、Y2K問題ずしお知られるが䞍安が発生した。隠された局が、ずきにゆっくり、しかしたいおいは突然、䞊流のロゞックぞ流出する。グリッチである。

31 グリッチの矎孊は、ブロックのようなものやキラキラした断片に向かう傟向がある。音のグリッチも鋭利な印象を持぀。倚くの人が蚀っおいるように、アナログのディストヌションにあるような「流れる感じ」や「暖かさ」トランゞスタアンプより真空管アンプが優れおいる点ずは逆の印象である。この唐突な砎損はグリッチアヌティストたちが気に入っおいる点だ。発狂した画像。金属片のような音。

32 デゞタルデヌタはそれ自身の解釈を含んでいない。デヌタのブロックは挠然ずしたもので、倖郚の凊理プログラムが参照するための枠組を䞎えられおいるにすぎない。グリッチアヌトはこの意図された凊理を阻むものである。真ん䞭に過剰なバむト列を挿入されたJPEGファむルは、もはやJPEGの䌁画曞に沿っおいない。それは正確にはJPEGではないなにか別のものだヌヌプログラムがデコヌドするには十分JPEGであるが、しかし、普通は抑圧されおいるが、非垞に明癜な、デゞタル画像の非線圢の本性を、間違っお顕にする。

33 䞀方、コンピュヌタのむンタヌフェむスは没入型であるヌヌ誀認識をうながすスキュヌモヌフィックなナヌザヌむンタヌフェむス、たずえばボタン、ドロップダりンメニュヌ、ブラりザのりィンドりのように珟実の物理性を暡したものたち。我々は぀のりィンドりが混ざったり亀錯したりするず思っおいない。グリッチが明らかにするのは、突然の珟象論的貫入であり、論理にしたがった砎壊である。それが衝撃的なのは、そのマシンで䜜業しおいるずき我々はその䞀郚であるからだ。グリッチはこの没入環境を厩壊させ、デゞタルの支配を無効にしその蔓延を露わにする。

34 グリッチするずは閟倀を探るこずだ。぀たり、半分壊れたファむルや、アナログの指先で郚分的に荒らされたデゞタルの写真、それらはほずんど芖認できないが、完党に芖認䞍胜になったわけではない。グリッチアヌティストはみんな蚀うのだが、ファむルを殺すのは簡単である。ファむルをゟンビのような厩壊具合にずどめおおき、䞍死状態に保぀のがずおも難しい。グリッチはこの、郚分的な倱敗でありたた郚分的な成功であるような、䞭間地垯のための努力である。像の衚瀺は、それが出おいる限り、ボケさせ歪め厩壊させるべきである。それが乱雑な解䜓を目指しおいるで堎合でも、グリッチ的半芖認性を評䟡できる。この「ほずんど、だが完党ではなく」の理論が、グリッチアヌトのその䜜成手法ず䞻な審矎䟡倀の䞡者に行き枡っおいる。グリッチアヌトは、だから、デゞタルの䞭での我々が眮かれおいる枅朔で芪近感ず信頌にあふれた秘匿された安寧の、䞍安で異垞な裏の面ずしお理解されねばならない。

35 同時に、矛盟しないかたちで、グリッチアヌトを自称する画像が絶え間なく措氎のように珟れるこずでコンピュヌタ゚ラヌぞの䞍安が解消されおいるず芋るこずもできる。グリッチアヌティストたちはデゞタル䟝存に恐怖を感じおいるずただちに認めはしないだろうが、圌らの䜜品は無意識的にコンピュヌタぞの䞍安を解消する効果を備えおいる。唐突な砎損はやがお衝撃的ではなくなり、その面癜い奇劙さは矎を含むようになる。゚ラヌに矎を芋出すこずによっお、それを順応させ、「所有」し、本圓の砎綻の可胜性を身近に、怖くないものず芋做そうずする。

36 2000幎台䞭頃、「グリッチ」ずいう蚘号ヌヌ我々がここで䜿甚しおいる意味でのヌヌはアメリカのメむンストリヌムカルチャヌの䞭に堂々ず登堎した。グリッチアヌトは久しく名付けられた矎をも぀こずを拒吊しおきたし、たた単玔にアルファベットの䞊べ替えずか蚀語間の誀蚳ずいったアナログの゚ラヌず同じ扱いを受けやすかった。ナヌモアサむトである engrish.com は、倱敗に䟝存しおいるこずや、出来合いのものの䞍合理さを扱っおいおロボットのようなその䞀貫性のおかげでグリッチっぜくなっおいる。䌌たような䟋で、2005幎にシカゎのタトゥヌアヌティストが客の胞に「Chi-tonw」ず圫ったこずがあったが「Chi-town」が正しい、この事故は単なるミススペルずいうより「グリッチ」に近しい[11]。その埌、わざず間違ったタトゥヌを入れるシカゎ民が増えたのは、間違っお圫られた男ずの団結を瀺すためであったし、たたファッショントレンドずしおでもあった。その結果がひどく間違ったものだずしおも、自分たちが完党に正しいずいう確信を保持しおいる点、そこがこれらの倱敗に基づくりェブの流行の重倧な類䌌点である。おっかなびっくり䞀回だけ間違ったのではなく、繰り返し自信満々で倱敗しおいるずいう点で、engrish.comや「Chi-tonw」はグリッチに近い存圚ず蚀える。

37 その栞で、グリッチはobjet trouvé蚳泚フランス語で「芋぀けた物」ずいう意味でありレディメむド芞術の意味もあるに憧れる。野生のコンピュヌタ゚ラヌの採取。アントニオ・ロバヌツずゞェフ・ドナルド゜ンによる Glitch Safariプロゞェクトは、圌らが公共の端末や駅のモニタヌで芋぀けたレディメむドのグリッチを、ちょうど消え去る前にずらえた写真を集めたものだ[12]。タむムズスク゚アを歩けば、掟手な広告が自らの耇雑さに耐えかねお、看板のピクセルがその過剰さの䞭、壊れた様を晒しおいる堎面に立ち䌚っおいやされるだろう。この実践の延長には、゚ラヌメッセヌゞヌヌ特に公共の堎にあるスクリヌンで芋぀かったものヌヌの蒐集もある。「グリッチっぜい」審矎的考察などたったく無しで、それらはグリッチ実践者によっお゚ラヌを出す暩利を賞賛されおいるのだ。[13]

38 アヌティストの䞀郚は自らその画像を加工するのを最小限に止めようずし、実際にグリッチしおその様子を芋るこずに䟡倀を芋出しおいる。コンピュヌタが間違ったデヌタによっお行う挙動こそがドラマなのだ。そのようなアヌティストにずっおは、その゚ラヌがたずえ人工的に生成されたものであったずしおも、゚ラヌを䜿っお画像を生成するこずに意味があるずいう意芋があるはずだ。反察に意図的すぎる䜜品は、アヌティストが故意に现郚たで操䜜した停物のグリッチを意味する䟮蔑的な甚語である「グリッチアラむク」であるず䞀蹎される[14]。この䞀線が、あるアヌティストず別のアヌティストを隔おるのであり、グリッチ解釈が衝突し差異が重なる堎所である。ある少数のグリッチアヌティストたちはレディメむドのグリッチだけが真のグリッチだず蚀い、ほずんどすべおのグリッチアヌトを停物ずしお退ける。

39 グリッチアヌトのコミュニティの䞭心的問題点は、グリッチ画像を䜜るアヌティストが倚くなったずいうこずだ。そこたで玔粋じゃない者たちもいるにせよ、画像の措氎の䞭にぱラヌや偶然の意矩を倧事にする者たちがいお、どうしおも必芁なある䞀぀の矎を远っおいる。集玄しお眺めるず、その矎ずいうのはしかしグリッチのもっずもわかりやすい偎面ずなる。1990幎台から2000幎台にわたり倚くのグリッチ画像を芋おきおわかったのは、それらがスタむルを確立したずいうこずだ。少なくずも名目䞊は真に無蚈画なカオスを維持し、おそらくは故意や事前準備ずは真逆の䜜品を䜜っおきたグリッチアヌティストたちの暗黙の信条は、この長期的な芖点の前では切り捚おられおしたう。これは倚くのアヌトムヌブメントで起こっおきたこずず䌌おいなくもない。シュルレアリストたちはか぀おは倢の様な繊现さを生み出すために衝撃的なむメヌゞの組み合わせを䜿っおいたが、次第に奇劙さが勝っおくるヌヌシュルレアルずいうよりは「シュヌルな人」たちになった。

40 ゚ラヌや偶然を遠慮無く加えおもありきたりな芋た目の結果しか出おこないずいうやっかいさがある。ベン・ベヌカヌスミスのGlitchBotプロゞェクトはそれをパロディ化しおいる。毎日クリ゚むティブ・コモンズの画像を無䜜為遞択しそれをグリッチしおフリッカヌのGlitch Artプヌルに投皿する[15]。砎壊的な感芚を刷新しお新しい矎を埗たい䞀郚のグリッチアヌティストはその陳腐さを眵倒するだろうし、たたレディメむドに舞い戻っおしたう人たちもいるだろう。しかし、レディメむドにさらなる矎を芋出すにせよ、グリッチを未螏の゚ラヌ領域に拡倧する新しい理由を぀くるにせよ、ただ矎を芋出されおいない手付かずの゚ラヌは限りある資源のようだ。キム・アヌセンドルフの Extrafile は、これたでにない機胜䞍党ず新しい゚ラヌのパタヌンをそなえた、壊すためだけの新しいファむルフォヌマットを䜜るこずによっおこの問題を指し瀺した[16]。

41 デゞタル画像の底郚ず衚局のどちらにも宿るナマの郚分に觊れたいずいう欲望。デゞタルの衚象が䞀芋非物質的であるのにかかわらず、グリッチ䜓隓の䞀郚が物質的な性質を持っおいるこずを吊定するのはむずかしい。おそらくもっずもそれが顕著になるのは、グリッチがファむルフォヌマットの隠れた差異を暎き出すずきだ。たずえば、JPEGずBMPは、壊れるずかなり違う芋た目になる。JPEGは壊れやすく壊れ方は掟手だヌヌJPEGは簡単に壊せるし、壊すず衚瀺が倉になる。BMPはより安定しおいお、無圧瞮のピクセルデヌタを持぀ファむルずしおメゞャヌであり、壊した郚分の隣のピクセルに圱響を䞎えたりずいうこずはない。ビギナヌ向けの有名なテクニックに、ベンゞャミン・バヌグが説明する The WordPad Effect がある。これはより安定したBMPのようなファむルでしかうたくいかない[17]。ただBMPは色を小さなカラヌパレットで管理しむンデックス化しおいおそれをファむルのあらゆる堎所で参照しおいる。もしそのパレットがかき乱されるず、ドリヌミヌでシャヌベットのような画像出力になる。䞀方、砎壊されたPNGはしばしば、たるでその画像をどこかに隠れた色ずりどりの貯氎槜に぀っこんで絞ったみたいに、巊䞊から右䞋ぞずしぶきが飛び散ったような芋た目になる。同様に、TIFFずか、DCSフォヌマットEPSずか、様々なフォヌマットにそれぞれの特城がある。それらの特性を知れば、JPEGずBMPを間違うこずはないし、8ビットカラヌのBMPず24ビットのものも区別できる。それぞれのフォヌマットを壊すずどうなるか、゚ラヌがどのように珟れるかは、経隓によっお明らかになる。

42 グリッチアヌトは、デゞタルの物質性を暎露する点で、モダニズムずの厄介な関係を持぀。アンディ・キャメロンは、ビデオアヌトや新しいメディアアヌトはしばしば「そのメディりムを探求するこずによっおその特性を明らかにする」ずいう意味でモダニズムにかかわるず指摘しおいる[18]。これらの新しい圢匏は、モダニズムずなるには生たれるのが遅すぎたし、型通りの自己批評性をただ、再領有化のようなポストモダン戊略で利甚し぀぀も、極限たで䜿いきっおはいない。このこずは、グリッチアヌティストず理論家の䞭に、ある䞍安を匕き起こしおきたし、だからこそしばしば、長く説かれおきたグリヌンバヌグ掟の課題ずの違いを匷調するこずによっお䞍安を取り陀こうずしおきた。゚ド・ハルタヌは、デゞタルの物質性を、1970幎台の実隓映画を匕き合いに出しながら、「圢匏ず内容、写されおいるずいうこずず写されおいるもの、知芚の䞭でその緊匵関係を経隓するこず」ずしおいる。「メディりムが傷぀き壊れ始め、䞍完党性を露わにする、たさにその瞬間、メディりムの特異性は指し瀺される。テクノロゞヌは倱敗によっお目に芋えるものになる。我々は厩壊を通じお物質を芋る。グリッチず゚ラヌはその起源を癜日のもずにさらすのである。」[19]

43 スタむルずいうよりプロセスを匷調しおいるずいう意味で、物質䞻矩者の芖点は「グリッチ」より「デヌタベンディング」ずいう蚀葉ず盞性がいい。「グリッチ」のように䜜品の䞭に偶然を導入するこずを、「デヌタベンディング」は意味しない。ロサ・メンクマンの A Vernacular of File Formats は異なる皮類の壊れた画像のカタログであり、デヌタベンディングする人に正確に操䜜しおそのような画像を再生成するよう促しおいる[20]。これは人々がグリッチをはじめるための手助けを目的ずしお曞かれたのだが、おそらく物質䞻矩的アプロヌチを䞍毛なものにする助力にもなる ヌヌ ファむルを壊すこずずPhotoshopのフィルタヌが同等のものに垰着しお ヌヌ それはどうでもよくなる。そしお、より偶然に䟝った、物質性やメディりムから離れた䜜品が守られる。

44 グリッチの矎が、メむンストリヌムメディアに組み蟌たれおきおいるのは間違いない。カニ゚・りェストの “Welcome to Heartbreak” ネむビル・゚ルダヌキン, 2009のビデオは、「デヌタモッシング」ずしお知られるグリッチテクニックを䜿いながら、衚面的でうたく調節されたものに仕䞊がっおいる。The Social Network デむビッド・フィンチャヌ, 2010のサりンドトラックCDのアヌトワヌクには、フリッカヌのGlitch Artプヌルにあっおもおかしくないようなグリッチしたスティル写真が甚いられた[21]。グリッチしたむメヌゞがメむンストリヌムの映画に珟れるずきヌヌたずえば The Dark Knightクリストファヌ・ノヌラン, 2008の䞭のゞョヌカヌのビデオずか、Cloverfieldマット・リヌノス, 2008のハンディカムの映像ヌヌ それらは、デゞタル映画の幻それ自䜓に疑問笊を付けるためにではなく、本物らしさずいう名目で登堎するのである。グリッチが映画内の映画ずいう前提無しに登堎する長線映画はめったにない。メむンストリヌムカルチャヌにおいおグリッチは、工芞技術ずしおではなく、真実性の意味で登堎する。これは、ガレット・スチュワヌトが ヌヌ 垂民ケヌンの䞭で流れる「苊劎しお手で汚しお」䜜られたニュヌス映像を匕き合いに出しながら ヌヌ「汚しによる本物らしさ」ず呌んだもののデゞタルバヌゞョンである。

「このレコヌドからは反人間的で反情緒的な特城を感じ取った。これはある意味、人間の感情ず手で䜜られたずいうより、テヌプレコヌダヌずアンプずスピヌカヌずマむクずリングモゞュレヌタヌで䜜られた音楜ず蚀ったほうがいい。だからなんだ今日、ほずんどすべおの音楜が反情緒的であるし、機械によっお䜜られおいる。」レスタヌ・バングス、ルヌ・リヌドの Metal Machine Music ぞのレビュヌ[23]

45 グリッチアヌトが本物らしさず汚しに関連するこずを話したり曞いたりするずき、人はい぀も「壊れた」ずか「砎損した」ずか「倱敗した」ずいうべきずきに「やっちたった」fucked upずいう衚珟を䜿っおしたう。おそらくその理由は、グリッチの実践矎は、パンクの文化ず芪和性があり、そこでは芋た目にも音的にも「やっちたった」が正しいのである。

46 幎月が流れ簡単に忘れおたいそうだが、アナログの時代、䞭でも20䞖玀の䞭頃から埌半たでは、ノむズリダクションの時代だった。録音や映像のノむズを枛らすために費やされた時間ず劎力ずお金は、思っおいるより倧きい。だから、䞖界初のDATデゞタル・オヌディオ・テヌプデッキの登堎は䞀皮の奇跡であった。テヌプの「ヒスノむズ」ず歪みは氞久远攟された。ドルビヌのノむズリダクションは無意味になった。しかし今日、高解像床でノむズレスの時代、叀きノむズぞの欲求が朜圚的に存圚する。ロヌファむの音楜や写真はその、ノむズの再導入ずいうあたのじゃくな衝動の䞀郚であるが、グリッチアヌトもそれず無関係ではない。ロヌファむアヌトはノむゞヌで品質䞍良の初期状態ぞ、あたのじゃくに再垰しようずするこずだず蚀えるが、察しおグリッチずは、こぎれいでピクセルが敎列し完璧にドラッグドロップされる、ずいったデゞタル時代の状況の䞭に、手間のかかる面倒なアナログの手䜜業の望たれぬ垰還を具珟化するものである。

47 デッド・ケネディヌズの1981幎のEP、 In God We Trust, Inc. のある曲の冒頭でゞェロ・ビアフラは曲名を次のように玹介する「‘Nazi Punks Fuck Off’ はマヌティン・ハネットによっおオヌバヌプロデュヌスされおる。テむク4」。この蚀葉は、重々しく矎しい倚局的音響を持぀ゞョむ・ディノィゞョンの2぀の偉倧なレコヌドで有名になった英囜人音楜プロデュヌサヌを名指ししおいる。それはずもかく、デッド・ケネディヌズは1970幎台から80幎台の音楜の朮流にはっきりず楯突いおいた。「オヌバヌプロデュヌス」はパンク以降には日垞語になっおいくが、デゞタル以前の時代においおそれは、音楜制䜜におおきな障害がある堎合にだけ行われるものだった。デッド・ケネディヌズはアルバム制䜜をほずんどスタゞオラむブで行い、オヌバヌプロデュヌスするこずはなかった。たた、オヌバヌプロデュヌスできる時間ずお金など欲しくおもなかったのである。

今日、デゞタル録音のアルバムをオヌバヌプロデュヌスだず揶揄しおもほずんど意味がない。しかし、再垰的でいくらかノスタルゞックな欲求が、パンクスのオヌバヌプロデュヌスぞの嫌悪に代わり登堎する。曲アルバムアヌティストの「過剰圧瞮」である。なににもたしお、グリッチアヌトが劚害行為ずしおうたくいくのは、圧瞮のメカニズムがあるからであり、その䞭でロヌファむの矎ずパンクの倫理が回埩するのである。

48 デゞタルの倉換が垞にそれ自身を正しく埩元するのだずしたら、グリッチは぀たりアナログのデゞタルに察するパンクである。グリッチは、正垞さを台無しにする、埓順さを欠く身振りであり、゜フトりェアを正しく䜿甚するこずの攟棄であり、䞍法占拠の技術的圢態である。我々のコンピュヌタの䞭にあるが実際には我々のものではない゜フトりェアが、䜿甚蚱諟が壊れお、我々のものになる堎合が時々ある。グリッチアヌティストはアナヌキヌにランダムなデヌタを挿入し、コヌドを本来あるべき状態に戻し「開攟」する、パンクの発散ず隒音そしお自由のメタファヌはいただ有効である。

49 グリッチは知識共有ずいうオヌプン゜ヌスの粟神性を持っおいるが、それはパンクのDIYの䌝統から来おいる。グリッチアヌティストが䜜品をどうやっお䜜成したか明かさないず、それがPhotoshop加工でない「本物」のグリッチなのかずいう疑問を匕き起こすだけでなく、そのアヌティストが集合知に協力せず利己的にそのテクニックを隠しおいるのではないかず蚀われる。これはすべお、信憑性に関する䞍安ずグリッチの政治孊の反映である。これは、はっきりずは蚀えないが、個人的映像䜜家たちが私的な動機を超えお協力関係ず共同䜓を築くのに䌌おいる。

50 2010幎のGLI.TC/H カンファレンスに登堎した「Glitchs not dead」ママずいう蚀葉が蚘されたTシャツ[24]は楜しみ以䞊のなにかを備えおいる。このUCNVによる、過ぎ去ったパンクの歎史ぞのオマヌゞュは、矎孊ずよく敎理された実践の䞡者に関しお、グリッチは実際メむンストリヌムのデザむンに回収されお「終わっおしたった」のか吊かずいう長きにわたる議論をも同時に指し瀺しおいるずいう意味で、非垞に適切なものである。

51 1980幎台ず1990幎台を通じおパンクが新鮮さを倱っおいったように、グリッチが倧衆音楜やテレビコマヌシャルなどの䞭に取り蟌たれおいくのを芋るのは心苊しいものだ。同時にパンクず倧きく違っお、どんなに倧衆的な堎所にあらわれおも、グリッチは芞術界のメむンストリヌムには少しも近づくこずがない。この無芖状態ヌヌギャラリヌの店頭販売で売られるこずの無さヌヌは、グリッチアヌティストが、衝撃的な画像を倧量生成するのにコンピュヌタを䜿甚しおいる、単なる匕き金を匕く圹でしかない、その培底的な制埡の攟棄に、盎接関連しおいるのだろうかグリッチは、芖芚的にも聎芚的にも消耗するものであるのに察しお、資本䞻矩的な亀換䟡倀を持぀消耗品ずしおは、それが劎力のたたものではないため、無䟡倀だず思われおいる。アヌティストがグリッチを生産するのではない、そうではなく、それは転がり蟌んでくるのである。四捚五入するず、グリッチは0のひらめきず0の努力であるず蚀えるヌヌ資本䞻矩的には受け入れがたいおはなし。少なくずも、グリッチの劎力はその他のアナログやデゞタルの圢匏ずくらべお非垞にれロに近いず蚀えるこれに関しお、圓然ずパンクな声を挙げるこずができるだろう。その独孊䞻矩、事実䞊のコストれロ生産、奔攟な蔓延 ヌヌ グリッチが無名状態に抌しずどめられおいるのは、たったく圓然のこずである。

「欲動が、いわば、倱敗を勝利に倉えるヌヌ欲動においおは、目暙ぞの到達の倱敗そのもの、この倱敗の反埩、぀たり察象の呚囲での再珟のない埪環は、それ自身の充足を生み出すのである。」スラノォむ・ゞゞェク[25]

52 ラカンには倱瀌ながら、我々がグリッチアヌトの症状的「その他」ず呌ぶもの ヌヌ それが惰性になろうずも繰り返すを止めるこずはできないずいう事実 ヌヌ を芋萜ずさないこずが重芁である。グリッチされたJPEG画像をいくら芋ようずも、それらをポストするのを止める反動があるわけではない。グリッチアヌトずは攟蕩であり、自己管理ぞの拒絶であり、そしお倚くの堎合、自己修正の倱敗である。鍵は、しかしながら、この「その他」を、狂っおいお芋境いのないものずしおではなく、積極的にグリッチの存圚論の䞭心ずみなすこずである。グリッチずは反埩である。デゞタルの支配に察する戊争においおグリッチアヌトが持぀最も匷力な歊噚は、発明ではなく、敵に察するデゞタル倉換の様々なプロセスを甚いた、自らの調和を乱すようかのような目的なき反埩なのだ。

53 繰り返しは分裂的であり、2぀の党く異なる方向を持぀。䞀方には、砎壊槌の暎力があり、障害を打ち据え次第にもろくする。䞀方は、目を瞠るほど華麗なやり口で倉化を鈍くも拒絶するその状況ぞの受動的な反動である。この぀目の意味で、グリッチの実践ずは欲望に埓うものではなく、内圧や動力、その過激な内圚性に埓うものなのだ。

54 繰り返しを止めるのを拒むこずで、グリッチは、メむンストリヌムのデゞタルメディアの完党性ぞの指向や欲望はすべおいずも簡単に砎綻するのだずいうこずを垞に思い起こさせるだろう。しかしながら、グリッチし぀づけるこずぞの抑えられない匷迫芳念、この惰性は、䞍運な副䜜甚ずしお、グリッチアヌトの真の力の構成芁玠ずなる。もし同じであるこずに察する朜圚的䞍安が欠萜しおいるのなら、グリッチの砎壊性は奇しくも枛退しおしたうだろう。おそらく宿呜的にそうなる。

55 デゞタルの時代は、過剰にフォトショップ加工されたむメヌゞによっおもたらされる。シャヌプ効果は停物のパリパリ感を生み出し、䞀方レンズ補正プログラムは撮圱角床の誀差を埋めるために䜿われ、隔離され滅菌された写真品質をもたらす。デゞタルの時代はたた、息苊しいほどたっさらな颚景、絶え間なくうねる「カメラ」ワヌク、そしお超絶的に现かな衚面を持った、コンピュヌタヌグラフィックスの倧ヒット䜜をもたらす。グリッチはそのような映像からもっずも遠く、技術的進歩が䞍毛な状況ぞず再汚染しおしたう。䞀床はその驚きの衚情を隠し、その驚きを容易に忘华したずしおも、たた別の新しい驚きが入れ替わり珟れる。10幎以䞊にわたり匷迫芳念的にそれを行うなら、それは党く違う䜕かになる。

56 よきグリッチアヌトをよからしめるのは、無限のごずき画像の措氎のただ䞭で、コンピュヌタの䞭の野生の感性を保持するこずである。


ヒュヌ S. マロヌンは、クラヌク倧孊の准教授で映像孊の指導教官、ラカン掟理論ずフィルムノワヌルを専門ずする。Cinema Journal、Film Criticism、Frameworkの数倚くのアン゜ロゞヌに寄皿、トッド・ブラりニング、゚ドガヌ・G・りルマヌ、ゞョヌゞ・ロメロ、ミヒャ゚ル・ハネケ、スタンリヌ・キュヌブリックを論じる。パンクずロヌファむ、グリッチ衚珟に興味を持ち、珟圚は “Lack and Losslessness: Toward a Lacanian Aesthetics.” ずいう題名の本を執筆しおいる。

ダニ゚ル・テムキンは、ずきにはコンピュヌタずの容易ならざるコラボレヌションを行いながら静的たたはむンタラクティブな䜜品を䜜る。北米やペヌロッパのギャラリヌや矎術通、Bent Festのようなグリッチに関わるむベントで䜜品を展瀺しおきた。GLI.TC/H、 Rewire (Media Art Histories)、Hackers on Planet Earth などの䌚議で発衚、ブダペストず南むタリアでアヌティストレゞデンシヌを経隓。珟圚は囜際写真センタヌで矎術孊修士候補。


泚釈

1 John Glenn, Into Orbit (London: Cassell, 1962), 86

2 Jason E. Squire, The Movie Business Book (New York: Fireside, 2004), 54

3 この゚ラヌを再生性しようずする傟向は、トマス・ルフやゞェシカ・むヌトンなど、グリッチアヌトではないが、グリッチの実践ず別の面で぀ながっおいる䜜家の䜜品にも芋出すこずができる。

4 Sol LeWitt, “Sentences on Conceptual Art,” 0-9 (January 1969): 4; reprinted in Art-Language 1 (1969): 11-13; and in Ursula Meyer, Conceptual Art (New York: Penguin, 1972), 174-75

5 David N. Rodowick, The Virtual Life of Film (Cambridge: Harvard University Press, 2007), 125

6 我々はここで、ティム・バヌカヌが、フランツ・゚ルハルト・ノァルタヌの事故的に濡れおしたったコラヌゞュを「デゞタルの範疇に限定されない」グリッチの圢だずした論に意矩を申し立おおいる。 Tim Barker, “Aesthetics of the Error: Media Art, the Machine, the Unforeseen, and the Errant,” in Mark Nunes, ed., Error: Glitch, Noise, and Jam in New Media Cultures (New York: Continuum, 2011), 45-6

7 Susan Sontag, Against Interpretation and Other Essays (New York: Picador, 2001), 287

8 SylvÚre Lotringer and Paul Virilio, The Accident of Art (New York: Semiotext(e), 2005), 74

9 Roland Barthes, Le plaisir du texte (Paris: Éditions du Seuil, 1973), 42

10 Joel Spolsky, “The Law of Leaky Abstractions,” Joel on Software, last modified November 11, 2002, http://www.joelonsoftware.com/articles/LeakyAbstractions.html.

11 The now-commonplace leetspeak term “teh” and the UK-based clothing brand fcuk carry similarly glitchy connotations.

12 Jeff Donaldson, “Glitch Safari,” Vimeo group, accessed October 31, 2011, http://vimeo.com/groups/glitchsafari; Jeff Donaldson and Antonio Roberts, “Glitch Safari,” Flickr group, accessed October 31, 2011, http://www.flickr.com/groups/glitchsafari.

13 ダヌコ・フリッツは、そのむンタヌネット・゚ラヌ・メッセヌゞ・プロゞェクトにおいお、花やサボテンによる数癟の「ピクセル」からなる倧芏暡な園芞的䜜品ずしおHTTP゚ラヌメッセヌゞを再構成する。 Darko Fritz, “Projects,” darko fritz propaganda, accessed October 31, 2011, http://darkofritz.net/projects.html.

14 Iman Moradi, “Gltch Aesthetics” (B.A. honors dissertation, University of Huddersfield, 2004), 10-11

15 Ben Baker-Smith, “GlitchBot,” Bit_Synthesis, accessed October 31, 2011, http://bitsynthesis.com/glitchbot/.

16 Kim Asendorf, ExtraFile for OS X, accessed October 31, 2011, http://extrafile.org/.

17 Benjamin Berg, “Databending Images in WordPad,” stallio!’s way (blog), July 12, 2005, http://blog.animalswithinanimals.com/2005/07/databending-images-in-wordpad.html.

18 Andy Cameron, “Dinner with Myron Or: Rereading Artificial Reality 2: Reflections on Interface and Art,” in aRt&D: Research and Development in Art, eds. Joke Brouwer, et al. (Rotterdam: V2_NAi Publishers, 2005), 40-56; cited in Katja Kwastek, “Myron did it first” (presentation, Rewire Conference, Liverpool, UK, September 28-30, 2011).

19 Ed Halter, “The Matter of Electronics,” Vague Terrain, last modified February 3, 2010, http://vagueterrain.net/content/2010/02/matter-electronics.

20 Rosa Menkman, “A Vernacular of File Formats,” Sunshine in My Throat (blog), August 2010, http://rosa-menkman.blogspot.com/2010/08/vernacular-of-file-formats-2-workshop.html.

21 グラフィックデザむナヌのロブ・シェリダンは、グリッチの矎を暡倣するために面倒なフォトショップ䜜業するのを避け、画像をグリッチするこずにしたず蚘しおいる。 Rob Sheridan, “The Social Network Soundtrack Art,” robsheridan.com, accessed October 31, 2011, http://rob-sheridan.com/TSN/.

22 Garrett Stewart, Framed Time: Toward a Postfilmic Cinema (Chicago: University of Chicago Press, 2007), 51

23 Lester Bangs, “The Greatest Album Ever Made,” in Psychotic Reactions and Carburetor Dung (New York: Alfred A. Knopf, 1987), 196

24 “Glitch Gallery Opening,” GLI.TC/H, accessed October 31, 2011, http://gli.tc/h/gallery.html.

25 Slavoj ÅœiÅŸek, The Parallax View, (Cambridge: MIT Press, 2006), 63


( Notes on Glitch http://www.worldpicturejournal.com/WP_6/Manon.html の蚳出)

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