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サボタージュ!グリッチ政治学の手引き

カート・クロニンガー/ニック・ブリッツ

1 コンピュータは間違いを犯さない、人々が犯すのだ。同じ変数で、同じ入力なら、コンピュータは常に同じ出力を表示する。しかしながら、しばしばプログラマーが手を滑らせ、ループを閉じるのをわすれたり、不意にメモリリークを残したりする。しばしばユーザーは想定されていないやり方でファイルを開くし、ファイル転送が終わらないうちにUSBを引き抜いたりする。それがまったくありきたりな、しかし想定外の出力結果を導く。私達はそれをコンピュータのせいにし、その瞬間のことをグリッチと呼ぶ。

2 おそらく、グリッチとはシステム障害のことだと思われているだろう。我々の目的にかなった実際的な見方によれば、その障害がシステムの輪郭をはっきりと暴く、そのやり方にこそ価値がある。無数の違った失敗の仕方があり、それぞれが新しい方法でシステムの振る舞いのユニークな(ユニークに利用可能な)輪郭を描く。ハイデガーの壊れた鉄槌により世界全体を停止点検する(我々のすべてのキンタマ道具、キンタマ計測、靴、ワークショップ、丘の中腹、牛の隠れ家、雨、ふくろう、大槌、ファミコン)。我々が暗黙のうちに使っている世界、気付かぬうちに巻き込まれている世界を。しかし、だからなんだ?壊れた鉄槌を見つめるのをやめて、もっと鉄槌を壊してみよう。無数の壊れた鉄槌。

3 おそらく、政治を、世界の事物をめぐる関心の共有と見ることが有用である。事物は、他の事物に通じている。実際、事物が他の事物に通じていることが世界を作る。事物抜きでは世界は無い。おそらく、ラトゥールやハイデガーを絶え間なく振り返るのではなく、このように政治や事物や世界を理解することが有用である。

4 テクノロジーは中立的道具でなく、むしろ世界の見え方と文化基準の症例であることを思い出させるとき、グリッチは自らの政治性を露わにする。暗号が破られたとき、ユーザー認証情報が漏洩したとき。-- Facebookのフォームに個人情報が現れた時我々はプライバシーをどう考えるか -- Eメールが文字化けしたりネット経由でビデオや音声が欠けたとき我々はアイデンティティをどう考えるか -- 我々は関係性をどう考えるか。

5 「こうした「世界」的ないし「国家」的戦争機械の諸条件、すなわち固定資本(資源と物資)と人的可変資本こそが、変異的、少数者的、民衆的、革命的なさまざまな機械を産み出す予想外の反撃や、意想外な発意の可能性をたえず再創造するのである。」事実、恐れる必要も希望する必要もない。新しい兵器を一瞥する必要すらない。すでに持っている兵器を改造する必要があるだけだ。 (訳注: ドゥルーズ/ガダリ「千のプラトー」)

6 もし政治が単に、世界の事物をめぐる関心の共有であれば(実際そうであるのだが)、グリッチという出来事は、事物という意味で、常に既に政治的に内在している。しかし、それは歯磨き粉だってそうだ(実際そうだ)。

7 グリッチは意図的であるとき[より]政治的である。

8 無菌のグリッチ研究所でグリッチを生成し、現行の社会システムにそれを植え付ける必要はない。グリッチは現行の我々の在り様から自然に現れる、既にシステムに組み込まれたものなのだ。それらのシステムは独自のテクノロジーを持ち、独自の政治、法、経済、歴史、記憶、可能な未来を持っている。工場労働者のもとには既に寓話的な木の靴が存在している。彼らは武器を密輸する必要はない。人工的に妨害者を「植え付ける」必要はない。我々妨害者は既にそこにいるのだ。

9 「特筆するべきは、名だたる建築家らは建築の歴史を通じて、漏れや欠けやその他の失敗をわざと利用することがあったということだ。実際、ステイタセンターも同様の意図でもって様々な失敗から建築を始めたのだが、大学はデザインにも構造にも欠陥があるとして、2007年にゲーリーを訴えた。ゲーリーはその建築的破綻を用いた特徴的な様式で名声を築いたのだったが、皮肉なことに、それを欠陥建築と責められたのである。」 (訳注: "The Interface Effect" Alexander R. Galloway)

10 壊れているようにみえる物と「実際に」壊れている物との間には[事実上の]違いがある。「本当の情報的不全 -- 機能不全 -- は、喜ばしいもの、どこか「芸術的」なものへ、一般には純粋に審美的な支えを受けて書き直される。だから、機能の破綻を介して美を築く芸術家が多くいるのである。」 (訳注: "The Interface Effect" Alexander R. Galloway)

11 グリッチはそれが予期されている場合、あまり効果的ではない。

12 機械はグリッチを認識できない。人間だけがグリッチをグリッチと判別できる。なぜなら機械は因果関係を予測することがないからである。それはやることをやるだけだ。グリッチは、人が一個の物事を見誤ってなにかをしでかした場合に起こる。期待も見通しも予測もなく、正しいという感覚や想定される結果もないなら、グリッチは存在しない。それは単に世界に起こる出来事である。人がグリッチを現状の信号を邪魔するひどいノイズとして除去するとしたら、人がグリッチという出来事の感触を受け入れおののいたり怖がったりするのを拒絶するとしたら、彼らは政治的に保守的/保存的な決断をしているということだ。

13 政治的グリッチは人体を暗示し、人体に暗示されいている。すべてのメディアの最終地点はアナログである -- 音声、光、臭い、触感、その神経を波立たせる波形、空間にある肉体に届く感覚的波。我々はバイナリを味わうことが出来ない。政治的グリッチはシリコン製の機械(そこがすでに物理的ハードウェアだ)から、人間の湿った器官に到達する、グリッチはトニー・コンラッドのフリッカー映像のように働く -- プロジェクターはてんかん発作を起こさない。グリッチはメディアが(最終地点である)人体に到達するとき起こる。

14 様々なグリッチの経験の瞬間、自身がそのグリッチを生成したシステムに暗黙のうちに組み込まれていると感じるなら、グリッチは個人的な政治性を持つ。それは個人的な負担、個人的な暗黙、個人的な責任の瞬間である。尋常ならぬトリップ感を伴う最初の「アハ」の天啓のような瞬間の次に、「クソッ」という個人的な暗黙的瞬間がある。

15 グリッチは車のドアが指を挟むのと同様に政治的である。グリッチは、それがあなたの指を挟むとき政治的になる。

16 機械は生活空間/時間の感覚を加速させるから、「アハ」と「クソッ」の間の交感はほとんど即座に起こる。デジタルの視覚的なグリッチは、ゆっくりしたアナログ感覚への最初の「訓練された」抵抗を超えてくる、不快な影響を持ちうる。映画のジャンプカットの無感覚的/気絶的な効果と違い、このグリッチの不快は感覚的に自分がその一部であるような感覚を呼び起こす。

17 美学としてのグリッチ(っぽさ)[データモッシュ(っぽさ)、ノイズ(っぽさ)、ピクセル(っぽさ)、人工物(っぽさ)]と、「アハ」と「クソッ」の中間としてのグリッチ[破壊、破損、妨害、不注意]を区別しよう。ふたつの異なる品質は時に同時に共有され、時にされない。

18 ある日、誰かとスカイプしていた... 興味を失い始めたとき、ビデオがグリッチした、すかさず画面をキャプチャする... まぁいつもするのだが。

19 「アハ」と「クソッ」の間の交感はもっと漸進的で腐食的なものかもしれない。何時間もの多人数での多箇所でのネットワークビデオチャットのセッションは度重なる遅れ、ズレ、中断、処理落ち、フィードバックを含みうる -- そして肉体的に、言語的に、その時空間ネットワークの距離と失敗を漸次的に感じるのである。

20 すべてのグリッチアートは最初の天啓的「アハ」を持つ(定義としては、しかし人間はそこを「グリッチ」と「読ま」ないだろう)。最初に「アハ」がやってくる。暗黙の「クソッ」をアーティストが料理する。「政治的」グリッチアーティストの目的は、「アハ」を「クソッ」に展開するために、グリッチの出来事を位置づけ、紐付け、注入し、予め配置することだ。「政治的」グリッチアーティストは(時に)トリップ感のある見た目のクソに満足しない。「政治的」なグリッチアーティストは(時に)、我々が人間/システムへ組み込まれていることへの暗黙の気付きを導くために、それらの組み込みが高まり敷衍するのを「見る者」としての暗黙の負担を導くために、クソをグリッチする。政治的なグリッチアーティストとは、彼女自身の行為主体性の感覚と、つきまとう重責/負担とともに、それを「見る者」を授けるのである。

21 ファイルがサーバー上で破損しそこに「クソッ」という人がひとりもいなければ、グリッチは発生しない。

22 「政治的」グリッチアーティストはキツネのように怠惰である。一度書くだけで、どこでも、常に、既に、実行可能。彼女は転換点を、閾値に到達する状態を、行為主体性のてこの支点を、探し求める -- システムの累乗的変調の中にほんの小さな障害が現れるその場所。彼女は継続的に折り返し再帰的に増長する。シャンプー、リンス、繰り返し。

23 行為主体性のスイートスポット、その最高にお得なてこの支点、それはしばしばファイルのソースコードの中に隠れている。ファイルのヘッダを書き換え、残りの内容記述部分を手付かずのまま放置せよ。そうすれば車のように走るアヒルを得るだろう。車輪を付け加える必要は無い、そのアヒルが車だと言い聞かせるだけ。百万もの異なる衝突を見せるだろう。それを数えさせてくれ。

24 「政治的」グリッチアートは常にグリッチらしく「見える」わけではない。ときには「見え」ないことすらある。聞いたり触ったりできるだけの場合もあるが、常に感じることだけはできるだろう。政治的グリッチアートは千のマシンの中の千の幽霊をキャッチ・アンド・リリースする単純なプログラムである。それは、既にそこにあった泥臭さをあぶり出し、あなたも既に、泥に膝までつかって、そこにいたのだという事実をあぶり出す。

25 政治的グリッチアートはいつもマシンによって引き起こされるわけではない。コンピュータ不在で事が始まり、コンピュータの介在によって事が拡大する。またはコンピュータの介在で事が始まり、コンピュータ不在の状況で事が拡大する。シャンプー、リンス、繰り返し。しかし実際は、離散的コンピュータ不在の世界の外には、離散的コンピュータ介在の世界はない。我々は要するに、時々コンピュータ介在の世界に生きる。グリッチは世界内世界に、コンピュータと肉体と岩と伯母さんと文と鉄槌とアイデアと手引きが平行して存在する世界に、生まれ生きるのである。

26 政治的グリッチアートはいつもマシンによって引き起こされる。それは、語源的にも文化的にも、生物学的世界での出来事である。デバイスによるファイル解釈を解釈する人よりも壊れたファイルを解釈するデバイスより壊れたファイルはない。それらの間に、事は存在する。グリッチはマシンなくして存在せず、人間とマシンの区別が崩壊すれば存在しなくなる。グリッチとは時間の上にあり、瞬間的に政治的でありうるのである。

27 政治的グリッチは、小さな意味、小さなシンボル、視覚言語上の小さな文字、そんな機能になるのを拒絶する。おそらくそのようなこと全て。誰が気にかけようか?それは自らの意味論的状態に対して関心を持たない。それは肉体を感覚的にゆさぶることを目的としている。「歴史に残るなんてベイビー、望んでないよ。ただ鼓膜を震わせたい、それだけなんだ」 (訳注: Sniple Tap "Heavy Duty" の歌詞)

28 グリッチのサボタージュとシチュアニストのデトゥルヌマン(転用)には多くの明らかな違いがある。グリッチのサボタージュとシチュアニストのデトゥルヌマンはほとんど同じことだ。グリッチのサボタージュとコンピューターウイルスには多くの明らかな違いがある。グリッチのサボタージュとコンピューターウイルスはほとんど同じことだ。

29 グリッチはそれが[ほんの小さな]イメージになるとき、政治性を失う。

30 再規定され、再文脈化され、標準化されるのを拒む目的で、グリッチがネットワークに送り込まれたときにグリッチのサボタージュは起こる。技術的である必要はないが、常に認知にかかわる仕方で、そこに含まれるすべてをウイルスのように、グリッチしてしまう。

31 どのように、グリッチアーティストは意図的なグリッチを導入/積載し、それらを生み出した組み込まれたシステムの表層へまたは下層へそれらを送り込むのか?なにが回路がショートして爆発するのを誘発するのか?どんなシステムの変調がそのような連鎖反応を生み出すのか?

32 どうのようにして、グリッチは意図的に自らを含むシステムに{バッファの}横溢を紛れ込ませるのか?マシンの中で(またはマシン抜きで)?

33 もっとも有効なグリッチアートは自らの枠組みを食い荒らすことがらはじまる。フェイスブックやグーグルでのglitchrによるアートのように -- 企業のウェブサイトのいかした区画(div)やボーダーを超えていくグリッチされたテキスト。デリダが言うパレルゴンは硫酸のニスを塗られる。William Pope L.のブラックファクトリーのように -- 「黒人的」な物を受け取って物理的な他の物に変換するという移動するパフォーマンス。ブラックファクトリーは「アウラ」を離散的な/単一の物体に変調させるマシンだ。物体を変化させるマシンとして、それは(美術史的偶像化または機関的アーカイブ化を通じて)自身が物体に変換されるのを拒む。ブラックファクトリーは、自分を物体へと変換しようと目論む機関的マシンの中へ効果的にブーツを投げ込む。アーカイブ化のプロセスの中で、機関的マシンはすぐにそれは何なのか(記憶の工場か?文化の工場か?殺菌工場か?)を明らかにしようとする。ブラックファクトリーは、アーカイブされた芸術という物体への最終的/不可避的な再文脈化を意図的に自己妨害するのである。

34 政治的グリッチアートは世界システムを通りぬけ、通る際に、暴き、抵抗し、問題化し、当惑させ、最終的に世界システムの機能を変質させる。

35 純粋で、明確で、清潔で、自然で、普通で、超越的な「信号」は発されたことなどなかった。一度もなかった。

36 「邪魔な「ノイズ」を正常化し除去しようとし、また純粋な信号という概念を想起するということは、内在性を軽視し、純粋に超越的なもの(という神話)を保持する、形而上学的/プラトン的企てである。この二分した、二元論的形而上学的システムを転覆させることは、急進的で(根本的に)「政治的」な行動である。[政治的]グリッチアートは、ノイズ除去の政治性を「象徴」するだけでなく、また政治的立場を「象徴化」するだけではない。それはひとつの実際の行動なのである。」 (訳注: Curt Cloninger "GltchLnguistx: The Machine in the Ghost / Static Trapped in Mouths" http://gli.tc/h/READERROR/

37 「表現とは、その非常な非妥当性を表現すること、その非妥当性に妥当性を与えることだ。表現の非妥当性が表現される。」視覚的な政治的グリッチアートは、「象徴的」で模倣的で図像的な見た目を持ち、それらを演出的消去の元に置く。視覚的なグリッチ画像は、具象と抽象の間の奈落をちらつかせ思い起こさせる痕跡である。視覚的グリッチは(しばしば)、画像を表示させる「ソース」の面影を残しながら、デジタル再生のプロセスを表現する。グリッチ画像は、機能不全/無のヒントというよりは肥沃さのヒントであり、システムに内在する暴力を目に見えるものにするヒントである。(システムに内在する暴力を見よ。)

38 この手引きをグリッチすること


( Sabotage! glitch politix Man[ual/ifesto] http://www.tacticalgl.it/ches/txt/sabotage.html の訳出)

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