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@zonuexe
Last active June 13, 2020 09:56
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「こころ」携帯小説版

アタシはその人をいつも「センセ」と呼んでいた。だからここでもただセンセと書くだけで本名は秘密。
これはバレちゃうとか気にしてるんじゃなくて、アタシにとって自然だから。
アタシはその人のことを思い出すたびに、すぐ「センセ」といいたくなる。
小説を書いていても気持ちは同じ。イニシャルとかもわざとらしいからヤダ。

アタシがセンセと知り合ったのは鎌倉。その時アタシはまだフリーターだった。
夏休みに海に行ったメル友から「遊ぼうよ」ってメールが届いたからアタシはバイトして
お金を貯めて、遊びに行った。お金が貯まるのに3日かかった。
でもアタシが鎌倉に着いてから3日もしないうちに、メル友は家族から「帰ってこい」
っていうメールを受け取った。メールには「ママが病気だから」って書いてあったけど、
そのコは信じなかった。そのコは前から地元の親とかに「彼氏と別れろ。別れないなら結婚しろ」って言われてた。
そのコはさすがにまだ結婚には若すぎだし、それに、そもそもそのコにはそんな気がなかった。
それで、夏休みになったら地元に帰るはずだったのにバックレて東京の近くで遊んでたんだ。
そのコはメールをアタシに見せて「どうしよう」って相談してきた。アタシにはどうしていいか分からなかった。
でも、マジでそのコのママが病気なんだったら、ちゃんと帰ったほうがいいと思った。
それでそのコは結局帰った。アタシがせっかく来たのにひとりぼっちになった。

バイトが始まるまでまだ時間があるから、鎌倉にいてもいいし、帰ってもいいやって状態
だったアタシは、しばらくそのコの別荘にいることにした。そのコは金持ちの社長の家のコで、
お金をいっぱい持ってたけど、学校は定時制だし、年上だし、アタシとやってることはあんまり
変わらなかった。だからアタシはひとりぼっちだけど別にホテルとか探さなくてもよかったんだ。

そのコの別荘は鎌倉だけどマイナーなとこにあって、カラオケとかマックとかは超遠かった。
タクシーだと660円かかるし。だけど、他にも別荘がいっぱいあって、海もまあまあ近いし、
結構便利だった。

アタシは毎日海に行った。ボロくて汚い家の間を通り抜けて海に行くと、
「こんなとこに、こんなに都会の人が住んでるの?」って思うくらい、遊んでる男女が砂浜にいた。
海の中が大江戸温泉みたいに頭でごちゃごちゃしてる日もあった。その中に知り合いなんか
一人もいないアタシも、賑やかなとこで砂浜に寝たり、ヒザくらいまで海に入って遊んだり
するのは楽しかった。

アタシがセンセと出会ったのは、この人ごみだった。その時、海岸には海の家が2つあった。
アタシはたまたまそのうちの1つの常連になった。長谷にデカい別荘を持ってる人たちと違って
専用の着替えスポットがないよそ者には、海の家の更衣室で必要だった。
みんなここでジュースを飲んだり、寝たり、水着を洗ったり、シャワーを浴びたり、コインロッカーに
荷物を預けたりしてた。アタシは水着を持ってなかったけど、ケータイとポーチは海の家に預けて
手ぶらにしてた。

アタシがその海の家でセンセを見た時は、センセがちょうど服を脱いで海に入ろうとしてるとこだった。
アタシは逆に濡れたまんま海から上がってきたとこだった。二人の間には、見えなくなるくらいたくさんの人がいた。
普通だったら、アタシはセンセのことなんか気づかなかったかも知れなかった。それくらい砂浜は人でいっぱいで、
アタシの頭もボーッとしてたのに、アタシがセンセのことを見つけたのは、センセが一人のガイジンを連れてたから。

その白い肌のガイジンが海の家に入っていくところが、すっごく気になった。普通の日本の浴衣を着てたんだけど、
それを座敷にポンと投げ出して、腕を組んで海を向いて立ってた。ガイジンはアタシらが着るようなビキニのパンツだけで、
あとは何も着てなかった。アタシにはそれが不思議だった。アタシはおととい、由比ヶ浜で砂浜に座ってた時、何度も
ガイジンが海で遊んでるのを見た。アタシが座ってたのはちょっと高くなったとこで、そのすぐ横がホテルの裏口
だったから、アタシがそこに座ってる間、いろんな女が海に来たけど、みんな、胸は隠してた。
女は普通、肌を隠すもんじゃないの?普通はビキニの上下に、パレオをつけて、ピンクとか白とかの色が海には目立つ。
そういうのばかり見てるアタシには、パンツ一丁でみんなの前に立ってるこのガイジンがすっごく珍しかった。

そのうちガイジンはキョロキョロしだして、近くに座ってる日本人に、何か話しかけた。その日本人は砂浜に落とした
タオルを拾おうとしてるとこだったんだけど、タオルを拾うとすぐ頭に巻いて、海のほうに歩きだした。その人がセンセだった。

アタシはただの好奇心で、並んで浜辺に下りていく二人の後ろ姿を見てた。そしたら、二人はそのまま海の中に入っていった。
遠くまで浅くなってる海の中をずっと歩いていって、誰もいないところまで行くと、二人とも泳ぎだした。二人の頭が小さくなる
まで沖のほうに泳いで行った。そしたらまた引き返して、まっすぐ浜辺まで戻ってきた。海の家に戻ると、シャワーも浴びずに
体だけふいてそのままどこかに行ってしまった。

二人が行っちゃったあと、アタシは座敷のとこに座って、セーラムライトをふかした。
その時のアタシは、ぽかんとしながらセンセのことを考えていた。その顔をどこかで見たことあるような気がしてならなかった。
でも、どうしても、いつどこで会ったのか思い出せなかった。

その時のアタシは、何も心配ごとがないってわけではなく、どちらかというと気が晴れずにいた。それで次の日も
またセンセに出会った時間を狙って、わざわざ海の家まで出掛けてみた。ガイジンは来なかった。センセは一人で
キャップをかぶってやって来た。センセはグラサンを外すと台の上に置いて、すぐタオルを頭に巻いて、すたすたと
浜に下りて行った。センセが昨日みたいにうるさい人ごみの中を通り抜けて一人で泳ぎだした時、アタシは急に
後を追っかけたくなった。アタシは浅い水のところをばしゃばしゃ走って、けっこう深いとこまで行って、そこからセンセ
のほうを目指して泳いだ。そしたらセンセは昨日と違って、ぐるっと回るように岸に戻り始めた。それで、アタシは
追いつけなかった。アタシが浜に戻って濡れたまんま海の家に戻ると、センセはもうアロハを着て入れ違いに外に
出て行った。

アタシは次の日も同じ時間に海に行ってセンセの顔を見た。その次の日もまた同じことをした。
でも何か話しかけたり、メアドを聞いたりするようなことにはならなかった。それに、センセはちょっと一匹狼っぽかった。
同じ時間に普通に来て、普通に帰っていった。まわりがはしゃいでいても、興味なさそうだった。最初いっしょに来てた
ガイジンも、その後は一回も見なかった。センセはいっつも一人だった。

ある日、センセがいつものようにサクッと海から上がって、いつもの場所に脱ぎ捨てたアロハを着ようとすると、
なぜかそのアロハには砂がたくさんついてた。センセは砂を落とそうと、後ろを向いてアロハを何回か振った。
そしたら、アロハの下に置いてあったグラサンが板のすき間から下に落ちてしまった。センセはアロハの上に
クロムハーツのネックレスをつけてから、グラサンがなくなったことに気づいたみたいで、いきなりそのへんを
探し始めた。アタシはすぐイスの下に首と手を突っ込んで、グラサンを拾い出した。センセは「さんきゅ」と言って、
それをアタシの手から受け取った。

次の日、アタシはセンセのあとをつけて海に飛び込んだ。そしてセンセと同じ方向に泳いで行った。200mくらい沖に
出ると、センセは後ろを振り返ってアタシに話しかけた。広くて青い海の上には、アタシとセンセだけが浮いていた。
太陽は超まぶしくて、海の水と遠くの山を照らしてた。アタシはマジでうれしくて海の中でガッツポーズ。センセは
泳ぐのをやめて仰向けになって波の上に寝ていた。アタシもそのまねをした。青空の色がギラギラまぶしくて、目が
痛かった。「ウケるね」とアタシは大きな声を出した。

しばらくして海の中で起き上がったセンセは、「もう帰ろうぜ」とアタシに言った。アタシはけっこうスポーツが得意
だから、もっと海の中で遊んでてもよかった。でもセンセから誘われた時、アタシはすぐ「うん。帰ろう」と答えた。
そして二人はまたもとの道を浜辺に引き返した。

アタシはそれからセンセと仲良くなった。でもセンセがどこに住んでるのかはまだ知らなかった。

それから2日たって、ちょうど3日目の午後だったと思う。センセと海の家で会った時、センセはいきなりアタシに
「お前はまだずっとここにいるつもり?」と聞いてきた。何も考えてなかったアタシは、答えを用意していなかった。
それで「分かんない」と答えておいた。でもニヤニヤ笑ってるセンセの顔を見た時、アタシはなんか気まずかった。
「センセは?」と聞き返さずにはいられなかった。これが、アタシがセンセと言い始めた最初。

アタシはその夜、センセの泊まってるとこに行った。泊まってるとこって言っても、普通のホテルじゃなくて、すっごく広い
お寺みたいな別荘みたいなとこ。そこに住んでる人は、センセの家族じゃないことも知ってた。アタシが「センセ、センセ」
って呼ぶから、センセは「ウゼーよ」みたいな顔して笑ってた。アタシは「年上の人はそう呼ぶんだ」って言い訳した。
アタシはこないだのガイジンのことも聞いてみた。センセは彼女がちょっと変わってるところとか、もう鎌倉にはいないって
こととか、いろんな話をして、最後に「日本人にもあんまり友だちがいないのに、ガイジンと友だちなのは確かにナゾ。
俺もよく分かんね」と言った。アタシは最後、センセに「どっかでセンセのこと見たような気がするんだけど。でも思い出せない
んだよね」と言った。アタシもちょっと若かったから、センセもおんなじことを思ってたりしないかな、なんて思って、センセの
返事に期待してたりした。でもセンセはしばらく考えて、「覚えてねーよ(笑)、人違いだろ」と言ったので、アタシはちょっと
失望っていうかそんな気持ちになった。

アタシは月末になって東京に帰った。センセの別荘を出たのはそのもっと前。アタシはセンセと別れる時に、
「メアドとケーバン聞いてもいい?」と聞いた。センセはソッコーで「別にいいよ」って言っただけだった。
その時アタシはセンセと親友になったつもりだったので、センセからもっと濃い言葉を期待してたのが実際のところ。
だから、その物足りない返事がアタシの自信を傷つけた。

アタシは似たようなことでよくセンセに失望させられた。センセはそれに気づいてるようだけど、でも全然気づいてないよう
にも見えた。アタシはなんどもちっちゃい失望を繰り返しながら、でもセンセのことを嫌いになる気にはなれなかった。
っていうか逆に、不安になるたびに、もっと前に進みたくなった。もっと前に進めば、アタシの期待しているあるモノが、
いつか目の前にカンペキな形であらわれるんじゃないかって思ってた。アタシは若かったんだ。でも誰でもいいってこと
じゃなかった。アタシはなんでセンセに対してだけこんな気持ちになるのか分からなかった。それが、センセが死んじゃった
今になって、初めて分かってきた。センセは始めからアタシを嫌ってたんじゃない。センセがたまにアタシに見せたシカト
っぽい態度や冷たい行動は、アタシを遠ざけようとする「ウザい」という表現じゃなかったんだ。自分に自信の無いセンセは、
自分に近づく人たちに、「近づくほど大した人間じゃねえよ」ってメッセージを込めてたんだと思う。人が仲良くなろうとしても
どうでもいいって感じのセンセは、人を軽蔑してたんじゃなくて、自分を軽蔑してたんだ。

アタシはもちろん、センセのとこに行くつもりで東京に帰ってきた。帰ってからバイトが始まるまでまだ2週間くらいあったから、
そのうちに一回くらい行こうと思ってた。でも帰ってきて何日かたつうちに、鎌倉にいた時の気持ちがだんだん冷めてきた。
それに、都会の空気が、思い出そうとする刺激と合わさってアタシの心を締めつけた。アタシは街中でフリーターを見るたびに
新しいバイト先のことが楽しみで、ちょっと緊張もした。アタシはしばらくセンセのことなんか忘れてた。

バイトが始まって1ヶ月くらいしたら、アタシの心にまた「たるみ」が出てきた。アタシはなんかイケてない顔をして街をぶらついた。
なんかイイことないかなーって顔で部屋の中を見わたしたりした。アタシの頭に、またセンセの顔が浮かんできた。アタシは
またセンセに会いたくなった。

初めてセンセのうちに行った時、センセは留守だった。2回目に行ったのはその次の日曜日。空は晴れてて、身にしみる
くらいいい天気だった。その日もセンセは留守だった。鎌倉にいた時、アタシはセンセから「大体いつも家にいるよ」って聞いてた。
「どっちかっつーと、外出は好きじゃねえ」ってことも聞いてた。2回来て2回会えなかったアタシは、その言葉を思い出して、
なんだか分かんないけどムカついた。アタシはしばらく玄関のとこにいた。メイドの顔を見てちょっとヒヨったけど、そこに立ってた。
こないだ名前だけ話したメイドは、アタシを待たせてまた中に入っていった。そしたら、奥さんっぽい人が代わりに出てきた。
きれいな奥さんだった。

アタシはそのヒトから先生の居場所を聞いた。センセは毎月その日、渋谷の109にあるショップに買いものにいくらしい。
「今さっき出たばっかりだよ。10分くらいじゃね?」と、奥さんは気の毒そうに言ってくれた。アタシは軽く笑って外に出た。
賑やかなほうにちょっと歩くと、アタシも散歩がてら渋谷に行きたくなった。「センセに会えるかも」って期待もあった。
それで、ソッコー渋谷に向かった。

アタシは109の手前にあるマークシティの横から入って、両方にキャバクラや個室ビデオが入ったビルが並ぶ道を
歩いていった。そしたらいきなり、向こうに見える109の中からセンセっぽい人が出てきた。アタシはそのヒトのグラサン
のフレームが太陽で光るくらいまで近づいて行った。そして、いきなり「センセ!」って大きな声で呼んだ。センセは
急に立ち止まってアタシの顔を見た。
「なんで・・・ちょ・・・まじ?なんで?」

センセはおんなじ言葉を2回繰り返した。その言葉は騒がしい昼間の渋谷に異常に響いた。アタシは何も言えなくなってしまった。
「俺のあと、つけてきたのかよ・・・ちょ・・・なんでだよ?」

センセの態度はけっこう落ち着いてた。声は落ち込んでた。でもその表情には、はっきりとは分かんないけど曇りがあった。

アタシはなんでここに来たのか、センセに話した。
「誰のショップに行ったのか、かみさん、しゃべった?」
「ううん、そんなことは言ってなかったよ」
「そうか。だよな、言うわけねえわ。お前のこと知らねえのに。言う必要ねえもんな」

センセはやっと状況がわかったような感じだった。でもアタシには全然意味が分かんなかった。

センセとアタシは宇田川のほうに出ようとして、ビルの間を抜けた。INDEXとかコンドマニアとかにまぎれて、
「喧嘩上等渋谷狂走連合」って落書きされた看板が立ってた。「爆走三七五六四」なんてものもあった。アタシは
「TEAM闇怒霊・関東最強」って書かれた落書きの前で、「マジウケる。これ何て読むわけ?」ってセンセに聞いた。
「アンドレじゃねえの?」ってセンセは笑った。

センセはこういう落書きをするような人種に、アタシほどウケたりハマったりしないみたいだった。アタシが落っこちてる
コンドームとかクスリっぽい袋とかを指さして何か言おうとするのを、最初のうちは黙って聞いてたけど、そのうち
「お前は死って事実をまだマジになって考えたことねえだろ」と言った。アタシは黙った。センセもそれっきり何も言わなくなった。

ビルの切れ目に、小さな交番があった。その前に来た時、センセは中を見わたして「もうちっとしたら、やべえだろうなあ。
この交番がやられたら、ここいらは血の海になるぜ」と言った。センセは毎月1回、必ずこの交番の前を通るんだ。

向こうのほうの、地面をならして新しいファッションビルを作ってる工事のおじさんが、手を休めてアタシたちを見ていた。
アタシたちはそこから左に曲がってすぐ、井の頭通りに出た。

これからどこへ行くというアテもなかったアタシは、ただセンセの歩く方へついていった。センセはいつもより口数が少なかった。
それでもアタシはそんなに気まずく感じなかったので、ぶらぶらと一緒に歩いて行った。
「すぐウチに帰るの?」
「ああ、別に寄るとこなんかねえよ」

二人はまた黙って、南の方へ歩いて行った。
「センセの知ってるショップがあのへんにあるの?」とアタシはまた話し始めた。
「別に」
「誰のショップ?元カノとか?」
「別に」

センセはそれ以上、何も答えなかった。アタシもその話はそれっきりにして終わらせた。そしたら、けっこう歩いた後、
センセがいきなりその話題に話を戻した。
「俺の親友のショップなんだ」
「そのショップには毎月行くの?」
「ああ」

センセはその日、これ以上は語らなかった。

アタシはそれから時々、センセのとこに行くようになった。いつもセンセは家にいた。
センセに会う回数が増えるにつれて、アタシはさらに何度もセンセのとこに行くようになった。

だけどセンセのアタシに対する態度は、初めて話をした時も、仲良くなった後も、
ほとんど変わらなかった。センセはいつも静かだった。たまに静か過ぎて寂しいくらいだった。
アタシははじめからセンセには近づきにくい雰囲気があると思っていた。
それでも、どうにかして近づかなきゃいけない、っていう感じが、どこかに強くあった。
こういう感じをセンセに対して思っていたのは、いろんなヒトがいる中でアタシだけかも知れない。
でも、このアタシの直観が後で現実になったのだから、アタシは若かったとか言われても、
バカだと笑われても、それを見抜いていたアタシの超能力を、自分では褒めてやりたいと思ってる。
ヒトを愛せる人、愛さずにはいられない人、それなのに、自分の胸に飛び込んでくるヒトを、
手を広げて抱きしめることのできない人、それがセンセだった。

今言ったように、センセはいつも静かだった。落ち着いていた。でも、たまに変なカゲが
センセの顔に浮かぶことがあった。携帯の液晶がほっとくと暗くなるように。暗くなったと
思うと、すぐに戻るんだけど、アタシが初めてそのカゲを見たのは、渋谷の109で、突然
センセを呼び止めたときだった。アタシはその変な感じのせいで、鳴っていた心臓が
ちょっとおとなしくなった。でもそれは、一瞬のためらいに過ぎなかった。
アタシの心は、5分もしないうちに、元に戻った。アタシはそれ以来、この暗いカゲのことを
忘れてしまった。突然それを思い出したのは、秋の終わりのある夜だった。

センセと話していたアタシは、ふとセンセが教えてくれた宇田川の交番を
目の前に思い浮かべた。計算してみたら、センセが毎月109に行く、という日が、 ちょうど三日後だった。その三日後は、アタシのバイトが昼で終わりになる楽な日だった。
アタシはセンセにこう言った。
「センセ、渋谷の交番、まだがんばってるかな?」
「まだ空っぽじゃねえだろう」

センセはそう答えてアタシの顔を見つめた。そして、しばらく目を離さなかった。
アタシはすぐに言った。
「今度109のショップに行く時に、アタシも行っていい。アタシは、センセと一緒に
ショップめぐりしてみたい」
「俺は、あのショップに用があるんだ。ショップめぐりじゃねえ」
「でも、ついでにショップめぐりしたらいいじゃん」

センセは何も答えなかった。しばらくしてから、「俺はマジであのショップに行くだけだ」
と言った。何とかしてセンセの用事とショップめぐりの違いを説明したそうだった。
アタシはそれ以上ワガママを言えなかった。
「じゃあその用事だけでいいから、一緒に連れてってよ。アタシも手伝うよ」

マジで、アタシにはその用事とショップめぐりの違いがどうでもいいように思えた。
そしたら、センセの顔がちょっと暗くなった。目もちょっとヤバい。ウザいって言うか、
キショいって言うか、そういうレベルじゃない、なんか困ったような感じだった。
アタシは突然、渋谷で「センセ!」って話しかけた時の記憶を思い出した。
両方の表情が全くおんなじだったからだ。
「俺は」とセンセが言った。「俺はお前に話せねえ理由があって、他のヤツと一緒に
あのショップには行きたくねえんだ。俺のかみさんだって連れてったことはねえ」

アタシは不思議に思った。でもアタシはセンセのストーカーをするつもりで
センセのうちに行ってるわけじゃなかった。アタシはもうあまり関わらない
ようにしてた。今考えると、その時のアタシの態度は、アタシの人生の中で
一番イケてたと思う。アタシはそのおかげで、センセとつきあうことができた
んだと思う。もしアタシの心がちょっと変になっていって、センセをストーカー
したりしていたら、二人をつないでる愛情の糸は、何のためらいもなくその時、
ぷっつりと切れてしまったんじゃないかと思う。アタシも若かったから、自分の
気持ちが整理できていなかった。だからイケてるってことなのかも知れないけど、
もし間違えて変なことになってたら、二人はどんなふうになっちゃったんだろう。
アタシは想像するだけでゾッとする。センセだって、ストーカーされることは
嫌だったはず。

アタシは月に2回か3回くらいはセンセのとこに行くようになってた。アタシが
しょっちゅう行くようになったある日、センセがいきなりアタシに聞いてきた。
「お前、なんでそんなにしょっちゅう来るんだ?」
「なんでって・・・別に深い意味なんかないよ。邪魔だって言うの?」
「別に邪魔ってんじゃねーよ」

マジ、ウザいって感じには見えなかった。アタシはセンセの友だちのことも
ちょっとだけ知ってた。センセの同中(おなちゅー)も、東京にいるのは2、3人
しか知らない、ってことも知ってた。センセの同中のヒトとたまに飲み屋で会う
こともあったけど、みんな、センセのことをアタシほど好きなようには見えなかった。

「俺はさびしい人間なんだよ」ってセンセが言った。「だからお前が来てくれるのはうれしいんだよ。
だからなんでそんなに来たがるの、って聞いたんだよ」
「はあ?意味がわかんない」

アタシがそう聞き返した時、センセは何も答えなかった。ただアタシの顔を見て、
「お前、何歳だっけ」と言った。

この質問はアタシにとってはすっごく意味不明だったが、アタシはその時はそこまで
突っ込まずに帰ってきた。しかも、その4日後にまたセンセのとこに行った。
センセは出てきていきなり笑い出した。
「また来たのかよ(笑)」と言った。
「また来たよ」って言ってアタシも笑った。

アタシは他の人からこんなこと言われたらムカついたんじゃないかって思う。
でもセンセにそう言われた時は、逆だった。ムカつくどころか、ウケた。
「俺はさびしい人間なんだよ」ってセンセはその夜、何回もおんなじことを言った。
「俺はさびしい人間だけど、お前もさあ、さびしい人間なんじゃないの?俺は
さびしくても年上だからさあ、別に気にしないけど、お前はまだガキじゃん?
さびしくていろいろやっちゃったりするんじゃねえの?」
「アタシは全然さびしくないよ」
「ガキってだけでさびしいんだよ。だったらなんでお前は俺んちにしょっちゅう来るわけ?」

またセンセが同じことを言った。
「お前はさあ、俺に会ってもまださびしい気持ちがあんだろ?俺はお前のさびしさを
紛らわせることなんてできねえからさ、お前はどっか他のとこに行くんじゃね?
俺んちとかももう来なくなんじゃねえの?」

センセはそういって、さびしく笑った。

ラッキーなことに、センセの予言は外れた。経験のない当時のアタシは、
その予言の本当の意味を理解できていなかった。アタシはやっぱりセンセに
会いに行った。そのうち、いつのまにかセンセのうちでご飯を食べたりする
ようになった。当たり前だけど、センセの奥さんとも話さなきゃいけなくなった。

普通のヒトに比べて、アタシは女に対して冷たくはない。でも、若いアタシの
今までの経験から言って、アタシはほとんどまともな恋愛をしたことがなかった。
そのせいかも知れないけど、アタシは街中できれいな女のヒトを見ると、
キャーキャー騒ぐくらいでしかなかった。昔、センセの奥さんに玄関で会った時、
きれいだって思った。その後も何回か会ったけど、やっぱりきれいだって思った。
でも、アタシはそれ以上奥さんには興味はなかった。

それは、奥さんのキャラがあまり濃くない、っていうことよりも、キャラを出す
チャンスがなかったからだ、って考えたほうがいいのかも。でもアタシは、いつも
奥さんのことはセンセの一部分、っていう目で見ていた。奥さんも自分のダンナ
のところに来るフリーターだから、ってことで優しくしてくれたっぽい。だから、
間にいるセンセがいなければ、二人はバラバラ。だから、奥さんと知り合った
時は、「きれいだなー」くらいにしか思っていなかった。

ある日、アタシはセンセのうちで酒を飲まされた。その時は奥さんがいて、
お酒をついでくれた。センセはいつもよりテンションが高かったみたい。
奥さんに「お前も飲めよ」って言って、自分のグラスを押しつけてた。
奥さんは「私は・・・」って断って、でもやっぱり嫌そうにグラスを受け取った。
奥さんはきれいな眉の間にしわを寄せて、アタシが半分くらいついだビール
のグラスを唇にあてた。そして奥さんとセンセはこんな会話をし始めた。
「おかしくない?いつもはさ、私に飲めとか言わないじゃん?」
「お前は酒が嫌いじゃねえか。でもたまには飲めよ。気持ちよくなるぞ」
「ならないよ。気持ち悪くなるだけじゃん。あんたはいいよね、酒ちょっと
飲んだだけで楽しそうで」
「めちゃめちゃ酔う時もあるぜ。でも毎日はきついな」
「今日はどうなの」
「今日はいいねえ」
「これからは毎日飲めば?」
「やだよ」
「飲みなよ。そのほうがさびしくないでしょ」

センセのうちは、奥さんとメイドだけだった。行くといつも静かだった。
爆笑とかありえなかった。家の中には、センセとアタシしかいないように
感じる時もあった。
「子ども作りたいんだけど」って奥さんがアタシのほうを向いて言った。
アタシは「あー。いいんじゃないですか」って答えた。でもアタシの心の
中にはなんの感情もなかった。その時アタシにはガキなんていなかったし、
ガキなんてうるさいだけだと思ってた。
「一人くらいもらってくっか」ってセンセ言った。
「もらうとかありえなくね?」と奥さんはまたアタシに向かって言った。
「ガキはどうせできねえよ」ってセンセが言った。

奥さんは黙っちゃった。「なんで?」ってアタシが代わりに聞いた。
センセは「天罰だね」って言って一人でウケてた。

@zonuexe
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Author

zonuexe commented Jun 12, 2020

著者不明(私ではない)。出典不明(おそらくニュース速報+板からのコピペ)。

@stepney141
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stepney141 commented Jun 12, 2020

既に把握なされているかとは思いますが、出典と思われるスレッドを一応コメントさせて頂きます
https://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1186972596/
https://news22.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1186996556/

@stepney141
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・2008年の段階で上記2スレが初出との言及がある
(https://web.archive.org/web/20081019090747/http://greengablez.net/docs/kokoro-ketai)
・自称作者が2011年に「2chにこころの携帯小説リメイクを書いた」と発言し、冒頭部分の改稿版を投稿
(http://rmkbunko.blog.fc2.com/blog-entry-2.html)
この他にそれらしき証言は発見出来ませんでした。把握済みなら申し訳ないです。

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