(…………)
再び鳴り始めた目覚まし時計にはっとする。時計を見ればもうそろそろ準備を始めなければ危ない時間帯。いけない。ぼさっとしていては授業開始初日から遅刻してしまうではないか。
藤白は目覚まし時計のスヌーズを切るとカーキ色のズボンに足を通し、制服に着替えた。朝食を抜いて顔を洗い、寝ぐせを適当に直して人民帽を浅くかぶる。靴を履いて玄関の外にでると、そこに立っていたのはさきほどの少女。
「遅い。早くしないと遅れる」
紀佳はそう言ってじとりとした目つきで藤白を睨んでみせる。いつもと変わらなぬ、少しわざとらしいくらい普段通りの仕草だった。
「紀佳……あのさ俺……」
「もういいから。私その話したくない。それより早くいこ?」
少女はそれだけ言い捨てると、団地の廊下を一人歩き出す。藤白も慌てて後を追った。黙々と廊下を歩き、無言でエレベーターに乗って外へ出る。団地の外の日差しは燦々として柔らかく、まさに春といった様子だった。
そんなさやわかな春の空気が満ちるニュータウンを、藤白と紀佳は学校へ向けて歩いて行く。いつもなら紀佳が一方的に好きな漫画の話をしたり、藤白が日常の些細な出来事を報告したりしながら過ぎていくだけの時間も、今日ばかりは少しだけ空気が重い。
「このペースだと……うん、ぎりぎり間に合いそう」
そして信号待ちをしている途中、重い空気を先に破ったのは紀佳だった。
「授業開始初日からこれだと先が思いやられる。これからはちゃんと早起きしてほしい」
「……別に来なくても良かったんだぞ」
同じく信号待ちをする藤白は、後ろに立つ紀佳を振り返らずにそう告げた。二人の前を『たけのこ幼稚園』の送迎バスがのろのろと横切る。車内で幼稚園児が楽しそうにはしゃいでいるのが見えた。
「別に毎朝起こしに来てくれなくたって、俺が朝起きれなくて遅刻したって、紀佳が困るわけじゃない。学年の変わり目だし、昔から続けてた日課を止めるいい機会だったんじゃないか? どうして今日来たんだよ。やめとけばよかったのに」
「…………」
背後の少女は答えない。
「大体、紀佳はいっつもそうだ。いつもぼけっとした無表情で何考えてんだかわかんないから俺は――って、うわっ!?」
突然、藤白の膝が折れ曲がった。
あまりの唐突さに、それが背後からなされた不意打ちの膝かっくんであると気付くまで少し時間を要してしまう。
「って紀佳、何やってんだよ! お、俺は真面目な話を――」
「信号変わった」
紀佳は藤白の剣幕などどこ吹く風といった様子で目の前の信号機を指さすと、一人そそくさと横断歩道を渡り始める。
「ただでさえ時間あぶないのに、悠長にそんな話してる時間ないでしょ。ほら、早く行こう」
(…………)
ふたたび目覚ましのベルではっとする。いけない。ぼさっとしてたら初日から遅刻だ。あわてて制服に着替え、適当になおした寝ぐせの上に人民帽をのせる。玄関を出ると、じとりと睨めつける紀佳が立っていた。
「遅い。わたしまで遅刻させる気?」
怒っているわけではたぶんない。紀佳の俺を見る目つきはふだんからこうだ。
「紀佳……あのさ俺……」
「話ならあと。初日から遅れたくないなら早くいこ?」
さっさと歩きだす彼女の背中をあわてて追う。
やわらかな春の日差しがニュータウンの通学路を照らす。並木から落ちる木漏れ日の下をふたり歩いている。玄関からここまで、ずっと無言だ。いつもなら紀佳の漫画語り独演か、藤白がどうでもいい話でもしているうちに学校に着く。今日にかぎっては妙に空気が重い。べつに険悪なわけではない。おたがい早足で、なんとなく言葉をかけるタイミングをつかめない。
信号待ちで一息つくと、背後から紀佳の声が沈黙をやぶってきた。
「初日からこれだと先が思いやられる。これからはちゃんと早起きしてほしい」
「……別に来なくても良かったんだぞ」
ふりかえらずに返事する。
車道を『たけのこ幼稚園』の送迎バスがのろのろと横切ってゆく。楽しそうにはしゃいでいる幼稚園児たちが見えた。紀佳が朝起こしに来るのが日課になったのは、あれくらいの頃からだったか?
「なあ、頃合いだったんじゃないか? ちょうど学年も変わって、日課をやめるにはさ。俺が遅刻したって紀佳の責任じゃないだろ」
「…………」
背後から返事はない。
「高校出たら、いつまでも続けられるわけじゃないし。紀佳がどう考えてるか知らないけどさ。そもそも紀佳は、いつも無表情でぼけっとして何を考えてるか――って、うわっ!?」
突然膝が折れて尻餅をつく藤白。
紀佳に膝カックンを仕掛けられたのだと遅れて気づく。
「なっ、何やってんだよ! おお、俺は真面目な話を――」
「ぼけっとしてないで。信号変わった」
青信号を顎で指して、紀佳はそそくさと渡ってゆく。藤白の話なんて聞いてないとでも言うみたいに。
「そんな話してたら予鈴鳴っちゃうでしょ。ほら、早く」
やっぱり、紀佳は何を考えてるかわからない。藤白はそう思った。
展開的に無意味な動作、風景の情報を削る。たとえば、あわてて玄関を出るとヒロインが立っていた、というだけのシーンならそれだけ書けばよい。
また、ひとつの動作が三文節以上になるなら(たいてい冗長なので)二文節以下に纏めることを考える。
風景描写はカメラを意識する。たとえばズームインなら【ニュータウン→通学路→並木→歩くふたり】という感じになる。
また、風景描写の与える印象がトピックに直接繋がるようにする。
ひとつのシーンでは、基本的にひとつのトピックだけを追う。たとえば「朝の訪問をそろそろ止めにさせたい鈍感高校生と、聞く耳もたない幼馴染先輩」がトピックであれば、それに寄与しない情報は基本的に無駄であると考える。
これは好みのレベルなので話半分に。
いちど文語的に書いて、主題だけ先にもってくるよう語順を変えると自然な口語っぽくなる(気がする)。
例)
「ちょうど学年も変わって、日課をやめるには頃合いだったんじゃないか?」
↓
「なあ、頃合いだったんじゃないか? ちょうど学年も変わって、日課をやめるにはさ」
初見だと藤白がちょっと辛辣すぎて厭なヤツに見える。
「紀佳はぼけっとして~」→「ぼけっとしてないで」と逆に指摘される、くらいのユーモアがほしい。
比喩は直喩にせよ隠喩にせよ、重要なポイント以外では流れを止めるので多用しない。
“それ”“その”といった代名詞は、それが直前に書かれた対象を直接指す場合を除いて、流れを止めるので使わない。
↑使っても問題ない文例は、上記。「それ」=「~といった代名詞」を指すことが自明なので。