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@bolero-MURAKAMI
Created February 18, 2014 08:40
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 墓の下で妹が死んでいる。
 血を吐いて死んだぼくの妹は、中学の制服ごと化学的に徹底的に分解されつくして、最後は塩みたいなひとにぎりの白い結晶になった。
 それはかつて妹の肉体を構成していた分子には違いなかったけれど、そこに二一グラムもの魂が残っているとはとても思えなかった。
 魂なんてものを当然ぼくは信じていない。けれど唯一神を信じていなくたってクリスマスは祝うし、地元の神社にまつられている神さまの名前さえ知らなくても初詣には行く。墓参りもおなじことだ。実在するかどうかよりも、想いだすきっかけにさえなる物ならなんでも構わない。
 だとしても、均質で清潔なさらさらした結晶の中に妹のおもかげを想像することは難しかったし、両親もそれには同意した。かつて妹だった結晶は、家族みなの合意のもと共同収納所にしまいこまれて、ほかのたくさんの死者たちの白い結晶と見わけがつかなくなった。だから、そこに妹の墓はない。
 いま『死んだ妹』として存在するのは、物質的ななにかじゃなく、もちろん魂でもなかった。
 ぼくはオルタナを起動して〈墓地〉にアクセスする。
 拡張視覚が展開されて、からっぽだった空間をピンクの壁紙の部屋が上書きする。机のうえでPCのアクセスランプが青く点滅している。妹の部屋だ。死んだ妹の部屋のまんなかに、ぼくと妹がむかいあっている。
「兄さんおひさ。見ないうちに老けた? その髭、すっごい似合わないんだけど」
「そりゃショックだ……ぼくはけっこう気に入ってるんだが」
 ぼくにとってはたったの五日ぶりだ。
 髭もたいして伸びてやしない。けれど前回もその前も妹はぼくの髭におどろいて、毎回のようにこのやりとりをする。
 なにしろ死んだ妹にとって、ぼくと会うのは今日がちょうど三年ぶりだ。そりゃ老けても見えるはず。オルタナで繋ぎなおすたびに記憶がリセットされるのだから当然のことだった。
 拡張視覚にレンダリングされた妹の姿もまた死んだ中学生当時のままだ。血でまっかに汚れて屍体といっしょに分解されたはずの制服まで、染みひとつない状態で復元されている。表情、しぐさ、ことば、そして記憶。妹を構成していたひとそろいがそっくり並べられている。
 それがたとえ、分子も魂もない、人格ソフトウェアとデータの塊からなる遺影にすぎなかったとしても。
 死者の人格をオルタナネット上で再生する〈墓地〉サービスがはじまったのはここ十年くらいのことだ。まず前提として利用者は、生前から思考ログ記録アプリをインストールしておく必要がある。思考ログは本人の死後〈墓地〉にデータベース化しておさめられ、人格ソフトウェアが参照する基礎データとなる。ぼくのような〈墓地〉参拝者は人格ソフトウェアが再生する死者の人格と、こうして対話することができるという寸法だ。
〈墓地〉で稼働する人格ソフトウェアは、墓碑銘になぞらえて、エピタフと呼ばれる。
 エピタフに使われている技術自体はふつうの人工知性ソフトウェアとほとんど変わらない。けれどエピタフと、ほかの人工知性ソフトウェアのあいだには決定的な違いがある。エピタフは記憶更新と学習の機能をまったくもたない。なぜなら、死者は死んでから以降のことを記憶したりしないし、経験から新しいなにかを生み出したりすることもあり得ないのだから。
 それはまったく生者側における死生観の問題だった。
 そういうわけで、エピタフの記憶が蓄積されるのはアクセスしてから切断するまでのあいだだけで、そのたびに死の時点までに記録されたログのスナップショットの状態に巻き戻される。
 純粋な技術的にいったら、死者の思考ログをもとに、記憶し学習する人工知性を稼働することはもちろん可能なはずだった。けれど、それをしたとして生まれてくるだろうものはなんだ? リアルな遺影の延長としてではなく、成長してみずから動きまわる死者。
 いってみれば情報的ゾンビ。
 それは限りなくグロテスクなものだと生者のほとんどが見なしていたし、そもそも倫理法で禁止されていた。
 エピタフは人工知能というよりは、だから人工無脳に近い。入力に対してそれらしい応答を返すだけのボットと本質的に違わない。思考ログからつくりだされた『それらしさ』が、妹がそこにいるとぼくに感じさせるのに十分すぎるというだけのこと。
 それだけのことがぼくにはなにより重要だった。
 いや、ぼくだけではない。国内で〈墓地〉サービスに登録されている死者はすでに生者の人口の一割を突破している。思考ログ記録アプリを入れている『予約者』もふくめれば総人口の三割に届く。その友人や親族はいったい何人になるだろう? それだけたくさんの人間が〈墓地〉に参拝するようになる。やがては〈墓地〉の死者の数が生者のそれを越える日も来るかもしれない。
「そういえばどうなの、最近の流行は? 兄さんならよく知ってるでしょ」
「あいかわらず酷いもんだな。世界人口の曲線が二世紀ぶりにゆるやかになったというニュースを聞いたよ」
「やばいね、赤死病。人類滅びそう。この国もそのうちわかんないかも」
「さすがに滅びるまではいかないだろうが、かつてのペストを越えるのは間違いないだろうね。知ってるかい、人類の歴史はじまって以来すべての死者の数よりも、いま地球上にいる生者のほうが多いって話を。それだけ人口爆発がすさまじいってことだが、このまましばらく大流行が続いたら、それもどうなるかわからないな」
 妹はじぶんの腕をかかえてぶるりと背筋をふるわせた。いままで、そしてこれからも増えつづけるだろう死者たちの葬列を思いうかべたにちがいない。
 ぼくは妹の頭をそっとなでる。
 じっさいに、赤死病は妹をもその葬列にくわえたのだった。
 死んだ瞬間のことをエピタフに再生された妹はおぼえていない。病床での苦しみや、死なせてと懇願されたぼくがそれを受け入れたことも。そういったじぶんの死にまつわる記憶は技術者によって、まっさきに思考ログから切り落とされるべき部分だった。
 腕のなかで妹がささやく。
「でもそうなったら、兄さんたちの仕事はおおいそがしだね。赤死病のまえに過労で死んじゃうかも」
「かもしれないな」
「なんていったっけ、エン……」
「エンバーマー」
「そう。それ」
 エンバーマー。屍体処置者。
 といっても、かつて土葬や火葬が行われていた時代でいうところのエンバーマーはもういない。納棺のとき、遺族や葬儀参列者にきれいな死に顔を演出するために体液を防腐剤といれかえたり、死化粧をほどこしたりするエンバーミングの需要はすでにない。死者はみんな化学的に分解されて、もはやなんの処置もいらない衛生的な結晶になるのだから。妹もそうだったように。
 いまぼくらエンバーマーが相手にするのは屍体ではなく、記録アプリが溜めこんだ死者の思考ログだ。
 思考ログは生前の記憶をほぼあますところなく記録しているけれど、それは好き放題に枝をのばした自然木のようなものだ。庭木や街路樹にたいしてそうであるように、剪定はかならず必要だった。生者が望むようなかたちに、死者たちを仕立てあげることが。
 そして妹のエンバーマーをつとめたのは、ほかでもない、ぼく自身だった。
「ね、兄さんの仕事、ちょっとでいいから見せてくれない?」
「え」
 ぼくはちらと机のPCを見た。その端末はたしかに〈墓地〉の外にあるぼくのPCとリモートでつながっている。
 真剣そうなまなざしがぼくをとらえている。
「おねがい、興味あるの」
「おまえが好奇心の塊だってのはよく知ってるさ。でもなぜ?」
「んー、あたしも将来についてちょっぴり考えはじめた、っていうのじゃダメ……かな」
 ぼくの内心はひどく混乱していた。
 将来。
 そんなことばを、妹がというよりも死者の口から聞くとは思ってもみなかったから。それは永遠に失われたはずのものだった。死者が死者であり、エピタフがエピタフであるかぎり。
 なによりぼくのエンバーマーとしての処置は完璧に近いはずだった。
 ぼくはそれを、エピタフの初期化パラメータであるいくつかの乱数がたまたま、確率分布上で本来は無視できるはずのわずかな値域にはいりこんだのだと思うことにした。つまり人格ソフトウェアの問題として。だとしたら、そうとうなレアケースにぼくは遭遇したことになる。
 混乱とはうらはらにぼくの手は、なめらかに動いていた。
 PCを慣れた手つきで操作して記憶グラフソフトウェアを呼び出す。記憶グラフは、スキャンされた思考ログから構築されたグラフ構造だ。グラフ構造は網目のように広がっていて、人間の脳細胞でいえばシナプスで連結されたニューロンの神経細胞網に近い。思考ログの個々の記憶がニューロンで、記憶どうしの関係性や重みづけがシナプスにあたる。
 朝露のしずくが無数についた立体的な蜘蛛の巣みたいなきらめくグラフィックが表示されて、妹はほう、と息をはく。
「この記憶グラフを弄るのがぼくたちエンバーマーの仕事だ。これはすでにスキャンされてグラフ構造になってるけど、ほんとうはもっと時間がかかる。もっとも、スキャンまでは人間じゃなく自動化されたソフトがやるんだが」
「そのソフトをつくったのはマリさん?」
「ああ、これも設計と実装の半分近くはそうだ。まあ、ぼくたちの会社にかぎらず自動化できる工程はほとんどされてる。彼女みたいなプログラマによってね。自動化できない人間にのこされた作業をエンバーマーがやってるという寸法だ」
「たとえばどんな作業?」
「そうだな……」
 ぼくは画面のきらめく蜘蛛の巣を左にスライドする。横方向が、すなわち記憶の時間軸になっている。
「端でとぎれてる」
「そう、この先端がつまり死の瞬間だ。死の瞬間だとかその間際の記憶は、人格の表面にあらわれないようにしなけりゃならない。でなければエピタフで再生された死者の人格は、永遠に死の記憶に苛まれつづけることになるだろうね。とつぜんの事故死ならわずかの範囲ですむが、ずっと闘病生活をしていた人なんかだったらそうとう広範囲の記憶を弄る必要がある」
「弄るのはどうやって? まとめて消す?」
「いや、記憶ってのはたいていほかの記憶とつながっている。どれかを消してしまうとほかの記憶につながる経路も消えて、記憶の混乱が起こりやすくなる。だから直接消すのはめったにやらない。具体的には記憶の『重みづけ』を弄ってやるのさ。こうやって」
 操作すると、蜘蛛の巣の節々についているしずくみたいな球体がきゅっとちいさくなる。
「……へぇ」
「こうすれば記憶の経路はそのままで、忘れるべき記憶そのものは人格には出てこないようになるわけだ。記憶操作の必要度は、あらかじめスキャンでおおまかにチェックされてラベルと数値がつけられてる。色分けをすればもっとわかりやすいな」
 今度は蜘蛛の巣の全体が青から黄、赤のグラデーションに染められた。
「信号機みたい」
「そう。赤くひかっている部分ほど弄る必要があると判定された記憶ってことだ」
「まんなかへんも赤くなってるんだけど、これはなに」
「それは……つまりトラウマだな。人格形成に影響をおよぼすほどの。死んで以降までフラッシュバックに苦しむようなすがたは遺族だって見たくはないだろ? 生者のための精神科ならカウンセリングや投薬で解決をするが、エンバーマーは記憶グラフを弄って解決するわけだ」
 ふむ、と妹は首をひねって、
「それなら、悪い記憶はかたっぱしから、重みづけを弄ってなくしてしまえばいいんじゃない?」
「そうもいかない。さっきもいったように記憶どうしはつながっているんだ。過去のトラウマだってただなくせばいいものじゃない。たとえば……ちいさいころに暴行された女性がいたとしよう。けれど大人になってから出会った恋人の献身で、そのトラウマを克服して絆をきずいたとしたら? そのトラウマ自体をただなくしてしまえば、恋人との絆もいっしょに取るに足らないものになるかもしれない。そもそも、克服されたトラウマなら無理になくすことはないんだよ」
「それを判断するのは、エンバーマーの仕事?」
「ああ。微妙なケースは精神科医なんかにたよることもあるけど、たいていの調整はぼくたちがする。ときには遺族から話をきいて判断材料にすることもね」
「なるほど……そうか、こうやって、死んだ人を解剖してくんだね」
 妹のことばにぼくはどきりとした。
 ぼくが妹を解剖した手順。それをいままさに妹に見せながら得意げに解説している。
 じっさいには、これからまだいくつかの手順がある。たとえば、価値グラフを弄って本能や自発行動につながる部分をおさえつけることがそうだ。
 ソフトウェアでつくりだせる環境には限界がある。オルタナをつうじて頭をなでてやる感触を再現することや、この部屋ていどの仮想環境をつくるくらいならできる。けれど死者がショッピングモールに行きたいといったら? それとも恋人とセックスをしたいといいだしたら?
 ショッピングモールみたいな大規模仮想環境をつくることはほとんど無理だし、セックスはもしかすると可能かもしれないが、そういう屍姦めいたこともまた倫理法で禁じられている。
 そうした理由から、死者がよけいな難題をもちださないように自発行動はエピタフ上でかたく制限されていた。
 だから妹がエンバーマーの仕事を見たいといいだしたのは、かなり異例のことだった。
 にもかかわらずぼくは、こうしてその願いを聞いている。
 心の奥にひそかな高揚感をおぼえながら。
 これは禁忌を侵すことの子供じみたよろこびだろうか。
 あるいは身勝手な贖罪意識からかもしれない。妹の安楽死に同意したこと。それ以前、ぼくの仕事のモニターとして思考ログ記録アプリを入れてもらっていたこと。死んだ妹をぼく自身がエンバーミングしたこと。結果妹を、分子も魂もなく凍りついたままの、人間でさえないなにかに仕立てあげたことに対しての。
 だとしたらぼくはどこかで期待しているのかもしれない。
 たとえ生者にとっておぞましい情報的ゾンビであろうと、成長してみずから動きまわる、そういった存在に妹がなりうることを。
「――兄さん、どうかした?」
「ああ……いや、なんでもない」
 いつのまにかぼくの顔をのぞきこんでいた妹にあいまいな返事をして、PCの画面をスワイプする。
 蜘蛛の巣がスライドアウトして、表示はまっくらになった。
「消えちゃった」
「まあ、エンバーマーの仕事っていうのはだいたいこんなものだ。死者が『それらしく』なるように手をくわえる工程。そこから先はじっさいにエピタフを動かしてテストしては微調整のくりかえし、じゅうぶんな完成度になれば本稼働になる。こういった仕事の工程全体をとりしきるのがストーンメイソンだ」
「そのストーンメイソンが、マリさん」
「そういうことだ。ぼくもマリの部下ってことになる」
「マリさん、兄さんよりずっと年下であたしとたいしてかわんないのにねぇ」
「あれは天才だからな。ぼくと較べるのがまちがってる」
「おまけに兄さんがたぶらかされるくらいの美人ときた」
「いや、それこそ、おまえとたいしてかわらない」
「兄さん、犯罪的な顔になってる」
「からかうなよ。まあ、ぼくがあれに心酔してるというのはほんとうだ。才能に惚れたり妬んだりするってのは技術者のさがみたいなものさ。ほんとうに、それだけだが」
 建布都マリ。
 ウトナピシュティム社のストーンメイソンにして最高情報責任者。
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