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みなさま、こんにちは、ITカレッジ沖縄の奥戸類です。 ひさびさの?アイカレのアドベントカレンダー初日、投稿させてもらいます。
さてさて、アドベントカレンダーってなんやねん?なんで、ITカレッジ沖縄でやるねん?とか思われている人も多数いるかと思います。手前味噌ですがアドベントカレンダーの意味とアイカレ、IT業界でやるのはなぜ?ってのを過去書いてますので一度ご覧ください。 What's Advent Calender ?
アドベントカレンダーの話はおわったので、じゃあ、今日の投稿な話。正直、何を書こうかとちょっと逡巡しましてですね、もっかい私は誰なのか?ってのを問い質したりました。アイカレの職員だったり、父親だったり、男性だったり、一型(IDDM)だったり、アラフィフだったり・・・ で、@omas先生なんかとも自己紹介で使ってる言葉、"ネットの住人" ってのが今回の答え、結論となりました。 2019年の今はインターネット時代です。1990年のWebの発明からインターネットは爆発的な広がりを見せ、PCをさわらない一般ピーポーがサイト、ネットを使うのも当たり前となってます。わからない言葉あれば、ggって、調べる。調べもしない人には ggrksという言葉あったり。 今回は、ggる。Googleの検索エンジンができまでの昔話をおじさんらしく書いて見ます。
もっかい検索エンジンとはなにか?ってのをggってみましょう・・・・@Wikipedia
検索エンジン(けんさくエンジン、英語: search engine)は、狭義にはインターネットに存在する情報(ウェブページ、ウェブサイト、画像ファイル、ネットニュースなど)を検索する機能およびそのプログラム。 検索エンジン
恐らくここを見てる学生の皆様にとっては、生まれた時にはネットがあって、ものを調べるのは普通にGoogleを使い、恐らくその行為になんの疑問も抱いてなかったと思います。
しかし、自分たち(omas、ymuc、ysym)世代がネットをさわり始めた時には(1992〜93)、Webがなく(ちょっと盛った。ほんとはあった。)、ブラウザとかTCP/IPなんかのプロトコルをお金をだして買わないとインターネットにつなげることができなかったのです。(ばばーん!!)
当たり前ですが、OSにはブラウザが組み込まれてもいませんし、IE(またはedge)でChromeを落とすとかの次元ではなかったのです。(ばばーんx2 !!)
当時の日本ではそろそろ最初の個人向け商用ISPがではじめた頃でした。IIJ(老舗、大手、技術力最高)が国内初のISP(インターネットサービスプロバイダー)として運用を開始しました。上記のような状態ですので、ネットにはWebサイトがほとんどなかったです。
私がこの時に使った検索エンジンは 千里眼 というものでした。 作った人は学生、運用は、早稲田大学。商用と実験が入り乱れるカオスな時代でした。
すでに千里眼はロボット型の検索エンジンで、アクセスすると検索窓がひとつ、キーワードを入力する現在のような使い方ができました。 当時としては(すでにいくつかの検索サイトがあったけど)情報量がピカイチでしたが、精度はそれほど高くなかったです。Webサーフィンからリンクをたどるアクセスではなく、ダイレクトに目的のWebにいけるのは未開の土地にはいるようでワクワクしました。
早稲田大学は優秀な大学ですが、国内ではまだ上位の大学があります。反論は受け付けますがトップに君臨するのは国立の東京大学だと思います。 「所詮、私学の大学生が作ったモノ、頂点の大学生がもっと良いものがつくれる!!」 ・・・と思ったかどうかはわかりませんが、実際、東大生が検索エンジンをつくります。 先を越されたという悔しさもあったと思いますが、満を辞して? ODiN(オーディン)という検索エンジンが世の中に披露されます。
東大がえらい、早稲田がだめだというつもりはありませんが、このODiNはかなりすごかったです。日本の最高学府というのを見せつけられた気がしました。昔の記憶なのでうる覚えですが、レスポンスがよく、千里眼よりも精度がたかかったはず。こちらもロボット型の検索エンジン。
検索エンジンには大きく二つの形がありました。ひとつは クローラとよばれるプログラムをWeb上に、はなって自動でデータをかき集めてくるタイプ。 これがロボット型。Web(蜘蛛の巣)を動くのでロボットスパイダーとかいわれます。
もうひとつがディレクトリー型。 わらっちゃうのですが、人間様がひとつひとつサイトを分類して登録するやり方。 現在では無理。ちなみに2019年5月現在 Webサイトの数は 1,684,931,806 サイト。 Webページになるとさらに何倍、何十倍になるかわからない。人の作業では無理ですね。 しかし、当時は1994年で 2,738件、1995年で23,500件・・・・ こんな感じ。
このディレクトリ型の検索エンジンをまともにつかっていたのが、Yahooです。 まだこの当時はディレクトリ型のほうが精度が抜群に良かった。というのも、きちんと人間がサイトの検証を行い、カテゴリで分けて登録していたから。 逆に全文検索でサイトをひっぱるロボット型は精度は低かった。ユーザーも目的に応じて、YahooだのODiNだのを使い分けていました。 専門学校 > 九州 > 沖縄 > ITカレッジ沖縄 ・・・とかね。こんな感じで分類されてましたよ。
閑話休題
当時のインターネットはすごくアカデミックなもので、当時ネットがひかれてたのは大学とか研究所がメイン。それもあって(何をするにも)初動はやはり大学とか研究所なんかがイニシアティブをとってたわけ。 しかし、1995年 Windows95が発売され、商用ISPが雨後の筍のようにでてくると、主人公は入れ替わっていき、時代は次第にかわっていきます。 商用、ビジネスとして、企業が次第に勢力を伸ばしていきます。
ODiNは東京大学の学生がつくっただけあって、とっても優れていた。だけど、(だけど、ごめん)所詮は大学生がつくったもの。企業が本気をだすとこうなる!という事例がこのあとおこります。日本の大手NTTが検索エンジンのサービスを開始。NTTは大企業、研究所レベルだと、ほんとにお利口な人がたくさんいます。そんなお利口な人がネットに手をだして検索エンジンをつくりました。
その名もgoo(Not Google) 商用としてしっかり、サービスとしてしっかりしてた。 私が、技術だけでは、サービスは提供は難しい?かなと思い知らされたプロダクトのひとつです。 ※ 学生だけでは企業ができないってことではありません。しかし、上には上がいるという風に捉えてください。
あと、gooは知名度、利用者もおおく、そのせいで詐欺につかわれたことがあります。 NTTのgooは goo.ne.jp。これに便乗して某アダルトサイトが goo.co.jpというドメインを運営して商売をはじめる。 neとかcoとか一般ピーポ〜には意味がわからず・・・・
詳しくは以下を ドメイン名「goo.co.jp」を巡る裁判
これまで日本の検索エンジンをふりかえってきましたが、このタイミングで黒船がやってきます。でも、まだGoogleではない。 その名前も AltaVista(アルタビスタ)。小さな島国の検索エンジンに比べ情報量が累乗的に多かったです。 ただ、今で言うところのUIが使いづらく、私はメインではつかってませんでした。
さてさて、この時代には ISPが独自にポータルサイトをもっており、そこにはディレクトリ型と検索エンジンはセットでありました。 群雄割拠な時代。Infoseek、Excite、InfoNavigator、Lycos・・・・
しかし、この時代は次の時代の黒船で幕を閉じます・・・
世の中が2000年問題で大騒ぎになってた頃、ISDNの終わりの始まりと、ブロードバンド時代の幕開け、このタイミングでGoogleが日本語版を運営します。 Google自体は 1998年ころから運用をしてましたが。 しばらくは、みな、gooだの、自分のISPの検索エンジンだの、Yahooなんかを使ってたと思います。 しかし、徐々にでも、確実に googleへ移っていきました。理由は情報量、精度、そしてスピード。これに尽きるかと思います。
ここからはみなさんの知ってる世界です。 途中、MSのBingとか、(これは画像検索ですんごいものをひっぱってくれるときがあったんですよ)、Baiduとか、一時的な、ネタ的な話題がでてきますが、 あくまでネタかなぁ?と。
少し早足で1993〜2000を振り返ってみました。 昔話ですが、当たり前の検索エンジンもそんなことがあったんだと笑ってくれると嬉しいです。
おしまい。