Oracle v. GoogleのAPI著作権裁判の話(連邦最高裁)
2016年5月26日付で、合衆国連邦地裁(Federal District Court)において、いわゆる「Java API著作権裁判」について、「GoogleのJava API使用はフェアユースである」という陪審員評決が出たと報道されている。
なお、注意すべき点として、2016年5月26日段階で報道されている評決はまだ未確定である。今回の裁判はいわゆる知財裁判のため、州裁判所ではなく、連邦裁判所の管轄になっており、連邦地裁はその1審である。Oracleはおそらく控訴審の巡回裁判所、状況によっては連邦最高裁まで進むつもりであると思われるので、今後の動向には引き続き注意を要する。
また、一部で「APIは著作権で保護されない」という表現も見かけられるが、前回の最高裁判決のとおり、APIは著作権で保護される。今回の評決はあくまでも、一定の条件を満たした場合に、著作物(API)のフェアユースが可能となる、という話である。
日本のいわゆる「裁判員制度」が刑事訴訟のみに導入されているのとは異なり、アメリカ合衆国では民事訴訟においても陪審員による審理が行われることがある(Civil Jueries)。特に、連邦裁判所においては、合衆国修正憲法7条にて(20ドル以上の訴訟について)陪審審理を受ける権利が定められている。今回報道されているのは、陪審員による審理結果である。
今回の裁判を理解するうえで、裁判官から陪審員に提供された参考資料が非常に参考になる。陪審員は審理と併せてこの資料を参照したようだ。
前半は一般的な陪審員の心構えの解説が続くが9ページの5行目から本件の解説が始まる。
p.9では、事件の対象が一体どういったものであるかについて解説されており、宣言コード、実装コード、そしてSSOについて述べられている。以前最高裁で争われた、アイデアと表現の分離などについても触れられており、この文章を読むだけでこれまでの審理の流れを俯瞰することができる。
p.11の後半からはフェアユースについての説明が始まる。なお、繰り返しとなるが、フェアユースについては以下のように説明されており(p.11)、あくまでも「著作権で保護された作品の使用」であることに注意が必要である。著作権で保護されてないものに関しては、そもそもフェアユースの対象にならない。。
the right of fair use permits the use of copyrighted works by others without the copyright owner’s consent
フェアユースの権利は、他者の著作権で守られた作品を使用することを、その著作者の承諾なく使用することを認めるものである。
フェアユースについての解説の興味深い点として、「no generally accepted definition is possible, and each case raising the question must be decided on its own facts.(一般化された定義を行うことは不可能であり、それぞれの事例において各々の事実に基づく判断が行われる必要がある)(pp. 11-12)」と述べられており、フェアユースの定式化が難しいことが分かる(当然裁判になり、陪審員の判断に委ねられることになる)。
アメリカの著作権法(Copyright Act)ではフェアユースについて以下のように述べられている(p.12)。
The fair use of a copyrighted work for purposes such as criticism, comment, news reporting, teaching (including multiple copies for classroom use), scholarship or research, is not an infringement of copyright. In determining whether the use made of a work in any particular case is a fair use the factors to be considered shall include —
The purpose and character of the use, including whether such use is of a commercial nature or is for nonprofit educational purposes;
The nature of the copyrighted work;
The amount and substantiality of the portion used in relation to the copyrighted work as a whole; and
The effect of the use upon the potential market for or value of the copyrighted work.
著作物のフェアユース、例えば批評、コメント、報道、教育(教室での複数コピーを含む)、学問や研究は著作権の侵害とはならない。ある事例における作品の使用がフェアユースかどうか判断するうえでは、次の4点を考慮しなければならない。すなわち、
利用の目的と性格(その使用が商用であるか、非営利の教育目的であるかを含む)
著作物の性質
原著作物全体に対する再使用された量と重要性
著作物のもつ潜在的市場もしくは価値に対する影響
今回の裁判ではこれらのポイントを考慮しつつ、Googleの行為がフェアユースに該当するか否かを判断することになる。
文章では、さらに(1.)について、著作物の使用が"transformative"であるかについてを考慮すべきであると述べている(pp.12-13)。ここで、"transformative"とは、以下の説明の通りである(p.13)。
A use is transformative if it adds something new, with a further purpose or different character, altering the first use with new expression, meaning, or message rather than merely superseding the objects of the original creation.
著作物の使用が、進んだ目的もしくは異なる性格をもち、新しい表現、意味、もしくはメッセージにより、単に原著作物の構造物を置き換える以上の新しい何かを付与している場合、"transformative"である。
すなわち、原著作物の素材をその目的と異なる目的に使用する場合や、もとの素材を改変して新たな価値を付与している場合、あるいは改変していなくても異なる文脈で使用され新しい作品となっている場合は"transformative"とみなされる。一方で、同じ、もしくは似た文脈での使用であったり、改変が小さい場合は"transformative"とみなされないことがある(p.13)。
上述の通り、"transformative"であるために、使用する著作物の改変が必ずしも必要となるわけではない。一方で、本件においては、Googleがオラクルの宣言コードをそのままコピーしている点についても、説明文内で言及されている(pp.13-14)。Googleの行ったコピーが、"transformtative"であるか否か、あるいは"transformative"であったとして、商用利用という目的に対して十分に"transforamtive"であったかについての判断は、陪審に委ねられている。なお、Googleの再利用が商用目的である点については議論の余地なく認定されている。しかし、文章内ではあくまでも、他の追加要素などを踏まえたうえで、商用利用である点と"transformative"の度合いのバランスを判断するように求められている(p.14)。
また、再利用時のGoogleに誠意(good faith)があったか、という点も考慮すべき点として挙げられている。例えば、もしもGoogleがOracleの市場における地位を乗っ取るために再利用を行ったのであれば、そこにgood faithは存在しないと考えられる(p.14)。この点については、GoogleがAPIライブラリの再実装における業界の慣例に則っていたか、もしくは違反していたのかについても考慮すべきである、と述べられている。また、関連して、Googleがむしろ、「全く」Oracleからライセンスを受けていないと主張している点にも言及されている。これは非常に興味深い話で、仮にGoogleの再利用がフェアユースであるのならば、いわゆるOSSライセンスの議論(審理ではApache FoundationやGPLの話があったようだ)は法律上意味を成さないということである。なぜならば、OSSライセンスはあくまでも著作権(あるいは一部特許など)に基づき、再利用を制限あるいは許可するものであるから、フェアユースが認められるケースでは、OSSライセンスにフェアユースが優先することになる。そのため、Googleの主張に従えば、ライセンスを受けていないのむしろ法律に従った結果となる。
著作物の性質について考慮すべき(2.)については、以前の最高裁における判決文と同様の説明が再度行われている。宣言コード、実装コード、SSOは創造的な要素になりうると述べられている(p.16)。しかし、一方で、これらの表現が効率や互換性、業界標準といった機能的理由によって要求されている場合は、創造性が劣る可能性が低いと考えられるし、著作権保護の度合いが低く成りうる。
(3.)については、コピーされた範囲の量的、質的重要性を計る上での考慮点が述べられている。仮に少ない範囲であっても、著作物の本質的な部分であれば、フェアユースと認められない可能性が高まるし、一方で、最小限のものだけを"transformative"にコピーしただけであれば、フェアユースとして認められやすい(p.17)。コピーした量と、その品質の両方を考察する必要がある。なお、「Android全体に対するコピーした部分の割合」は、ここでは不適切な指標として挙げられている。
(4.)に関しては潜在的な市場や商品価値に対する悪影響を見積もる必要があると述べられている。これには、単純に原著作物の代わりにコピーが使用された場合の損失だけでなく、原著作物が制限なく広がった場合に起こりうる市場への悪影響も考慮する必要がある。また、損害の算定には著作物だけでなく、その潜在的な派生物の価値も考えることが求められている。著作物の価値や派生物の価値の算定は陪審員に委ねられている(p.18)。
なお、これら4つの要素はあくまでも"include"であり、追加の要素を各自が考慮することも許されている(p.19)。
p.19の後半からは陪審手続きの説明なので本件の争点とは直接関係ない内容となっている。
陪審員に配られたとされる文章は、簡潔ではあるが、例も交えて過不足なく説明が行われていてとても分かりやすい。一方で、プログラマ以外がこの文章を読んで、正当な判断ができるのかどうかは疑問の余地がある(もちろん、裁判においてはこの文章以外にも様々な情報をもとに審理が行われている)。
フェアユースと認めるられる基準については、この文章を読む限りは非常に曖昧であるという印象を受ける。基本的な4つの指標があるものの、仮に自分が陪審員だとして、判断を迫られたら、とてもとても悩むことになると想像できる。実際の審理がどのように行われて、どういった議論が行われたのか、興味深い。
個人的に印象に残ったのは、フェアユースが認められた場合、OSSライセンスに優先するという点だ。考えてみれば当たり前なのだが、フェアユースの範囲であれば、例えばGPLでライセンスされているコードをコピーして、GPL非互換のライセンスで配布することも可能となる。場合によっては、一部で混乱が生じることになるかもしれない(クリーンルーム設計などで今までも起きていたかもしれないが)。