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@kaityo256
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研究者として生きていくコツ

研究者として生きていくコツ

これは卜部さんの優秀なプログラマーになるためのコツに影響されて書いたものです。

著者について

自分を構成する要素は、大きい順にシステムエンジニア、プログラマ、研究者だと思っています。でも、おそらく給料は「研究者」として払われているため、研究者として生きていくコツとしました。僕はさほど優秀とは言えませんが、とりあえずそれなりに長いことそれで食っています。大学の教授のウェブサイトに「研究者としてのコツ」みたいなことが書いてあることがありますが、これには「既に大学の教授になっている人が書いている」という強烈なバイアスがかかっています。もちろん参考になることも書いてありますが、「死ぬほど研究しろ、研究のことだけ考えろ」的な文章が多い印象です。これは普通の人にとって役に立たない助言です。これは平均的な研究者として生きていくための戯言、ポエムだと思ってください。

健康第一

結論から言いますと、健康第一です。無事之名馬。どんなに優秀であろうと、将来を嘱望されていようと、健康を害しては意味がありません。何より大事なのは良質な睡眠時間の確保です。良質な睡眠が取れていない自覚があるなら、まずはそこをなんとかしてください。「俺は太く短く生きるんだ。大きな打ち上げ花火を上げるためなら死んでも本望だ」と思う人がいるかもしれません。やめてください。あなたが心身を害したら、あなたの家族の負担になります。同僚に迷惑をかけます。後輩に悪い影響を与えます。私はそういう残念な例をなんども見てきました。若い内は多少の無理は許されるかもしれませんが、いずれ無理がきかない時期がきます。その際にスムーズに無理のない生活に移行することを考えてください。

才能について

それなりに業界にいて思いますが、才能の差というものは厳然としてあります。ほぼ同じスタートを切ったはずなのに大きく差をつけられるということはあります。もちろん努力の差もありますが、それだけでは説明のつかない差をなんども経験してきました。ちょっと外れた分野の、ある現象を見て、その現象や分野に対する知識は僕とあまり変わらないはずなのに、僕はトンチンカンなこと言って、その人はその本質をズバっと言い当ててしまう、みたいなこともありました(あとでその指摘が正しいことがわかった)。学生の頃から他の人とは全く違うオーラのようなものを身にまとい、今はその人の名前がついた定理をみんなが使って研究するみたいな、世界的に有名な研究者になってる後輩もいます。そういう才能の差を感じて絶望した経験が何度もあります。

で、才能の差は厳然としてあるのですが、「研究者として生きていく」ことを目的とするならば、才能は大きなファクターではないと感じています。才能はあるに越したことはありませんが、本当に素晴らしい才能を持つ人はごくわずかで、後は(長時間がんばるという意味ではない)努力でなんとかなるレベルだと思います。

評価について

研究者は、評価がついてまわります。一番厳しいのはポストを得る時でしょう。研究者は普通、博士を取得してから「ポスドク」という、任期付きの職につきながら、常勤の職員を目指します。こういう職を「ポスト」と呼びます。ポストが空く、もしくは新たに用意された時、そのポストに相応しい人を探すために公募が行われます。その公募に申請するわけですが、一つのポストに数十倍、百倍近い応募が来ることもざらです。従って、毎回数十名から百名近い人が公募に落ちることになります。公募に落ちた時、公募先からくる不採用通知に「末筆となりましたが、あなたの今後のご活躍をお祈りしております」という定型文が記載されることが多いことから、公募に落ちることを「祈られる」と呼びます。

私自身、まだパーマネントポストについておらず、公募にも多数祈られている立場ですのでえらそうなことをいえませんが、それでも言えることは「公募とはマッチングである」ということです。公募をする時には、なんらかの目的があります。新しく研究チームを作りたい、どこかと連携したい、ちょうど始まったプロジェクトを任せられる人が欲しい、etc。優秀であることに越したことはありませんが、基本的には公募目的に合致する人が採用されることになります。つまり 「公募に落ちる」というのは「あなたの研究が低評価である」ということを意味しません。 これはすごく重要なことだと思います。

Twitterその他のSNSで、公募に落ちたと思しき人が、同じ公募に受かった人の業績を見て「なんで自分が落ちてあの人が」的なことを書いているの見かけることがあります。気持ちはわからないでもありませんが、これは二重にまずいです。一つは、それを見た人があなたに悪印象を抱くことです。公募した側がそれを見た際に、「人選を批判されている」と受け取ります。業界は狭いです。公募をする人に悪印象を与える言動が、今後のあなたの研究人生にプラスになることはありません。また、当然ですが「その公募に受かった人」の印象も悪くなります。Twitterその他のアカウントは、それが鍵付きでない限り、垢バレしていると思ったほうが良いです。繰り返しますが業界は狭いです。フォロー/フォロワーの関係になくても、近い業界の研究者のアカウントは把握しているものです。

公募に落ちた際の文句がまずいもう一つの理由は「公募がマッチングである」ということを理解していないことです。公募に落ちた時「なんで自分が」と思うということは、自分の業績に自信があるのでしょう。それは素晴らしいことだと思います。しかし、それが人に評価されるかどうかはまた別の話です。ここでいう評価とは、「その研究が素晴らしい」ということより、「この人を採用したいと思うか」という点が重要です。どんなに優秀でも、その公募で必要とする人材にマッチしなけれは採用されません。これを理解してないと、これからも祈られるたびに「なぜ自分が」と思い続けることになります。

公募は数十倍の倍率があります。従って、ポストを得るまでに数十回以上、下手すると百回以上「祈られる」ことになります。 「祈られる」たびに「自分の業績、研究を否定された」と思うようでは、精神が持ちません。 祈られたら「あ、こことは条件が合わなかったんだ」と思うようにしてください(実際そうですし)。そして、逆に「条件があうためにはどうすればよいか」を考えるようにしましょう。卜部さんの元記事にもありますが、評価される人は評価される努力をしています。公募を何十件も出すので、ついつい公募書類もおざなりに書きがちになりますが、評価する人は書類をかなりきっちり読み込んでいます。「自分が優秀である」というアピールも大事ですが、それより「自分はなぜその公募で採用されるのに相応しいか」をアピールするようにしましょう。もっと言うなら、採用する人が「なぜこの人を採用したいか/したか」を、より上位の委員会に説明するための資料として公募書類を書くようにしましょう。

研究分野について

研究者として生きていくのに重要なのは、業績ももちろんですが、私が個人的に思うのは、名前が分野や手法と強く結びついていることだと思います。身近にいる優秀な研究者を思い浮かべてください。その人の名前が、「この人といえば○○」みたいに、分野や手法と強く結びついていると思います。まずは「自分の名前」が出た時に「主な研究分野/手法」が連想されることを目指しましょう。次のステップとして、「○○と言えばこの人」みたいに分野から名前が逆引きできるようになれば完璧です。

「分野から名前が逆引きされる」ことは重要です。何か研究会を企画することを考えます。その研究会にはテーマがあり、そのテーマのサブテーマを主題としたセッションをいくつか組むことになります。各セッションで招待講演を、と思った時、そのサブテーマから名前が連想される人、つまり逆引きされる人が呼ばれることになります。招待講演の話がなんども来るようになるほど、そのサブテーマでは名前が知られていくわけですから、就職でも有利になります。名前が知られている、顔をなんども見たことがあるというのはやはり強いように思います。スーパーマーケットで、いつもCMで名前が出る商品には安心感があるように、学会や研究会でなんども顔を見たことがある人は、そうでない人に比べてやはり安心感があります。公募は「一緒に働く」人を募集するわけですから、こういう安心感も重要なファクターとなります。

努力について

たまに「人の三倍努力しろ」「寝るな」「寝てる間も常に研究のことを考えろ」的なアドバイス(?)を見かけますが、僕はこれは悪手だと思います。普通に研究者やっていれば、一日の可処分時間のうちのかなりの部分を既に研究に費やしているはずです。そこから食事の時間、睡眠時間を削ったとしても、正味の研究時間は二倍にはならないでしょう。例え無理して二倍の時間を捻出したとしても、効率の悪化を考えると、正味の作業量/アウトプットはせいぜい無理する前の1.5倍程度がいいところだと思います。これは断言できますが、1.5倍の作業時間というのは才能の差の前ではゴミみたいなものです。数十倍の才能の差がある「本当にすごい人」はどうせ存在が稀なので無視するとしても、そこらにいる一般の競争相手が、私やあなたの数倍の才能を持っていることは普通にあります。才能の差を作業時間でひっくり返そうとするのは悪手です。

ではどうすればよいかというと、マーケティングだと思います。人があまりやっていない、しかしわりと重要で、かつ自分が面白いと思えるテーマを選び、そこに資源を集中することで、「○○さんと言えば××」「××といえば○○さん」という名前と分野の連想配列構築を目指します。もちろんあまりにも人がいない分野を選ぶと評価もされず、逆にポピュラーな分野に突っ込んでいくと競合相手が増えるため、その匙加減は難しいですが、それでも「人の三倍努力する」よりも、「自分がもっとも評価される場所を探す」努力の方がトータル有益だと私は思います。

まとめのようなもの

研究者を目指す、というのはわりと大変なことです。僕は、もし誰かに「研究者を目指すべきかどうか迷っている」と相談されたら迷わず「やめたほうが良い」と答えています。これは別に「研究者という職業」が不退転の決意で目指すべき特別な職業であると思っているからではありません。少なくとも現時点において、「研究者になろうか迷っている」人が目指すには、研究者という職業は、それを目指すリスクと釣り合っていないと思うからです。

卜部さんの元記事には、リスクヘッジについて書いてありましたが、僕自身は研究者以外の職業を考えたことが無い(一般企業への就職活動を経験していない)ので、それについては何も言えません。僕にとっては、それだけ研究者という職業は魅力的だということです。その、魅力的であるはずの職業を目指す若者が、公募に祈られ続けたり、荒れた先輩を見て精神がすり減って、ネガティブなことをSNSに書いたりするのを見て心が痛くなります。もし研究者を目指すならば、よく寝て、公募の結果を気にせず、自分が最も輝ける場所を探すようにしてください。あと、よく寝てください(大事なことなので2回いいました)。

@kaityo256
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補足記事を書きました。
Re:研究者として生きていくコツ

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